CINEMA STUDIO28

2015-09-30

Ozu trip / 長野・消失・映画館⁈

 
 
小津安二郎記念・蓼科高原映画祭。1本目、活弁つき上映「淑女と髯」が終了し、退出しながら振り返ったところ。さすがに年齢層は高めだったわ。
 
 
 
 
ロビーはこぢんまりしていて、茅野市の映画ファンの方が1970年代から収集していた近隣の映画館のチラシや週報を、映画祭期間にあわせて展示されていた。
 
 
 
 
私も90年代の京都の映画館でもらったチラシを今でも持っていたりするのだけど、なんとなく大事で捨てられなくて持っていただけのものが、今となっては貴重な資料になったりするのだな。そして古い映画の上映資料を観ると、何十年も語り継がれて観られ続ける映画って一握りのヒット作や名作だけで、その時上映されただけで消えていく映画の多いことよ。
 
 
「シネマレイク」「富士館」、自然豊かな場所だからか、自然豊かなネーミング。
 
 
 
 
外に出る。映画祭のメイン会場は茅野市民館だけど、同時に複数の会場で上映されていて、新星劇場でも映画や、映画音楽のコンサートもあるもよう。
 
 
そして入り口にあったテントにずらりとカラフルなお菓子が並んでいたので、?と思って近寄ってみると…ボランティアの皆様によるおもてなし!ポップコーン、コーヒー、お茶、寒天のデザート。駅の看板で寒天が名物と知って、へぇ。と思っていたので嬉しい。甘みが控えめで、果汁の味がして美味しかったなぁ。遠くから映画めがけてやってきたので、地元の祭の仲間に入れてもらったようであたたかな気分に。
 
 
 
 
新星劇場、やはり常設映画館としては閉館になったようで、現在はこういったイベントで使用されているらしい。
 
 
 
東京だと映画館が閉館すると、あっという間に取り壊して別の建物が建つのは地代ゆえだろうけど、地方だと取り壊す必要もなくて廃墟のようになっていく元映画館は多いのだろうか。茅野市は映画人ゆかりの土地ということもあって、設備は残して利用することができるのだな。映画館の行く末もいろいろ。そして、何も知らずに行った地方の映画館で、消失する映画館という今年の私のテーマのようなものに出会うとは思ってなかった。これもタイミング、ということか。
 
 
 
 
線路沿いに建っているので、上映中も電車が通るたびにガタンゴトン音がうっすら響き、その度に新橋文化劇場を思い出した。

 

2015-09-29

Ozu trip / 淑女と髯

 
 
小津安二郎記念・蓼科高原映画祭 1本めは「淑女と髯」。1931年のサイレント。活弁つき上映で、弁士は澤登翠さん!
 
 
生まれて初めて活弁つき上映を観たのは10代の頃、京都みなみ会館で観たグリフィス監督、リリアン・ギッシュ主演の「散りゆく花」で、その時の弁士が澤登翠さんだった。映画自体の面白さもさることながら、登場人物ごとに声を変えながら時代背景もきっちり説明があるので、古い映画がぐっと身近に感じられて、ああ、至福とはこのことだわ…と大満足で映画館を出たのだった。それ以来の澤登翠さん、ほとんど外見の変化がない。年齢不詳すぎる美魔女…なのはやっぱり、映画のエキスを日々吸っておられるからでしょうか。
 
 
 
「淑女と髯」主演は岡田時彦、岡田茉莉子のパパ。大学の剣道部主将の男はひげもじゃでバンカラ、女心にも疎く、女性の誕生日パーティーに招ばれて行っても、その外見だけで女子たちの顰蹙を買い、おお、これは踊りの会であるか?踊りなら俺もできるのであるよ。と踊るのが剣舞という日本男子感あふれる舞で、パーティーの主役女性を哀しみで泣かせる始末。髯を剃ることもなく出かけていった就職面接に髯のせいで落ち、アドバイスをもらって髯を剃ってみたら、あら男前出現。手のひら返したようにモテ始める…という物語。岡田時彦は髯を剃る前のバンカラ演技のほうが楽しく、女たちよ落ち着け、髯の奥にある美男子ぶりに髯があるうちから気づいていたら抜け駆けできようものが。と思ったけど。
 
 
 
 
そして1931年の映画だから、モボ・モガも、もどきではなく本物が映っており、洋装・和装が入り混じり、洋館に和装の女性が集まったり、三揃えを着たモボと和装女性が珈琲飲んでいたりする和洋折衷が楽しい。 「非常線の女」を観た時も思ったけど、撮り方が上手いのかセンスのせいか、小津監督のこの時代の映画の洋館でのパーティーシーン、ルビッチ映画みたい。
 
