CINEMA STUDIO28

2015-11-30

TIFF2015 / The girl's house




東京国際映画祭の記録。8本目、コンペから「ガールズ・ハウス」。イラン映画。イラン映画ってどれを観ても見事で、もうイラン映画ってだけで観るって決めてる人も多そうな。



若い女性2人が、街で買い物をしている。明日、親友の結婚式に出席するため。買い物を済ませて帰宅した彼女たちに、花嫁が突然、亡くなったという知らせが届く。花嫁の自宅に押しかけても、言葉を濁すだけで真実を教えてくれない。やきもきする2人は謎を解明するために動き始める。



作品解説はこちら




イラン映画といえば、室内など限定された場所で登場人物たちの心理が複雑に絡み合い、ストレートに心情を吐露する人々ではないので、観てるこちらの胃が次第にキリキリしはじめる、というのが常で、いくつかの謎めいた符号が示され、物語が提示され始めると、キタ!胃が痛くなるのキタ!と、頂に向かうジェットコースターに乗ってる気分・・・これから先どんな展開だろうと受け入れなければならないし、そもそも観るって決めたのは自分だし、それにしても胃が痛い。という気分に陥る。



この映画も狭い範囲で物語は転がり、花嫁が亡くなった理由は意外なところに落ちていた。意外なところ、というのは、現代日本の都会で暮らす自分にはきっと降りかからない、予想もしなかったポイントで、しかし異国の地では、それが理由で人が死ぬこともある、ということ。ファルハディの「彼女が消えた浜辺」を観た時も、物語の密度は楽しんだけど彼女が消えた理由に腑に落ちないポイントがあって、後から宗教や風習などを調べてみて、え!そんなことで!と驚いたのだった。



明日結婚する男女であっても、手に触れることも許されない。しかし描かれた大学は共学で、異性の友人も存在する。花嫁の美しい妹が、美しい異性と嬉しそうにウェディングドレスを眺めるラストのシークエンスは、花嫁が辿った悲劇と、妹も味わうかもしれない苦悩を示唆しており、イランの若い現代女性の内面のジレンマを描いた小さな秀作。観終わってみると、ガールズ・ハウスというタイトルが良い。イラン文化について映画祭のQ&Aを通じて学ぶ部分がいつも大きいので、この映画をQ&Aがある回に観られなかったことが残念。

2015-11-29

filmex, my final day


 
 
フィルメックス、蔡明亮特集は来週も続くようだけど、平日は行けない時期なので私は今日で終了。中華圏の映画が大充実だった映画祭を象徴するように、最後は侯孝賢で終了!はぁぁ本当に豪華だった…。
 
10月の東京国際の記録が終わっておらず、明日からそちらを続ける予定なので、フィルメックス記録はその後に。ひとまず、タイトルだけメモ。
 
 
・「ひそひそ星」園子温監督(日本)
・「タクシー」ジャファル・パナヒ監督(イラン)
・「華麗上班族」ジョニー・トー監督(中国・香港)
・「大恋愛」ピエール・エテックス監督(フランス/1969年)
・「最愛の子」ピーター・チャン監督(中国・香港)
・「消失点」ジャッカワーン・ニンタムロン監督(タイ)
・「あの日の午後」ツァイ・ミンリャン監督(台湾)
・「ヨーヨー」ピエール・エテックス監督(フランス/1965年)
・「山河故人」ジャ・ジャンクー監督(日本・フランス)
・「酔、生夢死」チャン・ツォーチ監督(台湾)
・「戯夢人生」ホウ・シャオシェン監督(台湾)
 
 
映画の秋はこれで正式に終了。しばし仕事に集中し、無事に納められたら映画の冬を存分に楽しむ所存。

 

2015-11-28

Today's films

 
 
終日フィルメックス。途中2時間空いたので家に帰るのも中途半端だし、新宿に移動して伊勢丹に取り置いてもらっていたものをピックアップし、またフィルメックスに戻るなど、ずっと外にいた。観た映画はどれも違う味でそれぞれ美味しく、朝にツァイ・ミンリャン、夜にジャ・ジャンクーの話を聞いて、フォアグラの上にトリュフとキャビアをのせて食べたみたいな。胸焼けするわ…ずいぶん充実した映画生活の今年でも、とりわけ濃い1日であった。以上メモ。

 

2015-11-27

TIFF2015 / フル・コンタクト

 
 
東京国際映画祭の記録、7本目。コンペから「フル・コンタクト」。オランダ・クロアチア合作で、監督はオランダ出身のダヴィッド・フェルベーク。主演はクレール・ドゥニ映画常連のグレゴワール・コラン。
 
 
作品解説はこちら。
 
 
主人公は空軍基地で戦闘機を操縦する兵士。掘立小屋のような小さな建物に籠り、オンライン戦闘ゲームを操作するように、ドローンを駆使して敵を倒す。攻撃指示はチャット画面で文字でやりとりしながら。兵器に触ったこともなければ敵と生身で接触することもない。重要な標的を攻撃しようとして誤爆したことをきっかけに、主人公は肉体と精神の均衡を崩していく。
 
 
時間が合う限りコンペは観る!と決めたものの、あらすじを読んでもどんな映画か想像もつかなかったのだけど、これが…面白かった!この日は朝から「スリー・オブ・アス」「ニーゼ」と実話ベースの映画を観ていたので、面白くなくはないけど、そろそろ遠くに連れて行ってくれるようなフィクション、お願いします!と思っていたところに観たのがこれで、こちらの吸収力も抜群だったということか。アンドロイドが女優になる現代だもの、近い未来、こんな職業の人は出てくるのだろうし、知らないだけですでに存在するのかもしれない。そして当人の職業意識次第というところなのだろうけど、何割かの人は主人公のように心身の均衡を崩していくのではないかしら。
 
 
物語は3つのパートで構成されており、まず攻撃と誤爆、彼の職業生活を描写するパート、次に心身の均衡を崩した彼が野性的な環境で身体性を爆発させるパート…このパートは幻想的で、妄想とも現実ともつかない描かれ方をしていた…最後は地に足をつけて身体性を取り戻していくパート。観る人によっては時系列の物語とは捉えなかった人もいるようなのだけど、私は同じ主人公の、時系列の物語だと思って観た。
 
 
 
 
上映後、Q&Aに登壇したのは監督(左)と主演俳優(右)。監督のほうが俳優オーラある…。オランダの人って本当に背が高いなぁ。監督は中華圏で映画を撮るなど国を越えた作品作りをする人とのことで、現代人が日々接するバーチャルな世界…ネットにしろSNSにしろ…を題材にした映画を過去にも撮っているとのことで、機会があれば観てみたいな。これだけバーチャルなものが我々の生活に入り込んでいるのに、それを扱った映画がほとんどないから自分で撮った。ときっぱり話したのが印象的。確かに私もそう思っていて、この映画しかり、映画祭で観る(そしてほとんど配給はつかない)映画のうち、面白さを感じるのがそんな主題のものが多いのは、普段観る機会が少ないからかしら。かつての偉人の伝記やら、有名な古典小説の映画化やら、そういうのも悪くはないけど、現実の自分の問題認識をそっと掬い取ってくれて、ちょっと先の未来を提示してくれるような映画を普段からもっと観たいと思っていて、映画祭でこの映画を観られたことが嬉しい。そしてSNSにも毎度すぐ飽きてしまいがちな私、ぐっとバーチャルなものに向かう時間を減らそうと試み始めているので、主人公の変化、進化とも呼べるそれは、主人公ほど特殊な道ではないけれど、自分も辿っていくステップなのだろう。
 
 
上映は六本木ヒルズのスクリーン7だったので、登壇するとすぐに監督は興奮した様子で、このような大きな素晴らしい環境のスクリーンで、こんなに熱心な多くの観客と一緒に自分の映画を観たのは人生で初めてで感激している!と何度も言っていた。この映画は特に、スクリーン7で観るべき映画だったな。身体に響くスクリーンの広さ。
 
