イメージフォーラム、モーリス・ピアラ特集にて。フランスの監督のインタビューなど読んでるとしょっちゅう名前の挙がる人だけど、接点がなかったのは、日本でほとんど公開されていないかららしい。今回は後期代表作4本公開、3本観てきた。
まず「愛の記念に」。サンドリーヌ・ボネール演じる奔放な10代の娘とその家族の物語。家族は娘の奔放さを攻める側(母、兄)と、それがどうしたの?側(父、娘)に分断され、攻め側の言葉身体双方の暴力に、父は蒸発し、娘はさらに奔放を極める。父をピアラ自身が演じており、登場場面は少ないのに物語の要となる役で、美味しいところは全部監督本人が持って行く北野武方式の映画でもある。父と娘の会話の場面はすべからく味わいがあった。娘の行動を心配しすぎるでも肯定しすぎるでもない。お前は愛することを知らないんだね、と言っても説教ぽくもなく親らしさもない。家族の中で父らしさ娘らしさといった役割を守るよりも、まず人としての欲望を追求したい、同じカテゴリにいる人間同士の連帯感が漂っており、娘を見つめるピアラの視点の曖昧さがそのまま余韻として残る。
「愛の記念に」が良かったので、期待して観た「ポリス」は、ピアラの作品の中でもいちばんフランスでヒットしたものらしく、楽しみにしていたのだけど、話をまるで掴めないまま終わってしまった。獣みたいなドパルデューと、はすっぱなソフィー・マルソーが刑事と容疑者という関係で出会い、やがて愛に至る・・という物語なのだが、絡んでる事件自体がよくわからない・・。誰かこの物語を200文字ぐらいで私に説明してほしい。あらすじを掴めたら、2度観ることがあるならソフィー・マルソーの役柄について注目して観たい。ピアラは玉虫色の女性をきちんと玉虫色に描くことができる男、という気がする。
3時間近い大作「ヴァン・ゴッホ」はゴッホの生涯最後の2ヶ月を過ごしたフランスの村での日々。耳を切り落とし精神病院に入って出た後で、小さく美しい村で、コレクターでもある名士の家に出入りしながら、その家の娘と親密になる。マネージャー的役割だった弟のテオとその妻や、ゴッホと長らく親しいらしい娼婦も物語に絡む。ゴッホについて作品はたくさん生で観ながらも、その人生や性格について詳しく知らず、鬱々とした男なのではと勝手に思っていたけれど、ピアラの描くゴッホは太宰の物語の男みたい。いかにも芸術家らしく、不安定で、すぐ死にたがり、女を引き寄せる。ゴッホとの関係を通じて10代と思われる若い女が徐々に年齢に似合わぬ肝の座った態度を身に付けていく様子も太宰の物語の女みたいだった。
もう1本「悪魔の陽の下に」を観る都合をつけられる自信がないのだけど、ピアラの映画はひととおり観た後、記憶の中でフィルモグラフィを時系列に並べ、それぞれの映画の関連性をふむふむ考えると面白いかもしれない。数本観ただけで手放しに好き!と思える人ではないけど、引き続き観られる機会があれば駆けつけたい。