 
写真右の和装の女優がヒロイン・川崎弘子で、いやぁまぁ、ほんまに夢二の女が動いてるみたいやわぁ。感嘆。着物もさることながら、髪型やメイクが。現代女性が見た目だけ真似てもこうならないはず。日本人の外見も時代とともに変化するのだなぁ。
 
 
澤登翠さんの活弁、活弁であることを忘れさせるぐらい自然で映画にすっと集中できる。熟練の技、久しぶりに堪能させていただきました。

 

2015-09-28

Ozu trip / 新星劇場

 
 
9月26日、早起きして移動。映画のスケジュールを調べて、10時頃に茅野に着く列車を。と、みどりの窓口で言ったら、偶然にも「8時ちょうどのあずさ」だった。
 
 
懐メロ番組で聴いたことのある、サビしか知らないあの歌。ダイヤ改正により8時発は、あずさ2号ではなく、スーパーあずさ5号に変わったらしい。そして「あずさ2号」について調べてみると、都会で長く暮らした恋人と別れ、若い男と東京を出る女の歌…らしく、そんなシチュエーションには、夜の列車のほうが似合うのでは…?と思ったのだけど、早朝出発らしい。こう、気持ちから逃げるように断ち切るように街を出る、のじゃなくて、きっぱりした旅立ちだったのかな。と、見知らぬ女性の気持ちはわかりませんが、同じ時間の列車に乗った私が言えることは、「早起きですね、あなた」ということ。
 
 
茅野駅に到着したものの、右も左もわからない私は、映画祭関連企画なのか、駅ナカで縁日のようなものの準備が始まってて、そこにいらした方に新星劇場に行きたいのですが…と聞いてみると、駅周りの地図をくださって、丁寧に教えてくださった。右に行けばいいのね!と、わかったので、そちらに歩いて行くと、3分ほどで到着。
 
 
 
 
新星劇場、この街で唯一の映画館。 昭和32年開館。
 
 
これを読むと一番最後に閉館した、って書いてあるのだけど、普段はもう営業していないのかな…?
 
 
チケットは4回券を購入。4回分で3000円。これで観る予定のものは全部観られる。しっかりしたパンフレットと、映画祭のポストカードもいただき、いざ、中へ。
 
 
 
 
中はさっぱりした内装ながら、ところどころレトロ。御手洗のフォント!
 
 
 
 
 
スクリーンはしっかりした大きさもあり、スクリーン前の舞台も十分な広さ。松竹と茅野市からの花も飾ってあって、映画祭気分!そろそろ1本目が始まる!続く。

 

2015-09-27

Ozu trip / 蓼科日記

 
 
小津安二郎記念・蓼科高原映画祭。映画祭について調べているうちにこの本の存在を知った。
 
 
小津監督は「東京物語」を撮った後、脚本を書く場所を、茅ヶ崎館から蓼科に移し、そこは小津映画に脚本で参加している野田高梧さんの山荘で、2人で篭り、亡くなるまでの映画は蓼科で書かれた。山荘には「蓼科日記」という日記帳が置かれ、訪ねてきた人は何か書くべし。というルールがあったとのこと。この本は、その日記を書籍化したもの。全文ではなくピックアップされている。
 
 
2013年に2500部限定で発売されたこの本、完売して今は高値がついているのだけど、どこかに妥当な金額でないかしら…と、しぶといリサーチをし続けていたら、あっさりお膝元の松竹のオンラインにあった。狐につままれた気分で注文し、届くまでなんとなく疑いの念を募らせていたのだけど…実は在庫がなかった。と後から連絡が来るのではないか、と…あっさり届き、原節子さんのポストカード3枚と、松竹の発売してるDVDリストの冊子のおまけもついて…松竹、ありがとう!
 
 
 
 
昭和32年(1957年)の9月25日、蓼科、朝は兎に角陽が当たったものの、やがてまた曇る。朝はソーメン、昼過ぎに客人来る、うとうとして、ラヂオで相撲を聞く。夜はホワイトシチウにキシメンを入れて食ふ。よろし。
 
 
…などという1日だったらしい。ホワイトシチューにキシメンって。小津監督、すき焼きにカレー粉入れたり、なかなか食の冒険家であるのう。
 
 
 
 
それから58年後の9月25日、蓼科。曇り。茅野駅の東口から西口へ渡る歩道橋を渡らんとして、ふと見上げると、かっこいい月。十五夜の前日に、私は初めて蓼科に足を踏み入れた。

 

2015-09-26

茅野

 
この人を追って…
 
 
長野県茅野市に来た。
今日の映画館、新星劇場。
御手洗のフォントがいい。

 