 
少し時間が経って「フル・コンタクト」を思い返してみて、クローネンバーグの「コズモポリス」を観た時の興奮に感触が似ている気がしている。あちらはリムジンの中から世界の相場を操作する男の物語で、途中、愛人がリムジンに乗っては去っていき、失われた身体能力を回復させるための道具のようにセックスが描かれていたけど、「フル・コンタクト」でも最初と最後のパートでそんな場面があり、そして全く違うシチュエーションながら相手を同じ女優が演じていたのが記号的で面白かった。
 
 
 
 
右が監督。大きい…!TIFFのサイトから監督の公式サイトをチェックして、プレスシートをダウンロードするぐらい気に入ったこの映画、配給はきっと難しいんだろう。何度も観たいなぁ。

 

2015-11-26

un journal

 
 
この夏、茅ヶ崎館の1番の部屋でだらだらしながら、ああ、今、小津映画を観られたらいいのに、と誰かが言ったので、持っていたiPad miniでiTunesからダウンロード。ちょうど隣の2番の部屋で、何十年も前に生まれた物語はフィルムに焼き付けられ、デジタルに変換され、あっという間に小さな液晶に届いた。
 
 
映画を構成する要素すべての調和がとれていて、どれかひとつを取り出して眺めることはしない。「東京物語」とは永らくそんな付き合いだった。敢えて言うならば、香川京子の目線が近かったかもしれない。けれど茅ヶ崎館の夜、原節子にピントが合った。初めて出会った気がした。美しいけれど演技はそれほど、という世評に対して、小津監督は原節子は誰よりも巧い役者で、彼女が大根だとしたらそれは使いこなせない監督の責任である、と反論したと何かで読んだ、そんな言葉にもピントが合った。なんと巧い女優なのだろう。それは親元で暮らす末っ子の香川京子から、遠くに縁の土地や人を持ちながら、東京でひとり働く原節子の生活へと自分の人生が移行し、時間が経ったからかもしれない。
 
 
はじめまして、ようやく出会ったのだから、ゆっくり知っていくつもり。これまで見落としていた表情や仕草のひとつひとつも。肉体は消えたとしても、映画館の暗闇でまた会える。

 

2015-11-25

Cinema memo : Oliveira retrospective!




フィルメックスで、オリヴェイラ「アンジェリカの微笑み」のチラシを初めて見かけてもらってきた。まだ先だと思っていた12月はすぐそこ。12/5から公開。魅惑のロードショーという常套句が似合う映画。魅惑…(うっとり)




サイトにもきっとあると思うのだけど(探せなかった)、著名人からのコメントが普段と違う顔ぶれのように思えて、宣伝担当の方のセンスの良さを感じるよ。だいたい新作映画の著名人コメントっていつも同じような人が同じようなこと言ってる印象しかない。


「怖いけれど美しい。美しいからこそ怖い。日本の牡丹灯篭や雨月物語に一脈通じるものがあると思う。この映画を観たら、不思議な夢を見られるのではないかしら。」このコメントの主は…若尾文子さん!


そして私が、おっ!と思ったのは、柄本佑さん。


「オリヴェイラは映画を撮ることで性欲を満たしていたのかしら?なんでこんなHなのか?なんでこんな豊かなのか?なんでこんな面白いのか?101歳の頭の中はワカラナイ。ただ大傑作であることはワカリマシタ。」


冒頭…!そんなの本人にしかわからないけど、確かにオリヴェイラの映画には「撮ることで性欲を満たしていたのかしら?」と匂わせるものがあって、好きな理由のひとつ。宣伝コメントがきっちり宣伝効果をもたらして、俄然楽しみになってきた…!


さらにさらに1月下旬からオリヴェイラ追悼特集があると、チラシで知った。タイトル名などは書いてなかったのだけど、サイトができたもよう。




ローカルチャンネルの静止画に音楽だけが流れるCMみたいなサイトだけど、タイトルが出てて嬉しい。遺作もかかるようだし、35mmで上映!大好きな「アブラハム渓谷」をまた観られるのは嬉しいことだけど、何年か前、ユーロスペースで「家路」「家宝」を観て、漠然と、あぁぁ面白かった!なんなのこれ!と思ったのだけど、何も記録してなくて何が面白かったのかさっぱり忘れたからまた観たい(ソフト化はされてないはず)と願っていたけど、それはかからないのだな…。Parte1とあるから、第2弾、第3弾もあると信じたい。オリヴェイラの残してくれた信じられないほど豊かな映画遺産、ちびちびコツコツとコンプリートしてきたいわ…(野望)。師走の足音が聞こえてきて、何やら慌ただしいのだけど、まずは「アンジェリカの微笑み」が待ってることだし、元気に乗り越えねば。 

2015-11-24

TIFF2015 / ニーゼ

 
 
東京国際映画祭の記録、7本目。コンペからブラジル映画「ニーゼ」。この映画については走り書きメモでも書いたし、グランプリ受賞上映の時も書いたし、すでに記録したいことは記録した気がするのだけど…。グランプリと主演女優賞を獲った1本。作品解説はこちら。
 
 
 
40年代ブラジルを舞台に、ロボトミーや電気ショックなど非道な治療法が横行していた精神医療の世界に、ユングの影響を受け、芸術療法を導入した実在の女性の物語。女優はブラジルでベテラン演技派として有名な人とのことで、主演女優賞にきっと選ばれるだろうな、という予想は当たった。監督はドキュメンタリーを何本も撮ってる人で、劇映画はこれが2本目とのこと。企画が始まってから10年以上かけて生み出されたというエピソードを聞いたからか、丁寧な映画だな、という印象が残っている。精神病の患者さんたちもスタッフや俳優として参加しているとのこと。ユングとの繋がりは映画に描かれている以上に強かったようで、そこに興味を持ったのだけど、これはユングではなくニーゼの物語だから、という理由で描写は最小限にとどめられている。
 
 
賞は審査員たちが決めるものとして、これが獲るとは意外…と思ったのは、新しさを感じなかったからなのだけど、映画祭は新しさを競う場所でもないものね。ただ私に、映画祭では新しさを感じる映画を観たい欲望があるだけで。今年の特徴なのかどうか、チェット・ベイカーの人生のひとコマ、フジタのパリ・日本時代、ケイロンの「スリー・オブ・アス」」も父親の半生の映画化だし、実話をベースにした映画が増えてきているのか(実話ものは強い、ということか、もしくはフィクションの力が弱ってるのか)、ただそのような映画が選ばれる傾向にあった、ということなのか。去年の東京国際映画祭のグランプリ「神様なんてくそくらえ」は、主演女優が自分の身に起きたことを脚本にし、自分自身が過去の自分を演じる、という映画で、ニューヨークのストリートに生きるジャンキーの物語なんて何ひとつ好きな要素はないけど、観終わってみると、観る機会があって良かったな、と思ったのは、SNSなど、自分の人生の一部を切り取って見せるというこれまで一部の人だけのものだった行為が広く浸透して、誰もが自分を「物語る」ことが普通になり、写真、文章、いろいろ手段はあるけど、自分にはこれができるかな、と思ったものを試してみる延長線上に、「神様なんてくそくらえ」のような映画が生まれるのかな、と考えてみるきっかけになったこと。書いてるうちに「ニーゼ」から遠く離れてしまった気がするけど、実話の映画化が多い(多く選ばれた)こととそう遠くもない気もする。
 
 
 
 
Q&Aは監督とプロデューサー。 言葉を選んでゆっくりしっかりと話す方だった。この映画で私が好きだったのは、精神病棟で描かれた絵画が病院の外へ出て、有名な美術評論家の口添えで美術館で展示される、オープニングの日で物語が閉じるのだけど、立役者として壇上に上げられたニーゼが、所在なさげな表情を浮かべること。彼女にとって芸術療法の試みは始まったばかりで、華やかな壇上は到達点ではない。どうして自分はここにいるのかしら…?という表情のように私には見えて、この女優さんがニーゼを演じてくれて、だから私がニーゼを忘れずにいられる。知ることができて良かったなぁ、と思った。

 

2015-11-23

TIFF2015 / スリー・オブ・アス

 
 
東京国際映画祭の記録。6本目はコンペからフランス映画「スリー・オブ・アス」。作品解説はこちら。
 
 
 
