CINEMA STUDIO28

2015-07-08

Timbuktu

 
 
フランス映画祭7本目、私にとって最後の1本。アブデラマン・シサコ監督「ティンブクトゥ」。
 
 
あらすじを引用すると「本年度セザール賞を席巻し、米アカデミー賞外国語映画賞部門ノミネートの本作は、世界遺産登録のマリ共和国の古都を背景に、音楽を愛する父と娘がイスラム過激派の弾圧に苦しみ、戦う姿を描いた感動作。ティンプクトゥからそう遠くない街でキダーンは家族と音楽に溢れる幸せな生活を送っていたが、過激派が街を占領してからは、彼らの法によって支配され、歌、笑い声、たばこ、そしてサッカーでさえも禁止され毎日のように悲劇と不条理な懲罰が繰り返されていた。一家はティンプクトゥに避難するのだが、ある出来事によって彼らの運命は大きく変わってしまう。」
 
 
あらすじに書かれたとおりの物語で、観終わった直後はさすがにいろいろな思いが頭を巡ったのだけど、少し時間を置いてみて今思い出すのは、ティンブクトゥ、美しい街だったな、ということ。古くからそこに街の機能が整えられていた場所、古都ってどの国でも特有の端正さがあって、ティンブクトゥも例外ではなかった。登場人物たちの運命が変わってしまう「ある出来事」の場面なんて、川といい光といい、その土地で生まれたいちばんロマンティックな物語の舞台にこそ相応しい美しさなのに、あの街、川、光、人物たちが抗いようのない悲劇の舞台にしかならないなんて。街と物語のコントラストこそ、私にとってのこの映画だった。
 
 
 
 
連絡を待つ少女が、「電波が入りやすい場所で待ちましょう」と携帯電話を掲げる場面。
こんな風景に電波が届くなんて、どこの誰が頑張ったのですか…。
 
 
 
 
どの国のポスターも、綺麗だな。Q&Aには監督が登壇。
 
 
・日本でアフリカ映画が配給されるのは、勇気がいることだと思う。2012年頃、マリ北部は占領され、1年間続いた。そのような事態の中、この映画は緊急の状態で作られた。占領されている間に書いて撮った。
 
・新聞で、カップルが、死ぬまで石打ちされたと知り、ショックを受けた。これは野蛮さ、暴力に反対するための映画。
 
・イスラム教は暴力の宗教ではないが、暴力を使う人がいる。しかし宗教は愛であり、受け入れること、許すこと。
 
・俳優はプロとアマチュアが混じっている。
 
・川の場面は、一回だけのテイクで撮った。夕陽だからすぐに撮らなければならなかった。
 
・野蛮な行為も人間のすること。人間の一部分が暴力であって、人、ということを見せたかった。暴力を描くにあたっては、見世物のような、アメリカ映画のようなバイオレンスは避けたかった。人が死んだことを知るために血を見る必要はありません。
 
・タイトルのティンブクトゥは地名。ティンは「井戸」という意味。ブクトゥは女性の名前。女性の持っていた井戸、という意味の地名。場所の名前とそこで起こったことを覚えておくことは大切だと思う。例えば、フクシマという場所の名前のように。
 
・アフリカは最初にアミニズムがあり、イスラム教が入ってきて、その後でキリスト教が入ってきた。宗教は外からくるもので、借用されている。
 
 
監督は淡々と話す落ち着いた方だったけど、翻訳の間、そっとポケットからスマホを出して、観客がぎっしりの客席をさっと撮り、いたずらっぽく小さく笑ったのがお茶目だった。
 
 
去年、東京フィルメックスのオープニングが「野火」だったことや、今年のカンヌ映画祭の審査についての意見などを思い起こすに、映画祭がどんな視点で作品を選び、賞を与えるか。各国の映画賞についても然り、映画祭・映画賞がその国を代表すると自負するならば、作品選定や賞は態度表明だと思う。フランス国内のアカデミー賞のような歴史あるセザール賞で「ティンブクトゥ」が賞を席巻したというのも、フランスのひとつの態度表明だと考えると、さすが映画の生まれた国、映画は娯楽でもあるけど、思考の道具でもあり、賞を贈ることは共感を示し、勇気を讃えることでもある。映画の扱い方が上手いな、と唸るものがあった。
 
 
「ティンブクトゥ」は今年中に、ユーロスペース他で公開決定とのこと。
 
 
*カンヌ審査について、このBlogを興味深く読ませていただきました。