2015-09-25

Today's films

 
昨夜はAmazon prime videoで「眠狂四郎 勝負」の冒頭10分を観て、ああ…このままだと面白くて最後まで観てしまいそう…寝なければ…と自制して入眠。
 
 
雨続きの初秋、レインシューズばかり履いてる。雨に濡れる早稲田松竹の看板。ジャン・ルノワール「ピクニック」、ブレッソン「やさしい女」の2本立ては、2本観ても2時間少し、と仕事帰りの会社員にも優しい時間割。それぞれ2度目、3度目なのだけど、ブレッソン「やさしい女」を何故こんなに観てしまうのだろうと考えると、この映画が描くものに興味があるからに違いないのだけど、観るたびにあの男への憎しみが増し、3度目の今日はついに、なんなのそのグレーのカーディガン…前にポケットなんてついちゃってさ…!と、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの領域に達してしまった。
 
 
でもドストエフスキーの原作はもっとイライラする辛さがあったので、ブレッソンの映画版は物語のエッセンスを忠実に抽出しながらも、原作よりイライラさせ度は薄めで有り難い。今日は、使用人の老婦人の視線が気になって。途中から、完全にドミニク・サンダへの眼差しに憐憫の情が混じってた。「仲直りされて、お幸せ?」って質問の短くて鋭いこと。
 
 
あ、今、知ったのだけど、今日はブレッソンの誕生日だったのですね。生誕114年。おめでとうございます。知らずにブレッソンを観ていた巡り合わせ。
 
 
 
そして10月はベルイマンがかかります。明日は早起き。bon week-end!

 

2015-09-24

Amazon prime video!

 
 
黒船!と噂のNetflix、初月は無料ということで登録してみたけど、1本観ただけで、その後触ってない。忘れずに解約しなきゃ…。そしてAmazonからメールが来たので、プライムビデオのラインナップをチェックしてみると…!!!よく観る50〜60年代の日本映画がずらずらと。兵隊やくざ、眠狂四郎、陸軍中野学校、若尾文子映画祭で見逃したのもいくつか…
 
 
ウォッチリストに追加、を連打していたら、ずらっと並んだリスト、角川シネマ新宿のラインナップみたいだわ…
 
 
 
 
地味な愉しみ?として、その情報、間違ってます。を発見すること。「宇宙人 東京に現る」に、川口浩も若尾文子も出てないよね…?ジャケットの絵もどう見てもその2人じゃないわ…

 
 
越前竹人形、監督が三木聡、松尾スズキ、オダギリジョー出演って…。そんな配役であの映画をリメイク…したわけないよな!と、「今すぐ見る」をクリックして冒頭数秒確認しちゃった。大丈夫、若尾文子の出てる越前竹人形だった…
 
 
こういうの、誰かが指摘しないと修正されないのかしら。誰も指摘しなかったらずっとこのままなのかしらね…
 
 
それにしてもニッチな好みに応えてくれるラインナップですこと…普及するのだろうか?ともあれ、そもそもプライム会員だし、私にとっては期待以上!

 

2015-09-23

Today's porno?!

 
 
R-18や成人指定の映画を映画館に普通に観に行くことはあっても、ロマンポルノ含むポルノを観ることは映画鑑賞者としての私の禁忌で、新橋に行って文化劇場の隣にロマン劇場があってレディースシートが準備されていようと、ギンレイホールの地下にくららがあろうと、ふーん。と、自分には関係ないものとして通り過ごし、そのせいで見過ごした傑作もあるだろうことは理解しているのだけど、まさか初ポルノが天下のフィルムセンター(国立!)になろうとは…。先週「小早川家の秋」の後のトークが面白く、周防監督のデビュー作に興味を持ったため。今日のトークも楽しかったな…。連休は過ぎてみるとあっけない。部屋の片付け祭りを繰り広げながら、毎日異なった映画体験もできて佳き休日。観た映画については(ポルノ含め…!)順番に記録していくつもり。

 

2015-09-22

Miss Sumiko Mizukubo

 
 
神保町シアターの松竹映画特集、今週はピアノ演奏つきサイレント特集。小津イヤーを生きているので、初期の小津映画で見逃していた「非常線の女」を観に行くと、主演の田中絹代より、助演で登場する女優に目が釘付けに。水久保澄子、という駄洒落みたいな芸名。「淑女は何を忘れたか」でも思ったけれど、小津監督はモダーンな画面に似合う、モダーンな顔立ちの女優がお好きなのかしら。桑野通子もモダーンな顔立ちだった。田中絹代は違うけど…。
 
