CINEMA STUDIO28
2013-12-25
The Secret People
2013-12-23
Stromboli
2013-12-18
THE BLING RING
2013-12-16
Gravity
2013-12-15
To Rome with love
2013-12-12
Happy 110th anniversary Mr.Ozu!
Googleのトップが東京物語。12月12日は小津安二郎監督の誕生日かつ命日。110年前に生まれ、50年前に亡くなった。こういう日は・・何と言えばいいのかな。おめでとうございます、じゃ不謹慎な気もするし・・。
この本は「小津安二郎生誕90年フェア公式プログラム」で、20年前の本。私の本棚でも最古の本だと思う。買ったとき高校生だった。そして100年フェアの10年前、まったく同じ内容の本が発売されたことも知っている。ずっと映画を観ていて、好きな監督は入れ替わりもするけれど、小津監督はほとんど唯一ずっと憧れの人で、自分が年を重ねるごとに美意識の高さに平伏す度合いは増すばかり。
現在、小津監督についての企画が多いのでメモ。
・神保町シアター
観ようと思っていた「宗方姉妹」を逃してしまった。観られる映画はほぼ観ていると思うのだけど、今回の特集では年明けのサイレントのを楽しみにしている。
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/ozu2.html
・フィルムセンター展示
ものすごく楽しみ。
http://www.momat.go.jp/FC/ozu2013/index.html
・GyaO
なんと日替わりで無料配信!
http://special.streaming.yahoo.co.jp/movie_ozu/
・BRUTUS
本屋で小津監督特集を見かけると必ず手には取るけど、必ず買うわけではない。これは、冒頭に小津監督生前最後の写真(なんと中井貴一と一緒に写ってる)が載ってるのを確認して購入。小津作品の衣裳について栗野宏文さんの文章あり。まだちゃんと読めていない・・。「小津の入り口」という切り口ながら、ファン歴20年の私にも新鮮な内容ばかりで嬉しい。
http://magazineworld.jp/brutus/767/
たくさんあるけど、何を観ればいいの?という方には私の特に好きな2本をおすすめすることにしている。
■浮草(1959年)
かつて日本の映画製作において「五社協定」という、松竹、東宝、大映、新東宝、東映の大手5社の間で、各社専属の監督、俳優を引き抜かない、貸し出さないという内容の協定が存在する時期があり、小津監督の映画が松竹ばかりなのは松竹専属だったから。協定が終了する間際には俳優や監督の貸し借りも行われる程度に緩くなり、「浮草」は小津監督が唯一、大映で撮った映画。大映は美しい映画を作ることに執着するあまり制作費がかさみ倒産したという説もあるほど、今観ても本当に綺麗な映画ばかり。松竹での映画ももちろん素晴らしいけど、「浮草」は小津監督の世界観を大映のクオリティで観ることができるお得な一本。撮影は「羅生門」で有名な宮川一夫さん!
大映で撮るということはスタッフも、そして俳優陣も大映の専属を使うという意味で「浮草」に笠智衆や原節子は登場せず、代わりに若尾文子、京マチ子、川口浩、中村雁次郎という大映のスター俳優がキャスティングされている。旅回りの一座の数日間の物語。若い女がその土地の男を誘惑したり、その土地にかつて女がいたらしい男を、今の女が責めたり・・と、小津監督の映画にしてはやや派手な物語でもある。
最初から最後まで画面がしっとり濡れているような、艶っぽい映画。色恋沙汰が絡む物語のせいだけでも、大映クオリティの美しさのせいだけでもなく、おそらく小津監督がいつもの松竹を離れ、初めての大映でスタッフや俳優陣をうまく制御しきれていないからかもしれない。私の好きな小説で、セクシーの意味について問われた子供が「よく知らない人を好きになること」と答える場面があるのだけど、この映画はだからとても艶っぽいのだと思う。旅芸人が楽屋で着る浴衣の裾が、階段を上がるたびに捲れて見える素肌にハッとするように、自分のコントロールを外れて予測不能な動きをする男や女を、よく知らないけど、とても美しいし興味深いと思いながら撮られた映画のように、私には見える。
■麦秋(1951年)
初めて観た小津映画で、それからずっと好きな1本。北鎌倉に住む笠智衆とその娘・原節子。原節子の結婚を近所に住む杉村春子が心配するという物語。「東京物語」に比べ、誰も死なないし、大団円で終わるのが良いのかもしれない。しかし最後のほうでおじいちゃんが言う「生きていれば、いつかまたみんなで会えるさ」という一言は、昔はさらっと流して「家族なんだからいつでも会えるんでしょう?」と不思議に思いつつ聞いていたのが、この頃は重い言葉に聞こえてくる。これは家族が当たり前に寄り添って共に暮らす、当たり前に思えて実は短い時期の、最後の瞬間を描いた物語だったのかもしれない。