イラン南部に暮らす大家族で育つ主人公・イバットはやがて反政府運動に興味を持ちリーダー格として投獄される。出所して出会った女性と結婚、子供が生まれ、やがてイランを離れフランスに亡命する。監督・主演はケイロンというフランスで人気のスタンダップ・コメディアンで、これが監督第1作。主人公イバットはケイロンの父で、ケイロンが父を演じる。これは家族の物語で、政治的背景から国を越えた移民の物語でもある。
 
 
本国フランスでの公開が間近に迫っているとのことで、コンペにしては珍しく誰も来日しなかったかわりに、上映前にケイロンからのビデオメッセージが上映された。iPhone画面を見ながら日本語に翻訳された言葉を日本語で懸命に読むケイロン…始まる前から笑いを誘って、まずは掴みはOK!という期待で映画が始まる。
 
 
コメディアンとしてのケイロンの芸風は、ネガティブなこともシニカルな笑いに変換する、というものらしく、政治への風刺も含まれるらしいのだけど、両親の歴史はあまりに重く、笑いに変換するのは難しいから映画にした、ということらしい。国を越えるまでの過酷さ、特に越境の山の場面や、中間地の市場の片隅の公衆電話からイランに残る両親に無言の電話をかける場面の美しさ。パリに着いてから現地化していくまでの過程も丁寧に描かれており、笑いもあって音楽もテンポよく…なのだけど、何があっても家族3人笑っていれば乗り越えられるよね、というメッセージのウェルメイドにまとまりすぎのきらいがあり、東京国際のコンペより、フランス映画祭のオープニングが似合いそうな映画だと思った。後半は自分たち家族以外に、家族が関わることになる移住した一帯の様々な社会問題を網羅しようとしすぎて散漫になった印象。

 

2015-11-22

TIFF2015 / tangerine

 
東京国際映画祭の記録。5本目、ワールド・フォーカス部門からアメリカのインディーズ「タンジェリン」。作品解説はこちら。
 
 
 
舞台はLA、ノースリーブで過ごせるクリスマスイヴ。ドーナツショップでドーナツを分け合うトランスジェンダーの2人。出所したばかりのシン・ディは不在の間、恋人が女と浮気したとの噂に大騒ぎ、アレクサンドラはその夜に小さなライブで歌う予定で気が気でない。彼女たちがたむろする界隈を行き来するタクシードリライバーを巻き込み、物語はけたたましくクリスマスイヴの夜に雪崩れ込む。

 
 
数行の作品紹介だけ読んで、迷わず前売りを買ったのは、撮影に興味があったから。全編iPhone5S…おそらく撮影当時の最新機種がそれだったのだと思うのだけど…で撮られている。実際には、iPhoneにアナモレンズを装着し、ピントを固定するためのアプリも使って撮ったらしいのだけど、素人にも簡単に揃えられる道具で作られている。ヒルズのどのスクリーンだったか、巨大ではないけどそれなりの大きさのあるスクリーンで観ても、さすがにフィルムほどの深みはないものの、見劣りする画像で物語に集中できないということはなく、iPhoneと知らなければ気づかなかっただろう。
 
 
など、手法ばかりで気にしてしまいがちなのだけど、「タンジェリン」は、映画の骨格をきちんと作ることができる人が、その映画にふさわしい道具を選んで撮った映画なのだと思った。誰でも手に入れられる道具だけど、誰もがこの映画を撮ることができるわけではない。当たり前なのだけど、その壁の厚さよ。
 
 
 
 
主役2人はストリートで監督が見つけてきた人たちだから本職の俳優ではない。巨大なカメラを構えられるより、動画を撮ってSNSに投稿、とばかりに身軽なiPhoneは彼女たちの緊張もほぐし、ナチュラルな表情を引き出す最適の道具。Fワード連発の威勢の良さをキープしたまま時間は流れるけど、途中、彼女たちがその生き方を選択し体現したことで日々遭遇する受難についてもきっちり描いている。クリスマスイヴなのにドーナツを半分こするしかないぐらいお金はないし、安定した愛情を注がれることも難しいけど、アレクサンドラのささやかなライブに遅れそうになって獰猛に引き返したり、長い一日の最後に辿り着くのがコインランドリーであっても、広い街で無二の親友と出会えた2人だから、クリスマスイヴの夜更けもまた幸福感で包まれるのだ。そして一番の受難はドーナツ・ショップの店員とも言えるね!
 
 
 
 
iPhoneを構える監督、ショーン・ベイカー。 去年、東京国際映画祭のグランプリ上映でも思ったけど、アメリカのインディーズ、観る機会がありそうでなかなかない。この監督の次の映画も観てみたい。古い、傷ばちばちのモノクロクラシック映画などうっとり観ていると、もう映画はこの深みを失ってしまったのだわ…と思いもするけれど、昔の人はきっと想像もしなかった道具が生まれて、こんな新しい映画にも出会えるのだから、進化は手を広げて受け入れるべきなのだ。

 

 

 

 

2015-11-21

Filmex opening

 
 
東京フィルメックス開幕。今年はチケットもペーパーレスになり、開会式も日劇で、雰囲気が違うなぁ。
 
 
審査員、左端の方はフランスでジャ・ジャンクーなどを配給している人とのことで、「長江哀歌」をパリで観られてとても嬉しかった私は、あなたでしたか!ありがとうございます!という気持ちで拍手を送った。フランス映画ばかりでたまにはアジア映画を観たいよ…と意気揚々と観に行ったのだけど、ジャ・ジャンクー映画ってだいたい中国の地方が舞台だから、訛りがきつくて聞き取りにくく、フランス語字幕と往復しながら観て、一瞬、北京語を話す人が出てきた時は、そこだけ違う映画のようにくっきりと耳に飛び込んできたのだった…。
 
 
オープニングは園子温監督「ひそひそ星」、昔の園作品のようだわ…と感慨深い。東京国際映画祭の記録を早く終わらせて、フィルメックスの記録もしなければ。いつになるのやら。

 

 

2015-11-20

Today's film

 
 
今週は打ち合わせに次ぐ打ち合わせに次ぐ打ち合わせの週で、息切れ気味にラスト1本、早稲田松竹に駆け込むと、映画は五臓六腑に染み渡った。カサヴェテスのジーナ・ローランズものというと、みんな「グロリア」の話をして、以上。という感じだけど、私が一番好きなのは「オープニング・ナイト」なの。そしてカサヴェテスで一番好きなのは「フェイシズ」だな。3年ぶりほどに観た「オープニング・ナイト」が3年前より染みたのは、自分も3年分、老いに近づいたからかしら。Bon week-end!

 

2015-11-19

TIFF2015 / さようなら

 
 
東京国際映画祭の記録、3本目、コンペの日本映画「さようなら」。アンドロイド女優が出演することで話題の1本。作品解説はこちら。
 
 
 
原発事故のあった日本の自然豊かな場所で、アンドロイドと暮らす外国人女性は幼い頃から病を患っている。日本人は難民として認定された者から外国に移住していくが、順番があり、何らかの理由がある者…たとえば前科のある人間などは順番が遅く、移住できるかどうかもわからない。周りから人が徐々に減っていき、やがて女性はアンドロイドと2人、家に取り残されて…。
 
 
平田オリザのアンドロイド演劇は15分と短時間らしく、それを映画に引き延ばしたもの。想田和弘監督が平田オリザを撮った観察映画「演劇1」「演劇2」を何年か前に映画館で観て、その中にアンドロイド演劇の稽古風景が映っていた。小津演出のように細かく、セリフの速さや遅さ、何秒、間をあけるかなど精緻に作りこんでいく。アンドロイドに対してそのよう演出をしているのが興味深かった。
 