 
水久保澄子、今回見送った成瀬巳喜男「君と別れて」にも出演してるとのことなので、次の機会ではつかまえなければ。Wikipediaによると女優としての活動期間は短く、どこで亡くなったかもわからない、行方知らず…というのが、モダーンな顔立ちにミステリアスな色を添えて、勝手ながら、興味が増す。

 

2015-09-21

Today's movie theater

 
 
本日の映画館。東京国立博物館・平成館。行かなかったけど東博の常設が無料だったのは祝日だからだろうか。平成館のクレオパトラ関連の企画展は行列ができていた。自宅からここまで歩いて20分ほど、昨日の午後を籠って過ごした身には散歩と移動を兼ねて良い運動。
 
 
 
 
したまちコメディ映画祭!in 台東の名のとおり、浅草がメイン会場で上野がサブ会場のような映画祭で、近所なのだけど毎年うまく情報をつかまえられず初参加。ビートたけしに名誉賞が贈られ、この間行ったばかりの所縁の地・東洋館で「菊次郎の夏」上映と舞台挨拶があるなんて、完売しちゃったけど知ってたら行きたかったな。


 
 
平成館1階の上映室…普段はレクチャーなどに使ってるのかな?そんな場所で、今日はタイ映画を観た。タイ映画、私の中で一昨年からじわじわきてるのだけど、タイ映画が面白い案件についての話し相手がいない。今日の映画の感想はまた追って。

 

 

 

2015-09-20

Today's film

 
 
シルバーウィークは部屋の片付け祭り(祭り!)、映画、美術館、友達と待ち合わせて食事などなど…久しぶりに東京でのんびりしてるような気がする。
 
 
見事な秋晴れの空を見ながら映画館に向かいつつ、こんな麗かな日に午後じゅう暗い室内に籠るなんて勿体無いことなのかしらん。と思っていたけど、観終わってみると、東京じゅう探してもこれ以上贅沢な午後の使い方はなかったと思う。
 
ユーロスペースでのスウェーデン映画祭、イングマール・ベルイマン「フェニーとアレクサンデル」、5時間19分。途中休憩を挟んだから5時間半は籠ってたかな。ユーロスペースは親切で、ロビーで北欧紅茶がふるまわれたり(いただきました。美味しかった…!王室御用達でノーベル賞授賞式でもふるまわれる紅茶だとか)、まい泉のカツサンドが売られてたり…!
 
 
すぐに感想が出てくるような映画ではないし、どんな映画でも自分に引き寄せて観る方でもないし、巨匠の自伝的作品に対しておこがましいかもしれないけど、何割かは、ああ、これは自分の物語であるなぁ…と思いながら鑑賞。長い映画を翌日を気にせずにどっぷり観られるのも連休ならではの贅沢。
 
 
Blu-ray上映だけど、映画館で観られるのは稀少。23日にも上映があるようです。前売りを買っておくことをおすすめします。
 
 
 
 
外に出ると当たり前だけどいきなり渋谷の景色で、東急本店前に御神輿、秋祭り。エルメスと御神輿、東京らしい風景。

 

2015-09-19

マザー

 
 
昨日の続き。ユーロスペースでの「佐々木昭一郎というジャンル」という特集上映は、「四季・ユートピアノ」以外にも「マザー」「さすらい」「夢の島少女」と合計4本が上映された。確か1週間ほど、夜遅くからのみの上映で、チケットは映画館のカウンターではなく、チケットぴあで入手する方式だったと思うのだけど、連日満員だった。佐々木昭一郎監督の登壇もあったと記憶している。どうして観ようと思ったのかを忘れたけど、少し何か心にひっかかるものがあって、さっと観に行ったものが、誰かの記憶と手を繋ぐことがあるから、不思議だな。
 
 
4本のうち、「四季・ユートピアノ」に並び、「マザー」も印象に残った。1969年に撮られ1971年に放映されたテレビドラマ。56分。
 
 
「神戸を舞台に母親を知らない少年と国籍の違う様々な人々との即興の出会いから、孤独な少年の心の中の母親像を詩的に綴る。ドラマともドキュメンタリーとも区別がつかない演出は放送当時大きな話題となった。ロベルト・ロッセリーニも絶賛したとされる、佐々木の映像初演出作品にして傑作と名高い一作。」
 
 
少年が街を歩き世界と出会う。母親に手を引かれているはずの年齢の子供が、たった一人で。その姿を眺めていると、どこかしら死の匂いがたちこめてくることに戸惑った。4本の映像に映った誰よりも少年は、生まれてからの時間は短く、生の極みであるはずなのに。
 
 
「佐々木昭一郎というジャンル」とは見事な特集名で、それについて考える時、「マザー」に漂った死の匂いについて、今でも時々考えることがある。

 

