CINEMA STUDIO28

2016-01-08

TIFF2015 神様の思し召し

 
 
東京国際映画祭の記録、最後の1本はコンペからイタリア映画「神様の思し召し」。最終日は観客賞、グランプリの発表と上映がほぼ同時で、チケットは前々からおさえておくのだけど、何を観るかは当日行ってみないとわからない…という闇鍋鑑賞。2014年、初めてそうしてグランプリを観たのだけど(ヒルズに早めについて小腹を満たしてる間にスマホでグランプリを知った)、目の前に置かれた映画は何でも美味しく味わいましょうとも。という感じが楽しく、グランプリも自分では選ばないけど観てみると興味深かったので最終日のこのシステムを気に入っている。2014年のグランプリ「神様なんてくそくらえ」は現在、東京では公開中。
 
 
 
観客賞の会場に到着、ヒルズのある港区のお偉方のお話を聞いた後に発表される。法被を着て感謝の辞を述べる監督…シュール。時間が合わなくて観られなかったけど、評判が良いようだったので気になっていた「神様の思し召し」が選ばれてラッキー。
 
 
優秀だが傲慢な外科医が家族の問題を抱える中、カリスマ的に人気のある神父と出会い2人とその周囲に変化が訪れる…。
 
 
ずいぶん時間が経った現在、思い返すと何にそんなに笑ったのか忘れちゃったのだけど(えええ!)、私の想像するイタリア・コメディらしく明るい笑いに満ちながらも、神の存在を問うようなセリフも織り交ぜ、脚本家出身の監督らしく、精緻に練り上げられた映画だった。神とは?という問いに、カリスマ神父(ちょいワル風)が木を指差して答える、秋になってあの木に実がなる。そして実が落ちる。神とはそのことだ。というようなセリフがあったような気がする(うろ覚え)のだけど、それって私自身の神的な何か、のイメージと酷似していたので、敬虔なカトリック教徒の多い国の、神父という役柄の人が、こんなセリフを言うのだな…ということが驚きだった。私自身が自然豊かな神話的風景の一帯の生まれということもあるのかもしれないけど、あの山が神様です、あの木が神様です。春の次に夏が来る、それは神様の仕業です。ということなら腑に落ち、仏像やキリスト像、人の形をしたものを崇めたり拝んだりすることには未だに違和感を感じるので、イタリア映画の、こんなテーマの、そしてこんなタイトルの映画で、そんなセリフが許されるのだな…ということが不思議な疑問として残ったので、今後の考える種のひとつにしていこうと思う。
 
 
夜にグランプリ受賞の「ニーゼ」を再び観て(鑑賞中は疲れで椅子にずぶずぶ沈みながら)、東京国際映画祭は終了。また次の秋に!