 
「さようなら」は、死が近づきつつある人間と、死の概念のないアンドロイドの共生の物語で、詩の引用が長すぎる印象があったり、間延びしているように思える場面が続いたり、もう少しタイトな編集ならもっと面白かったかも…と思ったけど、描かれている世界は面白く、このような日本映画が存在すること自体がとても嬉しく思えた。アンドロイドはソーラー発電式なのか、電池が切れそうになったら自主的に外に出て充電している場面があったので、何かが致命的に壊れない限り永遠に生き続けるのだろう。人間に死が訪れた後、死体が白骨化するほどの長い時間が経過してもアンドロイドは老けることもないけど、衣服や髪は人間の手で整えられていたから、その部分が次第に劣化していった。アンドロイドは人間によって生み出され、手入れされる存在なのだな。
 
 
景色を見ながら2人が話す場面は、アンドロイドが理解する「美しい」という概念は、そもそも人間が教えたものだから、概念は理解していても「美しい」という感情はわからない、という場面や、見たことや覚えたこと、一度インプットしたことをアンドロイドはデータベース化し、それは永遠に記憶し、必要に応じて取り出したりするもので、忘れるという概念がないということに、確かにそれは便利で、そして不便なことだなぁ、と思った。私は記憶力が良いほうで、時々そのことがとても辛い、ということを知っているので、自分なりにコツを見つけて忘却の努力をしている。自分の身に起こったことをすべて記憶しなければならないなんて、永遠の命が与えられたとしても、それだけでアンドロイドになりたくない。人間とアンドロイドをさりげなく対比しながら、アンドロイドは人間があって初めて成り立つ存在なのだな。と、この映画を観るまで考えもしなかったことを考えた。、
 
 
 
 
上映後のQ&Aは左から、アンドロイド研究者の石黒浩教授、アンドロイド女優・ジェミロイドF、人間の女優ブライアリー・ロング、深田晃司監督。石黒教授のお話が興味深くて、アンドロイドは人間の写し鏡で、人間に興味があるからアンドロイド研究をしている、というようなことをおっしゃっていたように思う。石黒教授のお話、Webで検索していくつか読み、どれもどれもとても面白かった。本を読んでみようかな…。そして女優賞を狙いたい、というなかなか野心的なジェミロイドFさんのインパクトと、石黒教授のインパクトが強烈でその他の話はたいして覚えていない。
 
 
「さようなら」、11/21から公開。

 

 

 

2015-11-18

un journal

 
 
映画祭記録は1回お休み。今日、打ち合わせ場所に移動していたら早く着きすぎ、時間をつぶすのに他に選択肢がなかったので豊川稲荷に初めて足を踏み入れた。大きな狐の石像があった。参拝者用の喫煙スペースは近隣の会社員たちの喫煙スペースになっており、意外に混んでいた。みんなエアーポケットのような場所をよく知ってるものだな。
 
 
 
そしてぼんやりとクリス・マルケル「サン・ソレイユ」を思い出したのは、あの映画にもふらっと寺社仏閣に迷いこむ場面があったからかしら。招き猫が映っていたように思うので豪徳寺だろうか。ずいぶん前に観たきりだけど、ふと観たくなった。
 
 
東京国際映画祭の記録、観た順に書いているので、次はアンドロイドが登場する日本映画「さようなら」なのだけど、上映後のQ&Aに登壇された石黒浩教授、見た目のインパクトは今年見た人の中で抜群だったことを映画の印象より先に思い出してしまう。そしてQ&Aでの教授のお話は素晴らしく、監督が何を話していたかさっぱり覚えていない。明日は書けるかな…
 
こんな方だったのでした

 

2015-11-17

TIFF2015 / Born to be blue

 
 
東京国際映画祭の記録。3本目。コンペから「Bone to be blue」、イーサン・ホークがチェット・ベイカーを演じることで早くも話題になっている1本。コンペティションにこれが入ることの違和感は観終わった後も抜けなかったけど、コンペの贅沢なところは六本木ヒルズで一番大きく環境の良いスクリーン7がメイン会場であること、なので、公開されてもきっとあんなに大きなスクリーンでは観られないこの映画を、スクリーン7で観られて幸せだった。音響も最高。
 
 
チェット・ベイカーの人生を忠実に追うのではなく、きっと数年、ほんの一部を取り出して描いている。ドラッグがらみのトラブルで歯を折る負傷によりミュージシャン人生を中断せざるを得なくなったチェットは、同時に撮影していた半自伝映画の相手役、元妻を演じる女優と恋に落ちる。彼女はチェットの更生を献身的に支え、ドラッグもやめ、以前のようにとはいかなくても、以前より深みを増した演奏をできるようになり、やがて復活の夜がやってくる…
 
 
作品解説はこちら
 
 
イーサン・ホークの映画をつぶさに観ているわけでもないけど、リンクレイターを観るとだいたい出ている俳優でもあるのでそれなりに観ているとして、私が観た中ではベストアクトではなかろうか。最後、復活の夜の場面に、積み上げられた細かなディティールが集約されて流れ込み、ミュージシャンとして、愛を求める男として、何かしらの変わり目、分岐点になる数分を固唾をのんでじっと眺めるのみ。エンドロールが流れ始めるとほろ苦さと恍惚が同時に押し寄せてきて、それはチェット・ベイカーの音楽を聴いている時の気分に酷似していた。音楽に選ばれ、音楽に取り憑かれてしまった人間が選択できる道筋は少なく、険しいのだな。
 
 
 
Q&Aは左から監督、プロデューサー、音楽担当(ジャズミュージシャンでもある)。監督は過去にもチェット・ベイカーの死にまつわる映画を撮り、また学生時代に作った最初の映画もジャズの映画だったそう。イーサン・ホークのキャスティングは、トロントで別の映画の撮影をしていたイーサンに会うチャンスがあり、イーサン本人もルックスが似ていることからもチェットに前から興味があり、15年ほど前、リチャード・リンクレイターとチェット映画を作る企画が持ち上がり、それきりになっていたらしい。映画の準備としては幸運なほどたっぷりと準備時間があり、半年間みっちりトランペットの指づかいや歌のトレーニングをすることができた。そう、歌はイーサンが歌ってる!私はそれを知らなかったので、これは誰の声なのだろう?チェットの声に似てるけど違うような…と思っていたのだった。チェット・ベイカーの声は独特だし、映画はモノマネコンテストではないので完全に似せる必要もないけど、イーサン・ホークの声と、チェットのあの歌唱法が混じり合って、上手・下手ということはよくわからないけど、もう最高だったとしか言いようがなかった。
 
 
イーサンは脚本にも協力し、ジャズについても意欲的に学び、何よりも情熱的だったことが映画に現れている。現場ではエキストラひとりひとりと握手したり、ゲストと事前に打ち合わせするなど、製作側の意識も持っていた、とのこと。
 
 
そしてチェットが地元に帰り父親と話すシーンがあるのだけど、父親役は監督の過去のチェット映画で、チェットを演じた俳優なのだとか!2人の並ぶ佇まいが良かった。
 
 
監督はチェット・ベイカーを多面的な存在と捉えており、立体的に描こうとした。イーサンもナイスガイなので、演じる彼自身のそんな部分とダークなだけではないチェットが混じり合ったと思う。バイオグラフィーを読むとドラッグなどさんざん書かれているが、何より音楽好きでメランコリックなミュージシャンだと思う、とのこと。
 
 
音楽担当の方は、ニューヨークであったプレミアで、偶然隣に座ったのが80年代、チェットのマネージャーをしていた女性で、当時チェットのことが大嫌いだったけど、この映画を観て少しは彼のことが理解できた気がする、との感想だったらしい。そんな映画のような偶然ってあるのだな!そしてそんな身近だった人にそんな感想をもたらすこの映画よ。映画で使われる音楽の演奏も、チェットと共演した経験のあるミュージシャンが何人か参加しているのだとか。
 
 
それにしても難しい映画の多いコンペ会場には珍しいほど女性の観客が多く、質問も「イーサンのファンなのですが…」から始まるものが多かった。誰でも平等に年を重ねていくけど、イーサン・ホーク、今でも時々はっとするほど美しい角度もあり、そして時を重ねた人間独特のグロテスクさもあって、容貌ひとつとっても、俳優の年の重ね方として理想的ではなかろうか。これまでよりこれからのほうが様々な役柄を演じていける人なのだろうと思う。公開が決まったらしいこの映画について、私は周りに、イーサン・ホークがとにかく素晴らしいから、チェット・ベイカーに興味がなくても観てみて、と言うだろう。