2015-09-18

交響曲第四番

 
 
夏に会った遠くの友人が贈ってくれた私のイニシャルのチャームは、1920年代の書体。いろんな年代の映画を観ると、やはり年代ごとに特徴はあるもので(特に女性のファッションに)、私は1920年代と50年代が好き。苦手なのは70年代以降。
 
 
同じ映画を観たとしても、その人の職業や生まれ育ちによって視点は大きく違うから、自分の目が及ばなかった範囲の視点からの感想を聞くと興奮する、という話を、この友人にした時に、そういえばユートピアノっていう映画が…と、友人の口から出てきたので驚いた。パンフレットやチラシを整理して挟んでるファイルからごそごそパンフレットを探して見せてみると、そうそう!なんで知ってるの…?とお互い驚いた。
 
 
佐々木昭一郎「四季・ユートピアノ」はNHKで放映されたテレビ用映画で、NHKアーカイブにはあるらしいものの、再放送を気長に待つか、アーカイブに行くか(という方法がよくわからないのだけども)しか観る方法がないことで半ば伝説のようになっている。私は何年か前にユーロスペースであった「佐々木昭一郎というジャンル」という特集に通った時に観て、パンフレットもこの時に買ったもの。友人はテレビで偶然観て、強く記憶に残っているらしい。
 
 
砂浜で音叉を拾った少女が、家族との別れも経て、やがて調律師として自立していく。少女と音の関わりを心象の断片を繋ぐような映像で見せる、物語というより散文詩のような映画だった。
 
 
知ってるだけで驚いたのに、この映画が友人にとってとても大切な、心の拠り所にするような映画で、だから映画に流れるマーラーの交響曲第四番も、大切な一曲になった。ということを知った。友人はピアニスト。私の周りでもとりわけ古い、最古の部類に入る長い長い友人だけど、私はまだ一部しか知らないのだなぁ、と思った。そして観ている間、音がひっかかりはしたけれど、私の眼にはやっぱり映像の断片ばかり残っていたので、そうか、あれはマーラーだったのか。と、いう発見。
 

 

2015-09-17

窓の向こうの景色

 
 
映画はとても要素の多い芸術・娯楽なので、ひとときにすべてを捉えることが難しい。私は視覚で観るほうなので、目に映るものばかり集中して観て、音がまるで聴こえていないことはよくある。書く人なら言葉を、音楽の人はやはり音に注意して観ていたりして、同じ映画を観た後に、私の注意の及ばなかった範囲のことを指摘されると、新鮮で興奮する。ああ、その人には世界はそのように見えているのだなぁ、と。
 
 
 
 
「小早川家の秋」上映後のトークで、美術監督の種田陽平さんの感想は当たり前なのだけど映画の美術の人の目線で、ああ、美術の目線で観ると小津はそう見えるのか、と新鮮だった。例えば小津映画で室内が撮られるとき、窓の向こうに空が映ることはないのだとか。確かに、窓…というより日本家屋なので障子の向こうは絵のように塗り込められていて、空が映ることはなかった。空が映るときはもっと気前よく映る。そう言われてみると、また最初から順番に小津のフィルモグラフィーを追って、窓の向こうの景色ばかり確認するように観たいと思えてくる。

 

2015-09-16

cinema memo : 12月アンコール上映



こはやがわけのあき(声に出して読みたい日本語)。について書きたいところだけど今日はニュースを見るので簡単にメモ。


若尾文子映画祭のアンコール上映は12月。夏の60本で上映されなかったものも追加されるようで素晴らしい。今度こそデジタルリマスターされた川口浩の肌の色艶を確認するために「最高殊勲夫人」を観なければ。そしてお正月なので観られるか不明だけど、「花嫁のため息 新妻の寝ごと」「新婚日記恥しい夢 新婚日記嬉しい朝」ってタイトルどういうことですか。しかもこの2本が連続だなんて。うまく観られればこれが来年の映画初めになるかもしれない…。


夏に観たぶんの記録が中断中だけど、今月中に書いてしまおうと思ってる。

2015-09-15

The end of summer

 
 
小津映画、英語でタイトル何て言うんだっけ…と、時々調べることがあって、〜spring、〜autumnが多く混乱し、それは日本語でも早春、晩春と混乱するから同じなのだけど、日曜に観た「小早川家の秋」は英語字幕付きのバージョンで、時々字幕もチラチラとチェックしながら観ていたのだけど、冒頭でタイトルがさらっと〜autumn、と訳されていて、ん?そんなタイトルなの…?って思ったのだけど、autumnの前が何だったか思い出せないし、調べると「The end of summer」という英題がヒットするので謎は深まるばかり。
 