高校生時分の私は小津作品をいくつか観て、東京では役員室みたいな部屋に佐分利信みたいな叔父さんが働いてて、仕事の時間に「ちょっと近くに用があったから、叔父さまどうされてるかと思って」ってお邪魔すると「やぁ、よく来たね。どうだい、鰻。いいだろ、鰻」って一緒に鰻食べに行くような労働生活が営まれてると妄想してたけど、大いなる錯覚だったな・・。
2013-12-11
Dystopia stories
2013-12-10
The place beyond the pines
ギンレイホールで。怖いもの見たさで「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」を観た。
http://www.finefilms.co.jp/pines/
「ブルー・バレンタイン」の監督&主演ライアン・ゴスリングが再タッグを組む触れ込みで、私は「ブルー・バレンタイン」が21世紀に入ってから観た映画でワースト5に入るってぐらい苦手だった。途中退席しようとしたらびっしり埋まった客席の殆どが倒れそうなほど号泣してて出るに出られず、拷問みたいに画面を凝視するはめに。何がそんなに苦手だったのか説明できないけど、それを言っちゃあおしめえよの一言を言わせていただくと「なんか生理的に無理」としか言いようがなく・・。時間を割いて鑑賞したのだから何か教訓を持ち帰ろうと真面目に気分を切り替え、最後の花火シーン観ながらの結論は「どれだけ心が弱っていたとしても、え?その髪型なに?その服装は?と直感で引いてしまう男には隙を見せてはならぬ」ということ。
その後、ライアン・ゴスリングについては「ラブ・アゲイン」で、とってもキュートだったので私的信頼回復。
舞台はNY州スケネクタディ。親同士の因縁が、子供にまで続く血の巡りの物語。バイク曲芸で身を立てる流れ者の男にライアン・ゴスリング、彼を追い詰める警官にブラッドリー・クーパー、バイク乗りの子供として後半登場するデイン・デハーン。3人の俳優が物語を繋いでいく流れを見ているだけでも豪華。監督はきっとライアン・ゴスリングに男のセンチメンタルを詰め込みたい欲望が抑え切れないと見えて、「ブルー・バレンタイン」同様、前半はかなりセンチメンタルながら、その後を引き受けるブラッドリー・クーパーの存在により私にとって観るべき映画になった。オープニングでブラッドリー・クーパーが出ていることを初めて知ったので、想定外で嬉しかった。
ブラッドリー・クーパー、顔立ちや表情、身体つきがとても健やかで、彼の登場以降、淀んだ画面が浄化されるような感覚があった。「世界でひとつのプレイブック」も、なかなかどうしようもない話だったけど、ブラッドリー・クーパーの健やかさが物語を助けていた。今はどん底にいるとしても、このような身体の男であればおかしな方向には行くまい。と、画面に映ってるだけでこちらに思わせる不思議な説得力。見た目は大事。立っているだけで何かを語れる俳優は強い。あの映画はジェニファー・ローレンスの身体もそうで、途中から物語はどうでもよくなり、2人の身体の動きばかり見ていた。「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」でも、これがブラッドリー・クーパーではなく、例えばホアキン・フェニックス(極端な例え・・!)のような身体の俳優が演じていればずいぶん違った物語になっただろう。野心の陰に秘密を隠してのし上がっていく警官役にブラッドリー・クーパーはナイスキャスティング。
最後のパートを引き受けるデイン・デハーンは、今年話題になった超能力ハイスクールもの「クロニクル」主演の若手俳優。レオナルド・ディカプリオの若い頃を彷彿とさせる華奢さと、ベネチオ・デル・トロを彷彿とさせる目の下のクマが印象的で、20代半ばなのに暗い高校生役が板につきすぎている。これから有名になっていくんだろうなぁ・・。最後を引き受けて因縁の物語に落とし前をつける役割は、若くて屈折してそうな見た目なら誰にでもできるものではない。デイン・デハーンは今の見た目を保っていられる間はあらゆるバリエーションの高校生を演じておいてほしい。
2013-12-08
エレガンスの十戒
今日、読書してて知った「エレガンスの十戒」。フランスの女優、ジャクリーヌ・ドリュバックによるもの。日本ではずいぶん前の「花椿」で紹介されて一部の人に有名になったらしい。こういうの好きなのでメモ。
Jacqueline Delubac
なるほどエレガントな女優
この写真!