 

2015-11-16

TIFF2015 / 地雷と少年兵

 
 
東京国際映画祭の記録。1日4本の日!の1本目はコンペから「地雷と少年兵」。朝イチの上映がこれって…と気が重かったのだけど、眠気なんて見事に吹き飛び…。デンマーク・ドイツ合作、監督はデンマーク人。
 
作品解説はこちら
終戦直後、デンマークの海岸沿いに埋められた無数の地雷の撤去作業に、敗残ドイツ軍の少年兵が動員される。憎きナチ兵ではあるが、戦闘を知らない無垢な少年たちを前に、指揮官の心情は揺れる。憎しみの中、人間に良心は存在するか? 残酷なサスペンスの中で展開する感動のドラマ」

 
戦争が終わる日、というのはあるけれど、終わったその日に全ての後始末が終わるわけではない。そしていろんな国の映画を観ていると、隣り合う国には必ず敵対感情が芽生えるのだな、と思う。日本は言わずもがな、「ライアンの娘」を観るとアイルランドの人々はイギリスが嫌い、という描写だったし、距離が近づくと愛も生まれれば憎しみも生まれるのだなぁ…「近い」って…。デンマークに縁もなかったのでその国の人々が隣の国にどんな気持ちを抱いてるか考えたこともなかったけど、監督によると、隣国とは奇妙な関係、特にこの映画の舞台になったような湾岸部では。若い世代は乗り越えているが、デンマーク人のパーティーにドイツ人が混じるとイヤな思いをしたりすることもある、とのこと。
 
 
少年兵たちはほぼアマチュアで、キャスティング担当の女性が学校や街で探してきてもらい、ストーリーに興味を持ってもらうために、少年全員に脚本全部を読んでもらったとのこと。フィクションだが実話をもとにしており、これまであまり語られてこなかった史実で、お墓や病院に断片的なメモは残っているが、まとまった資料はないのとこと。戦争を経験した世代の人々はサイレントジェネレーションと呼ばれている、多くを話さない世代であることも背景にあるらしい。
 
 
海岸に埋められた地雷を少年兵たちがひとつひとつ手作業で除去していく。海、浜辺、少年兵、軍曹。シンプルでささやかな映画だからこその緊張感に満ちており、少年兵が1人消えていくたびに(本当に跡形なく消える)、この映画が早く終わりますように、彼らが家に帰って母親の作った料理を食べたり、年齢にふさわしい可愛らしい恋をしますように。と祈らずにいられなかった。デンマークの鬼軍曹が厳格であらねばならない立場と少年兵への増していく愛着の間に苦悩の表情を浮かべることや、走っていくふわふわの犬、迷い込んだ少女、爆発の場面で思わず、あ!と声をあげたことなど、映画の断片が私から離れない。
 
 
 
 
Q&Aは左からプロデューサー、俳優(鬼軍曹)、監督。監督は、映画はどうしても自国にとって良いストーリーにフォーカスしがちだけど、ダークサイドも見せたいと思った。目には目をという行動は誰にとっても良い効果はない。誰もが、自分がこう扱って欲しいという方法で他人に接するべき、と話していた。そして鬼軍曹の素顔は明るそうなナイスキャラだったので役柄とのギャップに驚き。俳優って素晴らしい。この映画は映画祭直前に配給が決定したそうで、公開されたらまた観たい。この後もコンペをたくさん観た私は、グランプリはこの映画だと確信していたのだけど違った。主演俳優賞は鬼軍曹と少年兵の1人がダブル受賞。私の中ではコンペで一番素晴らしいと思ったので、グランプリ上映で、スクリーン7で観たかったな。

 

2015-11-15

TIFF2015 / ぼくの桃色の夢

 
 
東京国際映画祭の感想記録スタート。フィルメックスまでには絶対、書き終わらないと断言…
 
 
1本目、コンペから中国映画「ぼくの桃色の夢」。ハオ・ジエ監督。各国から来たオリジナルポスターが楽しみなのだけど、この映画はいかにも中国大陸っぽいデザインで…。タイトル、字幕だと「我的春梦」( 梦=夢)だったと思うのだけど、ポスターだと「我的青春期」になってるのは、ちょっとエロティックなニュアンスのある「春梦」がもしや当局の検閲に引っかかったなどの理由だろうか。
 
 
あらすじはこちら
 
中国の農村、少年は学校に入学し、親元を離れて共同生活が始まる。成績順に寝床の位置も決まり、狭い面積に何十人もがひしめきあって眠る。同級生の少女との初恋は実るが、やがて別れ、偶然観た映画に惹かれた青年は一路、北京を目指す。中国一の映画の名門・中国電影学院に入学し、めきめきと売れっ子になった男は、初恋の女と再会し…。という物語が、性への目覚め、80年〜90年代の中国の変化を背景に描かれる。
 
 
 
 
監督のプロフィールはよく知らなかったのだけど、映画監督の青春期の物語だから、監督自身のことなのかな?と思えば、後のQ&Aで「80%以上、自分の話」と答えていたので、なるほど。ハオ・ジエ監督は「80后」、1980年以降生まれと呼ばれる世代で、一人っ子政策ゆえ子供はちやほや育てられ(小皇帝、という言葉もあり)、教育改革で農村の子供も成績次第で大学に進学できるようになったり、同時に経済の急成長があったり、わがまま、ゆとり的な批判を受ける世代…の監督で、中国のそのような背景も映画に盛り込まれており、大学に行くと決まった青年を、農村のみんながパレードのように誇らしく送り出す場面など興味深い。
 
 
少年期、高校時代、成人後の3つのパートから成り、主人公は2人の俳優、初恋相手は1人の女優が演じている。女優が変わらないことで映画のまとまりはあるものの、溌溂とした少年期、恋愛と苦悩の高校時代、最後の成人後は現実味溢れるほろ苦いトーンからいきなりシュールな超展開を迎え、最後はポカーンとした。鈴木清順のような超展開だった。監督によると3つのパートで作風が違うのは、主人公自身も変化していくから、という理由らしい。
 
 
私は詳しくないのだけど香港ノワールの主人公の名前が使われていたり、青年が映画に目覚めるきっかけが「マレーナ」だったり、と映画監督の半自伝的映画なので映画モチーフも散りばめられ、「マレーナ」を選んだのは当時の中国で大ヒットした映画で、「自慰すら健康に悪いこととして禁じられていた世代。マレーナは衝撃だった」とのこと。へええ。
 
 
 
 
写真左が監督、右は主演の2人。上戸彩と裕木奈江とビビアン・スーを足して割ったような女優さん、可愛い!小学生から成人を1人で演じることについては、成人後のほうが年齢が遠いので人間観察したり人の話を聞いたりして役作りをしたのだとか。監督自身も出演していて、たぶん電影学院の寮で主人公の隣に住んでた人…のはず。主人公に映画の知識を与える理屈っぽいシネフィルだったような。
 
 
東京国際映画祭でここ数年、何本か中国映画を観ていて、90年代後半あたりの学生生活を振り返るような青春映画が多い気がするのは、その後あまりに変化した中国にとって、その時代は既にノスタルジアを感じるということなのだろうか。この夏久しぶりに北京に行ってみて、もう自分が過ごした頃ののんびりした、空の青い北京なんてどこにもなくて、過去のものなのだなぁ、と思ったことと重なった。友達にも、あなたがいた頃の北京は毎日空が青かったけど、最近じゃ青い空なんて滅多にお目にかかれない。って言われたし。電影学院、行ってみたいと思いつつ今回も時間が足りず行けなかったので、この映画で内部を案内してもらって観光気分。ハオ・ジエ監督の映画は性がテーマのものが多いらしく、過去のものも、これからのも観てみたいと思った。

 

 

 

2015-11-14

Rope / un journal

 
 
ヒッチコック「ロープ」(1948年)…面白かった!ヒッチコック初のカラー作品ということで色も綺麗、スクリーンで観たいなぁ。興味は「ヴィクトリア」から派生するワンシーン・ワンショットもの、という点だったのだけど、途中からそこに注目するのを忘れ、物語の厚みに惹かれた。ヒッチコックの中でもかなり好きなほうかもしれない。
 