 
 
 
「小早川家の秋」が The end of summerとは、なかなかふてぶてしい意訳ですね!と言いたいのだけど、確かにこれは夏の終わりの物語で、女性たちはノースリーブや半袖を着ている。家族が集まると西瓜を食べて。柄の長いスプーンで上品にすくって西瓜食べてた。
 
 
どう訳されるのか気になるのは、小津映画は英語字幕バージョンで上映されることも時々あり、それだけ日本人以外のファンも多いよ、ということなのかもしれないけど、初めて字幕つきで観たのがパリで、フランス語字幕付きだったからかもしれない。物珍しくてチラチラ字幕をチェックしていたのだけど、「東京物語」終盤、尾道の家で笠智衆が形見の時計を原節子に渡し、原節子が、私そんなにいい人間じゃないんです。という台詞の後、最後に「…すみません」と、顔を伏せるあの場面の字幕が「merci」だったことには、スクリーンに向かって抗議寸前の気分。あまりにもlost in translationすぎる!小津映画の原節子が原節子たりえるのは、そこで「merci」と言う女ではないからであるぞ!
 
 
「小早川家の秋」のタイトルの意訳については、秋が夏に置き換えられたこと以上に、「小早川家」が抜け落ちたことに戸惑う。ちょっと声に出して言いたいタイトルだものね、こはやがわけのあき。こばやかわじゃなく、こはやがわだって、私もようやく知ったのだけど。

 

2015-09-14

Il sorpasso / 追い越し野郎

最初は怖気付いてたジャン=ルイ・トランティニャン


メゾンエルメスで。今月のプログラムは1962年、ディーノ・リージ監督のイタリア映画「追い越し野郎」。初めて観た。これ滅多に映画館にかからないのでは…。そしてここ1年ほどのメゾンエルメスの映画プログラムで、私はこれは一番面白くて、エルメス、ありがとう!と外に出たのだけど、いつも混んでるのにこういう映画に限ってガラガラに空いてるのは何故。




猛スピードでオープンカーを運転する男(ブルーノ/ヴィットリオ・ガスマン)偶然目が合った法学生(ロベルト/ジャン=ルイ・トランティニャン)の部屋で電話を借り、ついでにシャワーも借りた後、礼に酒でも奢るぜ、と車に乗せ珍道中が始まる。


静と動、陰と陽、女に対しても物陰から見てるだけ派とすれ違う女すべてに声をかける派、とにかく対照的な性格の2人の男がひとつ車に乗る。


海辺で露出度高い女たちに囲まれてもこんな表情…


しかしやがて時間の経過とともに2人はお互いを知り始める。ブルーノにしてもただのお調子者ではなく止まると死んでしまう種類の男の悲哀も感じさせ、動物的勘でロベルトの親戚一家の隠された人間関係もあっという間に暴く鋭さを見せ、ブルーノはロベルトをけしかけながらも弟のように扱い、ロベルトはブルーノに心を開き始める。


ほら、ロベルトもこんな表情に…ロベルトも笑うってことあるのだね


このような映画において、およそ男2人は2人で1人、1人の人間の2つの側面をデフォルメしてそれぞれに分担させているのだろうな、と思いながら観た。イタリアでは大ヒット、「イージー・ライダー」はこの映画の影響を受けているとか。あっさりした結末はヌーヴェルヴァーグの香りがし、一晩違う人間と一緒にいたぐらいで人はそんなに簡単に変われるものではない、ということかしら。ジャン=ルイ・トランティニャンがイタリア語を話すのも、こんな役を演じるの初めて観た。ま、他の映画でもさほど陽を感じさせる人ではなかったけれど。




7割は男2人が映ってる画面に花を添えるカトリーヌ・スパーク!ブルーノの娘役なのだけど、ブルーノの妻役の女優も、いかにもイタリア女優、という骨格を持つ美しい人だった。ディーノ・リージ監督の映画、もっと観たいのだけど、 イタリア映画をじっと観る機会の少ない私がただ見逃してるだけなのだろうか。

2015-09-13

Today's films

 
 
本日の映画。メゾンエルメスでイタリア映画「追い越し野郎」を堪能したので、このまま帰ろうかな…と思いつつ、フィルムセンターに行ってみて、当日券が出れば観ようと思っていた上映の当日券が余裕で出たので、そのまま観た。小津安二郎「小早川家の秋」の上映と、周防正行監督、美術監督の種田陽平さんのトーク。「小早川家の秋」がとても好きなのにしばらく観ていなかったので、映画のほうが目当てだったのだけど、トークもまた素晴らしかった…!映画の後のトークがいつもこんなに充実していればいいのに!
 
