CINEMA STUDIO28

2015-11-03

un journal



体力は徐々に回復。フィルメックスのチケットも無事とれた。映画祭期間は気分高揚のせいで1日4本も辞さず、の姿勢が定着してしまった自分が恐ろしい。


映画祭が始まる前、手帳を眺めると朝から深夜まで映画の予定びっしりで心身ともに完走できるのか不安になり、ちょうど手紙を書くために取り出した以前買ったポストカードが、パリのシネマテークで買った「気狂いピエロ」のものだったので、本棚から「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」を引っ張り出しつまみ読む。


「そんなわけで、ラングロワみずからがプログラムを組んでいたシネマテークでは、一日に三本から四本、ときには五本の映画、しかも古今東西の、つまりは年代的にも風土的にもまったく脈略のない異質な作品の数々を、同一の時期に、同一の次元で見ることができた。要するに、いろいろな映画を、ハシゴしながら、チャンポンで飲むようなものだ。悪酔いする人間はもうそれだけで映画ファンの資格はない。作品の時代性、状況性、風土性、その他作品をとりまくありとあらゆる虚飾を剥ぎとって「映画」だけを見ること。極論すれば、映画をひとつの作品として成立させているすべての文脈を剥ぎとってしまうこと ー そのとき、映画は、作品としての存在価値を失い、ただ純粋に映画だけの存在になる。何本の映画を、ハシゴしながら、チャンポンで見るというのは、ファンにとっては、このうえなくすばらしい味のカクテルを ー みずからの心のなかで作って ー 飲むことなのである。個々の作品とその時代性に拘泥しているかぎり、比較や評価が生まれてくるだけで、かんじんの映画そのものがどこかに消えてなくなってしまう。映画そのものに陶酔するためには評価なんて捨ててしまうことだ。そんな単純な映画ファンの信条を私はシネマテークであらためて確認したのであった。」


この箇所に励まされた気分になって、どんな味のカクテルでも美味しく飲んでみせるわ!と映画祭に臨んだのだった。仕事の隙間を縫って映画を観るの、ただ座って観てるだけだけど、なかなかに体力消耗するもので、この言葉がドリンク剤のように最後まで効いていた。




ラングロワ、とはパリにあるシネマテーク・フランセーズの創始者。偉大なるフィルム・アーキビスト。この人がいなければ今日、観られなかった映画は山ほどあり、また生まれなかった映画も山ほどあったのだろう。私にとってはアンリといえば、サルヴァトーレでもカルティエ・ブレッソンでもなく、アンリ・ラングロワのこと。


パリにしばらく滞在した時、身辺落ち着いたらすぐベルシーにあるシネマテーク・フランセーズに向かった。ラングロワ時代はシャイヨー宮にあったシネマテークは、今はベルシーに移転している。受付で背の高いムッシューに「年間パスが欲しいのですが」と伝え、書類にサインし料金を払ってカードを受け取ると、ムッシューは少し芝居がかった口調で「さ、これで手続きは済んだ。シネマテーク・フランセーズにようこそ!」と言ってくれた。ヌーヴェルヴァーグの監督たちも熱心に通った場所で、そんな言葉をかけてもらった喜び。映画好き人生の中でもとりわけ色濃く記憶している瞬間だったから、年間パスは当時熟読していた月間プログラムとあわせ宝物になった。シネマテークで何本も映画を観たのだから、私もアンリ・ラングロワの子供…の子供…の子供…孫か曽孫ぐらい?のつもりでいるのだ。


映画祭と映画祭の合間にある11月の初め、ラングロワのこの言葉どおりの気分。


「映画の価値を判定するなんて、なんともいやらしい考えではないか。菓子屋に入って、菓子を買って食べもせずに、ただながめて品定めするなんて!俺はつぎからつぎへと菓子を食べてしまいたい。みんなうまそうにみえるし、事実、うまいにきまってるんだ」


---------

フィルメックスと時期が重なってしまったけれど、広島の映画祭でのアンリ・ラングロワ特集、行きたいなぁ。東京に巡回してほしい。