 
ハーバードの学生2人が、男(同級生?)をロープで殺す。動機はなく、ただ完全犯罪を成し遂げたい欲望から。死体をチェストに隠し、その上にクロスを敷いて犯行のあった部屋ですぐにパーティーが始まる。招かれるのは殺した男の父親、恋人、恋人の元彼など。完全犯罪の達成を信じて疑わない2人は、その異様な状況すら楽しんでいるのだ。やがて彼らの恩師である教授が登場し、彼らの言動に不審さを嗅ぎ取る…。
 
 
ニーチェの超人思想が下敷きになっており、教授はそれを2人に教え、パーティーの場でも集まった客たちに説く。2人はその教えの歪んだ実践者で、世の中には法をも超越した超人が存在するのであり、すなわち自分たちは超人なのだから、殺人の事実も超越し、完全犯罪を成し遂げる、という自信に満ち溢れている…のが崩れていく。この物語は20年代、実際にあったローブ&レオポルド事件を戯曲化したパトリック・ハミルトン「Rope end」の映画化で、犯人たちも超人思想に傾倒していたが、浅はかなことにあっさり逮捕された。
 
 
映画としては、戯曲の映画化、ということで、ヒッチコックのセット好き・ロケ嫌いがふんだんに活かされており、マンハッタンの眺めの良いアパートの上階、3部屋ほどの住居が舞台。カメラはその中を移動する。当時の撮影の制限上、つまりフィルム撮影の上限時間が10分程度でどうしてもそれ以上の長さを続けては撮ることができないことから、80分ほどの物語、長回しショットを何本か繋げてワンシーン・ワンショットふうに仕立てている。そのシーンの繋ぎを「今だ!」と宝探しするのも楽しく、カメラが背中にぶつかった風(スーツのジャケットの濃色)のショットで繋ぐパターンは、何回か発見した。「ヴィクトリア」のような映画が生まれるのも、手持ちカメラでデジタルで撮る時代になったからだね…と、ヒッチコックの試行錯誤が楽しい。
 
 
 
セットも良くて、サンルームのように窓面が多い部屋の、窓の外のマンハッタンの風景が、犯行時刻の夕方から、80分の時間の経過につれて日暮れ、夜に色を変えていく。これもセットだから窓の外も書き割りなのだけど、書き割りならではの色使いがいかにも古い映画の色で素晴らしい。最後のシーンの色彩のかっこいいこと!死体の入ったチェストを、家事手伝いのように働く老婦人が開けそうで開けないシーンのカメラの位置も絶妙!
 
 
そしてキャスティング。その後、ヒッチコック映画常連になるジェームズ・スチュアートとの初タッグとのことだけど、この映画にはジェームズ・スチュアートより似合う俳優がいたのではないか…と思ったのは、本当はもうちょっと妖しい物語で、ジェームズ・スチュワートでは色気が足りないのでは…と思っていたのだけど、実在した2人は同性愛関係にあり、さらに教授とも関係があった説があるらしく、戯曲もそれを忠実に表現していた(お互いを my dearと呼び合うセリフもあるらしい)けれど、映画化にあたってその表現は当時不可能ながら、オファーした何人かの俳優が戯曲のイメージから断り、最終的にジェームズ・スチュワートに落ち着いたとのこと。なるほど!
 
 
さらにさらに、この事件はその後、何度も映画化されていて「強迫/ロープ殺人事件」では、教授役をオーソン・ウェルズが演じているらしい。観たい…!ヒッチコックの中では実験的映画と捉えられているらしく評価は必ずしも高くないらしいのだけど、私は、短いのにずいぶん見どころの多い映画だったな…と大満足した。単にワンシーン・ワンショットものに弱いのかもしれない。
 
 
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写真はずいぶん前になったけど、1ヶ月だけ住んだ部屋から見えた景色。この後もっと街中(3区)に引っ越した。週末は遠くの街の友達に安否確認メールを送ることから始まった。11区に住む友達は、銃撃直後の時間、仕事場から自宅に戻るべく歩いていて、アパルトマンのドアを開ける直前に電話で知ったらしい。銃撃のあった場所数カ所を線で結んだ中心あたりに友達の家があって、google mapとリベラシオンのTwitterで見つけた地図を照合させると、どの場所にも200mほどの近さでゾッとした。朝からずっと胸が痛んでる。

 

2015-11-13

un journal

 
 
は。ようやく金曜夜にこぎつけた。風邪ひいたり何だったり心身忙しかった今週、カフェインを欲するか否かが健康のバロメーターで、月曜朝に欲しくならなかった時、あれ…体調…?と思っていたらあれよあれよと崩れ、持ち直してようやく今週1杯目のコーヒーをおそるおそる飲んだの、金曜夕方だった。
 
 
映画祭で観たワンシーン・ワンショットのドイツ映画「ヴィクトリア」、映画史上のワンシーン・ワンショットもの、「エミルタージュ幻想」や、ワンショットふうの「バードマン」などが引き合いに出されるけれど、その中で観ていなかったヒッチコック「ロープ」をDVDで観て今週を締めくくらんとしているところ。この映画について何も調べずに観ようとしているのだけど、ポスターや撮影時の写真を検索してみると、ロープが登場するから、タイトルどおりロープの映画なのだね…。そんな程度の事前知識で、平日を締めくくるべく。bon week-end!

 

2015-11-12

Pillow talk

 
 
フィルメックスが始まるまでに、東京国際映画祭で観た映画について書き終わりたいのだけど、いかんせん体力が足りない。映画祭直前の数日は体力温存のためにお出かけは極力少なめに、家でのんびりしていたのだけど、その時に観た映画。
 
 
amazonプライムビデオ、もともとプライム会員だから月会費も要らないし、昔の邦画が豊富でいいわぁ…と思っていたのだけど、いつでも観られるものは案外観ないもので、有料のほうはどんなラインナップなのかな…?と出来心で覗いてみたら、さすがにそちらはさらに充実していた。
 
あ!これあるのか…!と驚いて、有料ながら数百円払って観たのが「夜は楽しく」。1959年、マイケル・ゴードン監督のロマコメ。ドリス・デイとロック・ハドソンの初共演映画。
 
 
想像以上に良かった…!オープニングから、それぞれのベッドに寝転んで、枕をお互い投げ合う映像。シネスコ画面で、色も綺麗、ドリス・デイの衣装も素敵で…これ、大画面で観たいなぁ。リバイバルしてほしい…!
 
 
 
ドリス・デイは売れっ子インテリアデザイナー。ロック・ハドソンは作曲家。2人は会ったことがないものの、同じ電話回線を2人でシェアしているという関係。信じられないけど、電話の普及当初ってこんな感じだったのかな。ドリス・デイが仕事の電話も受けなければいけないのに、女好きのロック・ハドソンがいつも女と長電話してるので電話を使えない。同じ回線であればどちらかが話していれば、もうどちらかはその内容を聞けるらしく、イライラしたドリス・デイがいい加減に電話切ってよ!と割り込んだり。プライバシーなんてあったもんじゃないね…。
 
 
やがて2人は対面することになり、お互いを気に入りデートするものの、男のほうはプレイボーイであることがばれてしまうので正体を明かせない…という展開。
 
 
 
50年代終わりのカラフルなアメリカが目に楽しい、ドリス・デイの歌も聴ける…ということに加え、脚本が素晴らしい。筋書きはシンプルなロマコメながら、セリフにウィットが効いていて。ドリス・デイは仕事を追いかけているうちに当時としては珍しい30代後半の未婚の女性になった…という設定なのだけど、ロック・ハドソンが彼女を欲求不満、とからかう時の表現が「bedroom problem」だったりして。助演陣も確かな演技の俳優揃いで、この映画…ただの明るく可愛いロマコメではないな…と調べてみたら、オスカーにもたくさんノミネートされて、脚本賞をとったとのこと。私はロマコメは映画の花である。と、大好きなのだけど、周りにロマコメアレルギーの人が多く、そんな人々にも薦められるロマコメを目を光らせて発掘しているのだけど、この映画はそんな1本かもしれない。この映画を皮切りに、何本か作られた主演2人の共演映画(もちろんロマコメ)も続けて観てみたい…!