 
ほわーっとした余韻に浸っているので、詳細はまた来週。

 

2015-09-12

my Ozu year

 
 
今年は、はからずも私にとっての小津イヤーになっているのだけど、「吉田喜重が小津について語る番組」について記憶の奥に引っかかった状態で長くあり、しかしTVで観た記憶はあったので、もう観ることはないと思っていた。のだけど、案外あっさりDVD化されてレンタルもされていた。先々週ぐらいに借りて観た。
 
 
93年にNHKのETV特集で放送されたらしい「吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界」という番組。4夜連続だったのか、DVDには4回分が記録されていた。毎晩観た記憶はないのだけど、ちょうどその頃、家に転がってた「麦秋」のVHSを観たのが10代の私の初めての小津体験で、これは何なのだろうか…と言葉にならない衝撃を受けていたので、この番組も食い入るように観たように思う。畳の部屋で男たちが卓を囲み、誰かが誰かがに視線を送るけど、座席図と視線の矢印を書いて見ると、話の方向にその相手はいない。ということを解説していたような記憶があったのだけど、今回再見してみて、そんな言及はなかったような…。記憶間違いか、他の何かで観たのか、もしくはDVDを観ながら3割ぐらい寝ていた私が見逃したのか。
 
 
「風の中の雌鶏」の階段の場面についての解説は記憶どおりだったなぁ。「東京物語」についての言及が多く、老夫婦が東京に辿り着き、彼らは東京を観るけれど、実は彼らも東京に観られているのだ…と言ったようなことを、吉田喜重の訥々としたあの語りで繰り返し、何となくこの番組に自分が強い影響を受けていたような気がしていたのだけど、今観ると、…そうかな?私はそう思わないけど…と思う箇所ばかりだった。でも初めての小津体験で受けた衝撃について、何かしら確固とした正解や理由があって、自分が映画について何も知識を持っていないばかりに、衝撃の正体に辿り着いていないのだ。と、その頃は…なにぶん10代ということもあって…思っていたのだけど、この番組を観ることによって、映画を観て何を思うかは自由なのだな、誰でも自分の言葉で話せばいいのだな。ということを、漠然と受け取っていたのかもしれない。と、ずいぶん時間を置いて思い直した。
 
 
この2人の監督は、松竹での活動期間の重なりがあり、「小早川家の秋」について批判的に書いた吉田喜重の文章を読んだ小津監督が、会合で酒を飲みながら絡む…という事件めいたものもあったらしい。むべなるかな、と納得するぐらい、この2人は相容れない気がするけど…。
 
 
 
 
 
写真はユーロスペースであった吉田喜重特集のパンフレット。確か「告白的女優論」の上映後に監督が登壇する回があり、ほとんどの場合、聞き手がいて、掛け合いながらトークが進むものだけど、その日は椅子は1つだけ置かれ、吉田喜重が1人で訥々と会場に語りかけるというなかなか斬新なスタイルだった。そして私はその日も3割ぐらい寝てしまい、ああ、吉田喜重の声の催眠効果よ…。パンフレットの表紙、「エロス+虐殺」のパリでの上映は、LA PAGODEだったのね。あの映画館には、salle japonaise(日本間)という東洋趣味の上映室があって、それがまるで日本風ではなく、金ピカの中東風なのだけど、日本映画だからあの場所で上映されたのかな…?

 

2015-09-11

The Philadelphia story

 
 
昨夜の映画。シネマヴェーラで「フィラデルフィア物語」、1940年。キャサリン・ヘップバーンをめぐって元夫、婚約者、記者の想いが入り乱れる。キャストは豪華、監督はジョージ・キューカー、どうしてこれまで見逃していたのだろう?と、観終わったら思うのかな…と、傑作の香りがしたのだけどそうではなかった。
 
 
上流階級の娘、キャサリン・ヘップバーンは当時の女性においては進歩的なキャラクターで、男の征服欲を掻き立てる女…という設定らしい。というのは、1人の男が、男の征服欲を掻き立てる女だ、と語ったから。私には情緒不安定で、キャサリン・ヘップバーンの見た目のイメージにも合っていないように思えたので、この女性のことをどう捉えればいいのだろう…と戸惑ってるうちに終わった。人物造形をセリフで語り、それが「ウィットに富んでいる風」のセリフのために必要以上にひっかかって頭にうまく入らず、最後まで男たちの名前と顔を一致させるのが難しかった。ジョージ…誰?元夫だっけ…?それとも父親?といったような。
 
