CINEMA STUDIO28

2015-09-12

my Ozu year

 
 
今年は、はからずも私にとっての小津イヤーになっているのだけど、「吉田喜重が小津について語る番組」について記憶の奥に引っかかった状態で長くあり、しかしTVで観た記憶はあったので、もう観ることはないと思っていた。のだけど、案外あっさりDVD化されてレンタルもされていた。先々週ぐらいに借りて観た。
 
 
93年にNHKのETV特集で放送されたらしい「吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界」という番組。4夜連続だったのか、DVDには4回分が記録されていた。毎晩観た記憶はないのだけど、ちょうどその頃、家に転がってた「麦秋」のVHSを観たのが10代の私の初めての小津体験で、これは何なのだろうか…と言葉にならない衝撃を受けていたので、この番組も食い入るように観たように思う。畳の部屋で男たちが卓を囲み、誰かが誰かがに視線を送るけど、座席図と視線の矢印を書いて見ると、話の方向にその相手はいない。ということを解説していたような記憶があったのだけど、今回再見してみて、そんな言及はなかったような…。記憶間違いか、他の何かで観たのか、もしくはDVDを観ながら3割ぐらい寝ていた私が見逃したのか。
 
 
「風の中の雌鶏」の階段の場面についての解説は記憶どおりだったなぁ。「東京物語」についての言及が多く、老夫婦が東京に辿り着き、彼らは東京を観るけれど、実は彼らも東京に観られているのだ…と言ったようなことを、吉田喜重の訥々としたあの語りで繰り返し、何となくこの番組に自分が強い影響を受けていたような気がしていたのだけど、今観ると、…そうかな?私はそう思わないけど…と思う箇所ばかりだった。でも初めての小津体験で受けた衝撃について、何かしら確固とした正解や理由があって、自分が映画について何も知識を持っていないばかりに、衝撃の正体に辿り着いていないのだ。と、その頃は…なにぶん10代ということもあって…思っていたのだけど、この番組を観ることによって、映画を観て何を思うかは自由なのだな、誰でも自分の言葉で話せばいいのだな。ということを、漠然と受け取っていたのかもしれない。と、ずいぶん時間を置いて思い直した。
 
 
この2人の監督は、松竹での活動期間の重なりがあり、「小早川家の秋」について批判的に書いた吉田喜重の文章を読んだ小津監督が、会合で酒を飲みながら絡む…という事件めいたものもあったらしい。むべなるかな、と納得するぐらい、この2人は相容れない気がするけど…。
 
 
 
 
 
写真はユーロスペースであった吉田喜重特集のパンフレット。確か「告白的女優論」の上映後に監督が登壇する回があり、ほとんどの場合、聞き手がいて、掛け合いながらトークが進むものだけど、その日は椅子は1つだけ置かれ、吉田喜重が1人で訥々と会場に語りかけるというなかなか斬新なスタイルだった。そして私はその日も3割ぐらい寝てしまい、ああ、吉田喜重の声の催眠効果よ…。パンフレットの表紙、「エロス+虐殺」のパリでの上映は、LA PAGODEだったのね。あの映画館には、salle japonaise(日本間)という東洋趣味の上映室があって、それがまるで日本風ではなく、金ピカの中東風なのだけど、日本映画だからあの場所で上映されたのかな…?