2015-11-11

2016 calendar

 
 
月曜から始まった風邪はしぶとく、夜にかけて微熱発生、朝になって落ち着くものの…の繰り返し。よれよれしながら帰宅し、ポストを開けると角川映画から封筒が。!!! 夏、連日通った若尾文子映画祭のスタンプラリーに参加して応募したら…当たった!2016年の卓上カレンダー。非売品だそうです。
 
 
カレンダーの構成もしっかり考えられていて、1月はお正月らしく「初春狸御殿」、6月は「最高殊勲夫人」(ジューンブライド!)、7月は「浮草」(みんな浴衣を着てるから夏の映画)、8月は爽やかに「青空娘」、秋はしっとりと艶やかな映画が並び、12月は「ぼんち」‼︎ 12月生まれなので、大好きな「ぼんち」が誕生石、誕生花ならぬ誕生映画で嬉しい…!これで来年は1年、若尾文子さんと一緒。ポストカードサイズなので、1ヶ月しっかり飾った後は、切手貼って誰かに送るのもいいかも。
 
 
そして同封いただいたチラシは、年末年始の若尾文子映画祭アンコール上映
 
 
来年の市川崑監督特集のものも、まだ手にしてなかったので送っていただけて嬉しいな。さすがに8割以上はすでに観ていると思うのだけど、デジタルリマスター版の「おとうと」なんて、とっても綺麗でしょうね。そして「あなたとわたしの合言葉 さようなら、今日は」は密かに好きで、小津演出を極端にデフォルメしてて奇妙で面白い映画。
 
 
ああ、角川映画さん、ありがとう!年末年始も楽しみにしてます…!

2015-11-10

Whiplash

 
 
「セッション」をギンレイホールで。
 
 
 
 
公開時に話題になってた映画だったけれど、その時、他の映画を観るのに忙しかったので後回しにしていたもの。アメリカで一番の音楽院に入学したばかりのドラマーが鬼指導官に出会い、常軌を逸した指導を受ける。
 
 
映画自体はなかなか面白くて、あっという間に終わるのだけど、観終わってみると、ブラック企業をとりあげたプロフェッショナル・仕事の流儀を観た気分に。不愉快というほどではないけど、違和感はたくさん残った。
 
 
・聴覚があまり発達してない自分なので、映画を観ていても音楽はほとんど耳に届かず、名曲喫茶に自分から入っておきながら「音がうるさいな・・・」と思うほどの酷さなのだけど、それでもたまには、偶然聴いた音楽に身体ごと持っていかれるような経験もしており、しかしこの映画の音楽、主人公たちが流血しながら必死に奏でてる音楽が心に届くことはなかった。
 
 
・それは何故?あの主演俳優は何?と考えていて、演奏ができる人に演技をさせるのじゃなくて、演技ができる人に演奏を覚えてもらう、という方式で選ばれた人だから何か月か文字通り血のにじむ努力をしても、それはアマチュアの域を出ないのは当たり前なのでは・・・?その点と、「アメリカで一番の音楽院で、さらに選ばれし人々の集うバンド」という設定が感覚上相容れない。
 
 
・鬼指導官にしても、ジャズバンドの指揮ってあんなんだっけ?と思うこと多く、映画はそこを強調するもの、と理解していても、演奏中にあまりにドラムにばかり近寄りすぎないのでは。
 
 
・そして最後のシーン、表面上和解したかのように見える鬼指導官から、まさかの梯子はずしがあるけど、いくら憎い相手を陥れるためだとしても、本番のステージであの振る舞い、あなたは音楽を愛しているのですか。バトルは場外でしろ、観客を何だと思ってるんだ。このあたりは鬼指導官の、指導に対する偏った情熱ばかりピックアップされて彼らがそれでも音楽を愛する理由、についての描写が足りなかったのかもしれない。
 
 
・と、つらつら違和感ばかりあげつらうのは、目指す高みに到達するために、あのような方法しか選べない人々を2時間近く観るのは、ルビッチ派の自分にはなかなか辛かったからかしら。でも、これだけ違和感を感じながらも面白みは感じる。音楽的高揚はなく、キャラクターにも魅力は感じないけど、よくわからないけどちょっと面白い。撮影も、ところどころベタすぎて笑っちゃうシーンもあって、若気の至り(監督は若い!)のエネルギーは楽しかった。この監督、次はどんな映画を撮るんだろう。
 
 
・公開時に話題だった音楽家・映画評論家のバトルについては、観終わった後にさらっと読んだ。それぞれ主張の軸足が違うので、永遠に噛み合わないのだろうけど、最後のほうは、いい大人の男たちが「あなたも偉くなったもんですねぇ」とチクチクと映画に関係ない牽制しあってて、内容より態度が残念なぐらいみっともないわ。みっともないのはアカンわ、あたしルビッチ派やから。でもバトルのおかげで観に行く人が増えたなら、映画にとって良いこと。
 
 
・「バードマン」は、もう冒頭から音楽が素晴らしかったし、映画祭で観た「Bone to be blue」も設備の良い会場で観たせいか、うっとりする音楽の素晴らしさで、ミュージシャン、プロとアマチュアの壁は厚いのだろうな。プロって素晴らしい。ってそんなオチか。

2015-11-09

Bone fetish memo

 
昨夜、毛布などきっちり敷き、この秋一番暖かい寝床を準備して眠ったのだけど、朝起きると風邪をひいていた。なぜ。今日は手短に書いて葛根湯飲み、すぐ寝る。
 
 
「暗殺の森」を観に行った新宿武蔵野館、あまり行かないのだけど流れる予告編を観ているとラインナップが素晴らしかった。東京国際映画祭で観た日本映画2本はここでかかるし、去年フィルメックスで見逃したものも。そして前情報なかったけど、お!と思う映像が流れてきたのでメモ。
 
 
裁かれるは善人のみ (公開中)
 
予告篇を観ただけだからどのような映画かほとんど掴んでなのだけど、寒々とした海岸に横たわる骨…クジラの骨らしいのだけど…のビジュアルだけで、これは観なければならないと思ったのでメモ。理由もなく骨フェチだから。フェティシズムって理由のないものだと思うのだけど、私の理解は間違ってるかしら。
 
 
 
イライラしながらも「やさしい女」を映画館で3回観たのも、きっと自然史博物館の場面、骨格標本の部屋を歩く場面の美しさゆえだと思う。「ツィゴイネルワイゼン」(骨は登場しないが骨フェチは登場する)に続く骨映画。
 
 
そして昨日、本屋で買った「小泉今日子書評集」(素晴らしい!)を読んでいるのだけど、紹介されていた「白骨花図鑑」(甘糟幸子 著/集英社)という本に興味津々。
 
 
小泉さんの言葉によると「死んでしまった自分の肉体を、様々な植物の種を敷き詰めた山の上の明るい平地に横たえる。いつか植物たちが芽をだして、白骨はきれいな花々に囲まれる。入院中の病室で誰とも言葉を交わさずに、窓から見える空を眺めながらそんなことを考えている老婦人」の物語であるらしい。
 
 
いくつか本を読み終えたら、坂の上の図書館で借りてこようっと。骨のことばかり考えたのは、具合が良くないからかしら。おやすみなさい…。

2015-11-08

Drive in theater

 
 
POPEYE6月号は映画特集で、楽しみにしていたから発売日の朝、開店したばかりの渋谷のブックファーストで買った記憶がある。何故そんな早くに渋谷にいたかというと、ルビッチ特集真っ只中で、連日盛況だったあの特集で確実に席を確保すべく、シネマヴェーラのチケットカウンターが開く前から並んだからだった。
 
 
 
ファッションページも映画をテーマにしたスタイリングで、にやにやしながら隅々まで読みながら、これは!私のために作られたモノである。私はこれを買わなければならない。8月中旬発売予定と書いてあるから、連載を書き終えた記念に買おうではないか!と即断したけれど、夏に楽しく遊びすぎ、連載の最終回を書き終わったのは10月半ば。その間、「いいじゃん、買っちまえよ、まだ書き終わってないけど」と囁く黒マリコを「欲しがりません、書くまでは!」と白マリコが制止。あれ、まだ残ってるかなぁ…と、そわそわしながら有楽町の高架下へ。
 
 
インターナショナルアーケードは、有楽町から新橋までの高架下を繋ぐアーケードで、東京オリンピックの際、外貨獲得のため外国人向けの土産物を売る一画としてつくられた、ということは知っていたのだけど、初めて足を踏み入れた。
 
詳しくはここに
 
 
 
 
新橋まで続いてるのだから、奥は深いはずだけど、用があるのは一番手前の店だった。お店をちらちら覗き込みつつ、明らかに自分がこのテイストではないことを理解しているので、ちょっと入りにくいな…と、行ける範囲で奥まで探検した後に、意を決して入店。
 
 
狭さもうまく使った店内。梯子を使って2階もあるのかな?
 