 
これはきっと舞台の映画化に違いない、と調べてみたら実際そうで、ミュージカルの映画化、後に「上流階級」というタイトルでミュージカル映画としてリメイクされたらしいので、そちらのほうを観てみたい。「フィラデルフィア物語」がセリフで語り過ぎた分を音楽や踊りに分散させるとすっきりするのではないかしら。あ、年の離れた妹役の子役のこまっしゃくれた感じは良かった。成長してグレてなければいいな…と願わせる存在感の子役だった。キャサリン・ヘップバーンはドレスよりパンツのほうが断然似合う。
 
 
しかし、せっかくの「映画」であるのに、確かに言葉は大事だけれども、物語を言葉にばかり牽引させる映画にもはや耐性が低い。「上海から来た女」なんて、編集でズタズタにされたせいで物語の繋ぎが荒く、観たばかりの今ですら説明するのは難しいけど、後半の視覚的面白さはそんなことを補って余りあるものだった。なんて「映画」なのだろう。と、うっとり。
 
 
こう考えるのには理由があって、今年きっとルビッチを浴びるように観たからなのだろう。トリュフォーがルビッチについて語ったこの言葉、私も「ルビッチならどうする?」という気分の時に、なんとなく反芻している。
 
 
ルビッチのやり方というのは、物事に遠回しに近づいていくというやり方です。あるシチュエーションを観客に理解させなければならないときに、どうやったらいちばん間接的な、いちばん手の込んだやり方でそれが出来るのだろうか、と考えをめぐらせるわけです。」


 

2015-09-10

浅草東洋館とその周辺

 
 
上映イベントが終わり、4階から階段で下りる。来る時はエレベーターに乗ったのだけど、1階と4階のボタンしかないエレベーターだった。ホールを出たところに飾ってあった、井上ひさしとビートたけしの写真。東洋館の前身・フランス座時代、井上ひさしは座付き作家だった時期があり、ビートたけしはフランス座のエレベーターボーイから始まり、師匠に出会って芸人人生が始まった、という縁の場所。…ということが、写真の下に貼ってある紙に書いてあるのだけど、ビートたけしのほう、あれこれフランス座との関わりが書いてあり、やっぱり縁が深いとこれぐらいすらすら書けるよね、と思って読んでいると最後に「Wikipediaより引用」って書いてあって、…引用なんかい!と心で盛大にツッコミを入れ…
 

 
 
階段を下り始めると踊り場の喫煙所の壁に「HANA-BI 北野武ギャラリー」があった。本物じゃなくてレプリカだと思うのだけど、同じサイズの透明ビニールかけて、べたっと両面テープで壁にとめる的な野趣溢れる展示。ところどころ絵が破れてたりして…
 
 
 
 
これなんて、絵の前に思いっきり道具だか看板だか置いてあるし…
 
 
 
 
花火を見上げる絵の下に「頭上注意」って、ネタよね…?パイプ椅子に貼ってある「ツアー席」っていう紙も気になる…。パリのカルティエ財団で個展するような人になっても、案外、本人は東洋館のこの雑なギャラリーのほうが嬉しいかもしれないね…などと思った。
 
 
 
 
見過ごしそうな位置にしれっと貼ってあった話題の!東洋館も確かにTだね…
 
 
 
外に出ると、「浅草フランス座出身者」のコーナー。錚々たる芸人に混じって永井荷風の写真が。永井荷風はストリップの常連だったらしいけど、出身者と大きな括りでまとめられていた。
 
 
 
演芸場、どの街で見ても、外観に痺れる。
 
 
 
そういえば開場前に時間があったので、近くの、その名も「待合室」という喫茶店に入ったのだけど、アンティーク風照明、南国風植物、ヨーロッパ風絵画が一斉に目に入って時空が歪む。絵の下にあるサイン、左のは綾小路きみまろのだった。興味津々で調べてみるとこの店、夜になるとレイアウトが少し変わってカラオケも歌えるのだとか。それもピアノ演奏もしてくれる音楽の集いの場らしい。 昼間はそんな様子は微塵もみせず、ウェイターと呼ぶのが似合わない雰囲気のおじさんが、テレビをぼんやり見ながら果物の切れっ端をもぐもぐつまんでいたりして、ああ、目に映るすべてが北野映画に出てきそう。果物もぐもぐしてたら後ろから「サボってねぇで仕事しろバカヤロウ」ってハタかれて、そのうちヤクザの抗争のどさくさで店もろとも銃弾で吹っ飛びそうな店だわ…という、妄想が広がって止まらない「待合室」だった。
 
 
生粋の関西人なので、目に映るものになんでやねん、なにがやねん、とツッコミ入れつつキョロキョロするのが楽しい街にいると、ふつふつ血が熱くなってくるのを実感するけど、浅草は、ふつふつする街だなぁ。