真ん中がジャクリーヌ、
右がジャクリーヌの夫だった時期もあるらしいサッシャ・ギトリ。
左はなんとアルレッティ!
映画で観たこときっとあるけどジャクリーヌを認識してなかったかもしれない。
「エレガンスの十戒」
1 モデルが着たり、雑誌で評判になった服は決して選ばない
2 何が自分に似合うかをよく研究し、その基準を厳しくする
3 最も大切なのは細部である。 足にぴったりあった靴、気に入ったバッグを見つけたら、とことん使い、次も同じものを買う
4 似合わない服を十着とりかえるよりも、似合う服を十回着つづけるほうがいい
5 質の悪い十着よりも、質のよい一着を買う
6 旅は軽装にかぎる。ベーシックなスーツ二着とよそゆきのドレス二着で充分。ただし、どう組みかえてもすべてがマッチするものでなくてはならない
7 夜外出する時は、必ず化粧をしなおし、服もとりかえること
8 昔似合っていたからといっていつまでも同じような服装をしていると、流行遅れになる
9 お金がなくても、アイロンのかかったシーツと、きちんと整えられたベッドがあれば、最高に豊かな気分になれる
10 たとえ独り暮らしでも、自分自身のための美しくするよう心がける
2〜10については他の服装本にも時々出てくる言葉だけど、この十戒の厳しさは 1 にあるのだろうな。ここ数週間、敢えて情報をシャットアウトしてみたら、「社会の中の自分」的な視点が薄れ自分自身への集中力が増し、処分しようか迷っていたモノへの執着も同時に薄れてきた。改めて中長期のwishlistを考えてみたら、10年前から欲しいと思ってるものだったりもして、好みの変わらなさに驚いたりしている。
決意してから2週間ほど経ってようやく手をつけ始めた大掃除&身辺整理。人生最大規模の整理になりそうで、何から手をつけていいのかわからず呆然としてたけど、いつまでもぼんやりしてるわけにもいかない。カーテン捲り上げて窓を開ける。気が済むまで整理したら、インテリアも少し変えてみよう。
2013-12-07
Regard neuf sur Olympia 52
度肝を抜かれたのは夏に「泳ぐひと」がかかったこと。アメリカン・ニューシネマの怪作。DVD化され、レンタルもされてるけど、ほとんどスクリーンにかかわらない。バート・ランカスター演じる落ちぶれた、かつて富裕層に属していた男が、友人の家のプールを泳ぎ繋ぎながら家に帰る、という奇妙な計画を実行する物語。映画そのものもものすごくシュールだけど、あの映画が銀座の一等地に建つ煌めくメゾンエルメスの、「スポーツは素敵!」特集でかかるという事実が映画以上に不条理すぎて、誰や!この番組作ったやつ誰や!と叫びたくなった。プログラム監修はアレキサンドル・ティケニスという人。要チェック。私が名画座の支配人なら「泳ぐひと」は是非、主演俳優繋がりでヴィスコンティ「山猫」と2本立てで番組を組みたい。イタリアで没落した貴族が→アメリカに新天地を求め→一度は成功するが→また落ちぶれて怪しい行動に出る、という流れがバート・ランカスターの名演で楽しめる!