 
 
ローマの休日のVHSや、cine-kodakの古い看板。
 
 
お目当てのものは店内にはなかったので、店員さんに声をかける。限定生産だったのでこの店では売り切れ、新宿伊勢丹のほうにはあるかもしれない。とのことで、すぐに伊勢丹のショップに電話をかけてくださった。そして、あ!と言いながら梯子を登り…。あった!店頭にサンプルとして出していたものなので、パッケージがないのですが…と。状態は綺麗だし、どうやらもう手に入りにくそうなので、いただきます!とめでたく購入。ぐずぐず書かなかったせいで間一髪だったけど、映画の神様は今日も私に微笑んだ…!
 
 
 
購入したのはシルクのスカーフ。ドライヴインシアター柄の!POPEYEのコメントを引用すると、
 
 
『<ポータークラシック>の定番のシルクスカーフ、今季のモチーフがドライヴインシアターだ。車社会のアメリカには、かつて乗車したまま映画を観られる場所があちこちにあった。「仕事をさぼってでも観に行く」ほど映画好きな吉田玲雄さんがイメージしたのは、そんな月夜のドライブインシアター。「黒いスカーフにしようと考えたときに思い出したのが、いつかメンフィスで通りかかった夜のドライヴインシアターでした」。スカーフの中の作品は克さんと議論。「ジョーズ」や「時計じかけのオレンジ」などを試した中、1936年の「Swing time」がぴったりだった。これは欲しい。』
 
 
これは欲しい!Porter classicがインターナショナルアーケードにあることは知っていて、行ってみたいな、と思ってたけど、普段の自分のテイストから、永遠に買い物することはなさそう…と思っていた。モノトーンのシルクのスカーフ、私の好きな系統だし、何より柄!それ自体が絶滅寸前ということに加え、車に縁のない私にとっての永遠の憧れ・ドライヴインシアター。スクリーンに映るのは大好きなアステアの「Swing time(有頂天時代)」!ちゃんとドライヴインシアターの看板、夜空に浮かぶ月、そして四辺はフィルムリールとフィルムが描かれていて…素敵!
 
 
実物もしっかり素敵だったので大興奮し、スカーフ(大判)と、ポケットチーフサイズの小ぶりなものも両方購入してしまった。選べなくて…。
 
 
 
お会計し、ほくほくしながら外に出ると、大きな映写機が。わ!写真撮ってもいいですか?と店員さんに断ったら、この映写機について説明してくださった。PORTER(吉田カバン)の創設者のお孫さん・吉田玲雄さんはアメリカで映画を学び、ある時ハワイのホノカアという小さな街で過ごした。その時の経験が「ホノカアボーイ」という映画になり、舞台になった映画館で使われていた映写機がこれ。大きな映写機ですね、重そう…と私が言うと、1トンらしいです、と。よく運びましたね…!そしてもう一度店内に戻ってあれこれ撮影させていただいた。
 
詳細はここに
 
 
映画アイテムとしては現在あるものはこのスカーフだけだけど、玲雄さんもお父さんの克幸さんもとにかく映画好きで、例えば店内のBGMに映画音楽や、ジャージーボーイズお馴染みの「フォー・シーズンズ」を流したりするなど、PORTERと映画は密接な関係にあるとのこと。
 
 
そして、このインターナショナルアーケードのお店、インターナショナルアーケード自体が耐震工事を行うため、11月に閉店になり、12月にすぐ近くの銀座ファイヴの2階に移るのだそう。耐震工事を施したインターナショナルアーケードが生まれ変わるのか、それとも壊されてしまうのかは聞かなかったし、詳しいことは調べても出てこないのだけど、今の雰囲気そのままが保存されることなんて、きっと望めないのだろうな。
 
 
消失した映画館について書き終わった私が、記念に買い物したお店も消失して、最後に書いた高架下の映画館のある新橋と、高架下の店のある有楽町はアーケードで繋がってる。どちらも耐震工事のために姿を消した/消す。映画のようによく出来た切ない話だけど、現実なのだった。
 
 

 

 

2015-11-07

昨夜の映画

 
東京国際映画祭が終わり、連載の最終回も更新されて、なにやら季節が変わった感のある昨今、映画祭疲れもとれたことだし、東京の映画館は今日も明日もお祭りみたいだから、そろそろ映画館に復帰せねば…と、金曜夜、新宿武蔵野館へ。
 
 
映画館で観るためにDVDなどで安易に観るのを避けている映画は山ほどあって、ベルトルッチ「暗殺の森」もその1本。他のバージョンを知らないから何とも、だけど、デジタルリマスター版はさすがに鮮やかだった。こういう映画はなるべく良い条件で観なければいけないのではなかろうか。
 
 
感想はそのうち出てくるかもしれないけど、今年は「やさしい女」を3回も映画館で観たので、美しいのに粗末な服しか着ていないドミニク・サンダにどうかふさわしい衣装を!と願っていたところ、この映画でそれは達成されて一安心。三白眼つながり、ということなのか、この頃のドミニク・サンダはジェニファー・ローレンスっぽいなぁ。
 
 
1週間限定リバイバルだったところ、来週まで延長されたもよう。夜に観るのが似合う。

 

2015-11-06

Grindhouse in NY / Taxi driver

 
 
 
観直してみれば「タクシードライバー」は、確かに映画館がよく登場する映画だった。ポルノ映画館のカウンターにいるこの女優(ダイアン・アボット)は、デ・ニーロの元奥さん。
 
 
 
 
 
 
背後にフィルムリール!
 
 
 
 
 
 
上映室のこの雰囲気、新橋文化劇場に似てるな・・・
 
 
 
 
 
有名な「初デートなのにポルノ映画館に誘って、案の定フラれる」の一連の流れ・・・
ポルノは2本立てで、2人が観たのは「スウェーデン夫婦マニュアル」というポルノ。
これは実在のポルノで、日本でも公開されているらしい。
 
 
 
 
 
 
 
劇場の外観
 
 
 
 
 
 
 
しばらくじっと観ていたけど、耐え切れず出ていき、デニーロがそれを追いかける
 
 
 
 
 
いつも来るの?と問い詰められ
 
 
 
 
 
そんなつもりじゃないんだ・・・と弁明するけど、彼女は去ってしまった
 
 
 
 
 
 
映画館の周辺は、街娼がたくさん立っているエリア。
 
 
 
憧れの君、人生で出会った中で最も美しい女性との最初のデートがポルノ映画館、というのは、意味不明すぎて彼女の怒りもわかるのだけど、トラヴィス(デ・二―ロ演じる主人公)はきっと、本当に悪気なく、下心もなく(デートだからもちろんあるのだけど、それ以上の意味もなく)、ただ彼の生活の中で、1人なりにも楽しい時間を過ごしている場所が映画館で、それがポルノ映画館だったというだけで、好きな人と一緒に、自分の好きな場所に居たい、連れて行きたい。という無邪気な行動だったのだろうな。
 
 
ロケ地について、こちらのサイトに詳細あり。このサイトのアーカイブ性、素晴らしい。