CINEMA STUDIO28

2013-05-18

Les enfants du paradis

 
 
アンスティテュ・フランセにて。マルセル・カルネ「天井桟敷の人々」フィルムでの上映、堪能。
 
 
我が人生の10本、いや、5本にも入るだろう映画。最初に観たのは10代の頃、映画のビデオリストがあって講義と講義の合間に通ってた大学の視聴覚室だったと思う。小さな画面で映像を観て、ヘッドフォンで音声を聴く不自由な環境は、自分の感覚に照らして、つまらない映画と、観るべき映画の境界線を引くのにむしろうってつけで、しらみつぶしに観たビデオリストのうち、最も身体ごと映画に持って行かれる感覚のあった1本だった。念願叶ってフィルムで観ることができたのは、それから何年も後。以降、機会を見つけて定期的に観るようにしている。記憶力が良いほうなので、今回の上映はどうしようか・・と迷ったけど、蓋を開けてみると、やはり、この映画には何か私を夢中にさせる媚薬が練り込まれているとしか思えない。
 
 
パリの犯罪大通りで繰り広げられる、芸人たちの色恋沙汰。登場人物も多くなく、政治だの何だの大きな話は何も出てこず、始終愛だの恋だのの物語なのに、自分が経験したこと、これから経験すること、もしかして経験しないことも含め、きっと世界の総てが描かれているのだろう、と思わせる映画。今のところ、男性陣はあまりにロマンティックなジャン=ルイ・バロー以外に魅力は感じず。それでも、どの男もきっちり弱みを抱えている姿に、私の今後の人生、何度めかの鑑賞で、それまで気づかなかった魅力を見つけるかもしれない。どうしても女性陣ばかり注目して観てしまう。おそらく女性は、ギャランスに感情移入するか、ナタリーに感情移入するかで意見が二分するのではないか、と長らく思い、これまでギャランスに感情移入してきたのだけど、今回初めてこの2人を、どちらに肩入れするでもなく冷静に観察したと思う。ギャランスにはギャランスの弱みがあり、ナタリーにはナタリーの強さがある。ギャランスに垣間見える弱みは、ホリー・ゴライトリーのそれと少し似ているように見えた。

 
 
 
映画の後、脚本を手がけるジャック・プレヴェールの研究をしているキャロル・オルエさんによるティーチ・インあり。
 
 
映画の製作当時、1943年〜44年のフランスはナチスによる占領下にあった。そのような息苦しさの中、製作されたのがシリアスな映画ではなく、ひたすら愛だの恋だの映画であることも、私がこの映画を好きな理由のひとつ。ティーチ・インから、うろ覚えでメモしておくと、
 
 
・音楽のジョゼフ・コスマ他、スタッフのうち何名かはユダヤ人だったため、打ち合わせは時折、片田舎、オリーブ畑に囲まれた小屋で行われた。ユダヤ人をスタッフとして雇用することは当時は当時は非合法であり、万一の場合に備え、いざとなったらオリーブ畑に逃げられるようにその場所を選んだ。
 
 
・ジャック・プレヴェールは生涯、100本ほどの脚本を書いているが、映像化されたのはそのうち40本ほど。残りは出来が悪いと思ったのか、プレヴェールの書斎にしまいこまれていた。キャロル・オルエさんはプレヴェールの脚本についての本を、来年フランスで出版する予定とのこと。
 
 
・「天井桟敷の人々」の脚本を描くとき、プレヴェールは模造紙のような巨大な紙を準備し、まずすべての登場人物の名前を書き、次にそれぞれの人物の特徴を書き、物語を膨らませていった。
 
 
・マルセル・カルネとプレヴェールは、「天井桟敷の人々」以前に「悪魔が夜来る」でも組んでいる。ふたりがニースの小径を散歩している時、偶然、ジャン=ルイ・バローにばったり出会い、ジャン=ルイ・バローの口から、バティストのモデルとなる実在のパントマイマーの話を聞き、この映画の発想が生まれた。
 
 
・フレデリック・ルメートルにも、ラスネールにも実在のモデルがおり、これらのモデルがすべて同時代の人物であったことから、プレヴェールは彼らを同時に登場させた物語を創れると思うに至った(このあたりうろ覚え・・・。詳しく調べてみたい)
 
 
・プレヴェールは生涯を通じ、己の作品についてコメントをしなかった人である。プレヴェール自身の raconte pas ta vie! ( 人生について語るな)という信条に基づいている。が、一度だけインタビューに答える形で、好きな映画について語った。プレヴェールが語った2本の好きな映画のうち、1本は兄弟がつくった映画であり、もう1本が「天井桟敷の人々」だった。好きな理由を、プレヴェールはシンプルに「(ギャランス役の)アルレッティが好きだから」と答えている。プレヴェールとアルレッティは親友関係にあり、自由で開放的なギャランスという役自体も、ギャランスを演じるアルレッティの演技も、プレヴェールは非常に気に入っていた。
 
