CINEMA STUDIO28

2015-05-26

Way down east






アンモナイトのように見える景色は、古いプラネタリウムの天井。4月、王子にある「北とぴあ」という施設のドームホール。ここは何・・?とたくさん?マークが頭にちらつきながら中にいたのだけど、帰宅して調べてみると「北区の産業の発展と区民の文化水準の高揚」を目的として建てられた施設とのこと。バブルの残り香・・・?もしくは昭和遺産・・・?など妄想していたのだけど、意外にも1990年にオープンしたらしく、平成生まれだったことに軽く衝撃。あちこち傷んでいたし、とても古い場所に居る気分しかしなかったのだけど、メンテナンス不足ゆえか・・?







ドームホールはかつてプラネタリウムだった場所のようで、ドームも、椅子などもその名残を残していた。壁面がまっすぐじゃないので見づらいかな?と思ったけど、そんなこともなく、高さがあるので画面も大きい。いつぶりかわからないほど久しぶりに、活弁つき上映。弁士はハルキ、という女性。人生で初めて観た活弁映画も、グリフィス×リリアン・ギッシュ「散り行く花」という奇遇。たしか京都みなみ会館で、弁士は澤登翠さんだったように思うのだけど、なにしろ記憶が遠い。






「東への道」は1920年のサイレント映画。騙されて子供を産むはめになったリリアン・ギッシュが当時、未婚の母はとても肩身が狭かったらしく、そのためにあちこちで蔑まれ、子供も亡くし、ズタボロになる。しばらく身を寄せていた家をその過去ゆえに追い出され、吹雪の夜に飛び出す。流氷の上に横たわり、もうダメか・・・と観客の誰もが思った瞬間、グリフィスらしいラスト・ミニッツ・レスキューが訪れる。



この映画は過去に一度、サイレントピアノ演奏つきで観た。教会での上映で、震災のあった年の終わりだったから、乗り越えて最後に救われる、そんな映画を選びました、という上映だった。



流氷の上に横たわり、流される場面は、そのままロケで撮られている。リリアン・ギッシュの身体が半分、冷たい水に浸かる場面も、そんな状況で撮られたもので、あと少し撮影が長引けば命の危険にさらされる、過酷な撮影だったらしい。



私の近くの席に、80歳?90歳?ほどと思われる老婦人が座って観ておられ、「東への道」が日本でいつ公開されたのか知らないけど、もしかして若い頃に観た思い出の映画なのかな。「八月の鯨」のリリアン・ギッシュを連想するような、可憐な印象の老婦人だった。ハルキさんの活弁は、まさに七色の声色。人間の声の可能性たるや。人物が最初に登場する時、役名と俳優名を同時に説明するくだりがあったので、これなら俳優名を覚えられるね・・!と思ったけど、時間が経った今、やっぱりリリアン・ギッシュの名前しか記憶に残っていない。