日曜の浅草、東洋館での上映イベントについて、続き。説明付き活動写真、最後の1本は溝口健二「東京行進曲」。 浅草が映画興行のメッカだった頃、すべての封切り作は浅草からスタート、評判が良ければ地方へと流れていったとのことで、世界の溝口のデビュー作も浅草からスタートしたとか。そして「封切り」の言葉の由来は、映画フィルムが輸入され船で横浜に着いた後、文字通り、封を切られ、検閲にかけられた、という歴史から来ているのだとか。
「東京行進曲」は1929年の映画。 主題歌が有名で、当時レコードは1万枚売れればヒットだったところ、この曲は25万枚も売れたとのこと。「シネマ見ませうか お茶のみませうか いっそ小田急で逃げませうか」という歌詞があり、小田急から駆落ち列車だと思われたら名前に傷がつく!とクレームが入ったけど、主題歌が大ヒットして小田急に乗るのが流行ったそうで、主演の人々に小田急にずっと無料で乗ることができる切符がプレゼントされたらしい。現金ですこと!
男への恨み節を死の床で譫言のように繰り返しながら亡くなった母、みなしごになった美しい娘が親戚に預けられるも生活苦から芸者に転じる。娘に運命を感じる御曹司から熱烈に求婚されるものの、どうにもならに事情があって…という物語。最初に観た溝口映画が「祇園の姉妹」だったか「浪速悲歌」だったかどちらかで、とにかく入り口が生活に苦しみ夜の街へ、そして叫ぶに叫べない女の哀しみ…という主題のものだったので、私にとっての溝口映画のイメージはそのようなもので、この映画もそのものだった。
映画好きの方…特に異国の映画好きの方と話をしていると、クロサワは好きか?ミゾグチは?と最初に聞かれる人なので、私が好きなのはオヅであって、次がたぶんユウゾウ・カワシマであって、クロサワやミゾグチは素晴らしいとは思うけど、好きではない。と答えると、何故か?と聞かれ、ミゾグチについては、彼の映画は可哀想な女ばかり出てくる。可哀想な女を、可哀想に描いて、これがリアリズムだ、俺は女をわかってるのだ。と大上段から構えているような無言の圧力を感じるので、自分にとって心地良いものではない。有名なエピソードで、愛人に背中を刺されて生々しい傷が残っているのを助監督か誰かに見られて、「これぐらいじゃないと女は描けませんよ」って言ったっていう、本当かどうかわからないけど、それが事実だとしたら、そういうところが嫌い!と答えていたのだけど、
阪妻の映画を観て日本人の頭身の変化について考えた後に「東京行進曲」を観ると、溝口健二の時代は女の生き方のバリエーションはずいぶん少なく、堅気として嫁に行くか玄人として生きるかぐらいの選択肢しかなく、1世紀も経たないうちに身体がぐっと西洋化したように、女の職業も間口が広がり生き方も多様に進化したのだな。と、何かしみじみし、溝口健二、そりゃ出会ってもいない、探すのも難しい自由で自立した女なんて描けるはずもないよね。嫌いなんて言ってすみません…。という気分になったのは、往時の映画興行を再現しようとした浅草の、こんなイベントで観たからかもしれない。今でも好きではないのだけど、つまらない理由でもう、嫌いなんて言いません…。
上映の最後、この時代の(戦前の?)映画で現存しているものは、製作された数の10%にも満たず、特に人気作ほど繰り返し上映されてフィルムの消耗も激しいため残っていないのだとか。だからもしご家庭で映画のフィルムが残っていた…なんてことがあれば貴重なものなので捨てずに、保存運動をしているところに連絡してください…というようなことを、弁士の方がおっしゃって、灯りがついた。
あ、ここまで書いて思ったけど、この物語、「東京行進曲」ってタイトル、全然似合ってない!確かに舞台は東京だけど、行進曲って何。ついでに言うと歌詞も特に映画とシンクロしてるわけでもない…!おおらかで面白いな…。