 
・プレヴェールも、マルセル・カルネも、フランスでは正当な評価がなされていない。マルセル・カルネについては、シネマテーク・フランセーズが最近になってようやく作品を収蔵し、ようやく展示と特集上映を行った。(シネマテークのニュースメールを今も受信するのだけど、何年か前に、「天井桟敷の人々」の展示についてのニュースメールがきたのはこれだったのか・・・何故、今頃?ってちょっと思ったのだけど・・)ヌーベルヴァーグへの影響もあり、トリュフォーが語った「自分のすべての作品を差し出してでも、天井桟敷の人々のような映画を作りたい」という言葉が、シネマテークの展示でも引用された。
 
 
キャロル・オルエさん(いかにもフランス女性といった風情の、ナチュラルで大変お美しい人)は、最後に「プレヴェールの魅力について、一言で表現するとしたら?」との問いかけに「liberté!(自由)」と答えておられたのが印象的。
 
 

 

2013-05-07

Le skylab

 
 
イメージフォーラムでのフレンチ・フィーメイル・ニューウェーブにて。フランスの若き女性監督特集。全部観るって決めてた。まずジュリー・デルピー監督作「スカイラブ」から。sky loveだと思ってたら違って、skylabはアメリカの人工衛星。役目を終えたskylabは、1979年、地上に墜ちてくると騒ぎになった。方角的に墜ちてこないとも言えなくもないブルターニュにおばあちゃんの誕生日祝いに集まった大家族の夏の一日の物語。
 
 
以前の監督作「パリ、恋人たちの2日間」の満足度をまったくもって裏切らないし、もはや己の語り口をしっかり見つけたような安定感。ジュリー・デルピーって人は綺麗な表皮の下に生まれつき内なるおっさんがいて、若い頃から美貌ゆえに「化粧品何使ってるの?」とか「恋人は?」とかしょうもないこと聞かれまくり内なるおっさんが「アホか、もっと面白い質問せえや!ケッ」って叫ぶのぐっと飼い慣らしてるうちに、頭いいから、そっかー美貌ゆえにいろんな監督から声がかかるんだもん、映画の勉強だと思って利用しない手はないわ!と腹を括り、アメリカ渡って映画の勉強して、リチャード・リンクレイターやらと組んでるうちに徐々に内なるおっさんが暴れだし、ナチュラルに老けはじめ二の腕や腰まわりがでっぷりした昨今、ようやく美貌への評価も落ち着きはじめて、こっからが俺の出番やで。って内なるおっさんが喜んでる頃なのだと思う。物語の端々に散りばめられた下ネタや政治ネタを思い返すに、確信を強くする。
 
 
役者の豪華さ。どんな老けかたしてるのか想像できなかったけど、声と話し方ですぐわかってしまったベルナデッド・ラフォン!(ママと娼婦のママ!)、「愛 アムール」とは同一人物と思えるような思えないようなエマニュエル・リヴァ!ジュリー・デルピーのリアルパパは俳優さんで、前作に続いての登場。その他、フランス映画でしょっちゅう見かける俳優ばかり。自身も出演しつつ、どう見ても曲者揃いの彼らを指揮するジュリー・デルピー・・!
 
 
食卓のやかましさに一抹の関西ぽさ漂い、どことなく懐かしさを覚える私、どういう嗜好かわからないけど、野外で人々がテーブル出して食事してるシーンのある映画が大好き。この映画の少なくとも3分の1はそんなシーンで占められており、あと5時間は画面を眺められる。家族がそれぞれ喧嘩したり、奇妙な人間とつきあうのも家族活動のうちと悟ったり、幼い娘が恋に出会ったり、そして破れたり、時々スカイラブを思い出して騒いだり、また忘れたりしてブルターニュの夏の日は暮れる。ああ、人生というのはこのように生きるものであるな、と、しみじみ。
 
 
雨が降ったのでみんなでテーブル椅子を屋内に移動させたの図。
 
 
前作「パリ、恋人たちの2日間」をパリの映画館で観たとき、場内ぎゃーはっははっはとパリ人のアホ笑いに包まれ、あージュリー・デルピーってのは、ウディ・アレン的に原語をしっかり理解してないと本来の面白さはわかりませんよって人なんだろうな、と思ったけど、スカイラブもきっとそうなんだろう。めらめら語学習得意欲を掻き立てられる。たとえ習得した先に理解できたのがおっさんくさい下ネタだったとしても・・。