11月の1本はジュリアン・ファロー監督によるドキュメンタリー「オリンピア52についての新しい視点」。ヘルシンキオリンピックが開催された1952年、クリス・マルケルによって作られたオリンピック記録映画「オリンピア52」は、作家本人により意図的にフィルムの墓場に葬り去られている。ジュリアン・ファロー監督はフランス国内に数本存在するフィルムを集め、「オリンピア52」という映画と、映画が作られた当時の製作環境、クリス・マルケルの視点、さらには「過去の作家が葬り去った映画を、別の監督が検証する」こと自体を検証していく面白い作りの映画。「ふたりのヌーヴェルヴァーグ」を観た時も思ったのだけど、フランスのこういうドキュメンタリーって監督本人の妙な色気が出てしまってるというか、この映画でいうと、黒い服を着た美しい女にフィルムの墓場に侵入させ「オリンピア52」を蘇らせる監督の目の化身のような動きをさせる場面がちょいちょい挿入されるのだけど、それがちょっと鼻白む感ある・・。
しかし断片的に観ることができるクリス・マルケルの「オリンピア52」は検証に値する作品。クリス・マルケルの長編デビュー作だし、作家が封印してしまっているので現時点ではこのドキュメンタリーを通じてしか内容を伺い知ることができない。クリス・マルケルは報道の立場からオリンピックを観たわけではなく、撮影場所もスタジアムの一般スタンド席。公認放送クルー用の設備は一切使わせてもらえないというハンディキャップを逆手に取った自由な記録。感動や汗や愛国主義からは距離を置いた視点から、競技前の選手の様子やスタンドの熱狂を記録している。また、かつてのメダリストのその後を追い、フランス国民を熱狂させたメダリストがその後も厚遇され続けるわけではなく貧しく落ちぶれている様子も記録しており、このドキュメンタリーではこの部分についてフランス政府から入った検閲(「貧しい」という言葉を削除するように検閲が入ったんだっけな)についても触れている。
特に面白いと思ったのが、スタジアムに座ってる客の中に、アラン・レネの姿が映っているのだが、実際にはアラン・レネはオリンピックを観ておらず、この部分はクリス・マルケルによるフィクションらしい。「オリンピア52」は記録映像ふうのフィクション映画なのか。考えてみればクリス・マルケルは実体の掴めない不思議な作家で、監督名も本名ではなく・・・マルケルは「何でもメモして記録するやつ」という彼の行動からついたmarker(マーカー)というニックネームからとられているし、クリス・マルケルという名前以外にも複数の名前を使い分け、表舞台に出ることを好まず、写真を求められると飼い猫の写真を出していたらしい(ちょっと萌える・・)。私が初めて観たのは「ラ・ジュテ」で、そのせいでオルリー空港に行くとどうしてもあの映画に思いを馳せないわけにはいかないパブロフの犬的反射反応をしてしまうのだけど、パリで観たクリス・マルケルは映画ではなくナム・ジュン・パイクばりのメディアアートで、しかしその展示室に居るときの私の気分は「ラ・ジュテ」を見終わった時の気分に酷似しており、表現手段は変わってもクリス・マルケルはクリス・マルケルだなぁ・・と思ったりした。その後も「サン・ソレイユ」等々観てはいるものの、全貌をまるで掴めない透明な存在である。
クリス・マルケルは2012年に亡くなったけど、この映画は亡くなる前のクリス・マルケルをつかまえてメールでコンタクトをとることに成功しており監督とのメールのやりとりも「オリンピア52」の映像同様貴重なもの。画面に広がるクリス・マルケルのメール文章は、ボーカロイドのような加工された音声で読み上げられ、彼の映画のナレーションそのもののような禅問答みたいな文章をさらに謎めいたものにしている。
ドキュメンタリーを見終わってきっと誰もが思うこと・・「オリンピア52」をフルで観たい!きっとこのドキュメンタリーの数十倍面白い映画のはず。クリス・マルケルって知名度のわりに東京で特集上映めったにされない人だと思うのだけど、是非映画作品以外の活動も体系的に網羅した特集を組んでもらって再発見したい。
この特集上映、是非東京でお願いします!
http://www.yidff.jp/2013/program/13p3.html
この映画は今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映され、そちらのバージョンは字幕を嫌ったクリス・マルケルの意向を汲んで日本語による同時通訳がついたらしく、同時通訳をパリでお会いしたともこさんが担当されたとのこと。東京で観たい!と思っていたら案外早く叶ってしまった。私がメゾンエルメスで観たバージョンは松岡葉子さんによる字幕がついていた。
2013-12-04
La Sirène du Mississipi
2013-12-02
Manon70
2013-11-29
Tonnerre
Tonnerre extrait!!
2013-11-28
Un monde sans femmes
2013-11-25
Maurice Pialat
2013-11-23
Tokyo filmex opening
2013-11-19
J'ai tué ma mère
2013-11-18
Minimalist mantra
2013-10-17
Funny face
2013-10-16
Grindhouse in Asakusa and SF!!
2013-09-04
Grindhouse in Shinbashi!!!
2013-07-22
風立ちぬ