シネマヴェーラで。ロベルト・ロッセリーニ「ストロンボリ」観る。1949年の映画。主演はイングリッド・バーグマン。ロッセリーニ「 無防備都市」を観たバーグマンが、こんなにいい映画なのに観客が少なすぎてありえない!私(という知名度のある女優)が出演することでロッセリーニの映画を多くの観客が観るようになればいい!と、熱いラブレター書いて2人が出会って作られた1本目の映画。
バーグマンがエラいところに嫁いでしまった!と大騒ぎする物語。戦争孤児になったバーグマンが、難民キャンプで知り合った男にプロポーズされ、他に生きていく方法もないから結婚し、男の故郷に来てみたら、それが地中海の小さな島・ストロンボリ島で、島人たちはみんな保守的でイケズだし、すぐそこに活火山はあるし、夫は漁に出てあまりいないし、着いた瞬間もう帰りたくなってしまってジタバタする。
ストロンボリ島という島が、そこで撮るだけで何でも映画になりそうな特異な島。いつ噴火するかわからない火山が中心にあり、男の質素な家は時間をかけて噴火の影響でダメになった土地を整えてようやく建てたもので、火山に怯えながらもそこで暮らすしかない土地の人々の静かな諦念に溢れた家。映画に使われたこの家は未だに島に残っているらしい。行ってみたいようなみたくないような・・。海と面白い建築繋がりではゴダール「軽蔑」に匹敵する画面の面白さ。さらに加えて火山もあるんだぜ・・。
牧師や教会が度々登場し、中盤までは島の人々の保守性の象徴みたいに思えるのだけど、この島の厳しすぎる環境を目の当たりにすると強い信仰心もむべなるかなと思えてきて、強がっていたバーグマンが最後ただ神に祈るしかなくなる変化も理解できる。
途中の迫力あるマグロ漁の場面は、その前の笑ってしまうほど素朴なタコ漁からの落差も面白く、これぞ島の男の仕事!と思えてくるし、その流れで観ることになる火山の噴火シーンは、逃げまどうバーグマンや、船に浮かんで避難するしかない島の人々の姿とあわせてこの映画の一番の見所。火山撮影で助監督の1人が命を落としているらしい・・。
ぼほ最後まで島に同化しない自称「都会の女」バーグマンの、周囲の人々、自然からの浮きっぷり。「島に住む私」にいつまでも変化できず、「島と私」の距離を頑なに縮めようとしない彼女が、身体を使って疲労することで徐々に島、火山に同化し、島の人々のように神に祈るようになる変化を見守るまで、一秒たりとも気が抜けない緊張感溢れる物語だった。
久しぶりに観たバーグマンは、自分の記憶の中の印象以上に骨太。もっと華奢な女だと勘違いしていた。コットンのストライプのシャツ、ジャストサイズより1サイズは大きそうなトレンチコート、黒いニット、たっぷりしたパンツ、フレアスカートはどれもマーガレット・ハウエルのような素材、サイズ感で、骨が細すぎてどうしてもああいうのが似合わない私は、そうそう、こういう洋服が似合うのはこういう身体の女よね、と思いながら眺めた。骨格がしっかりしており、胸もヒップも肉を感じさせる豊かさ。漁を見物に行った女が水に濡れスカートを膝上までたくしあげたときは細く筋が目立つ脚が強調される。それは島の他の女が家の外ではけっして見せない奔放な振る舞いで、洋服も素朴でシンプルなようで島の女の誰とも違う。こんな女が閉鎖的な島に来たら、目立ってしまってしょうがない。父の一番好きな女優がバーグマンで、今になって観てみると、ああ、こういう顔に知性があって、芯が強そうで、気も強そうな女、いかにも好きそうだなぁ・・と納得。話題にしたことないけど父はアリダ・ヴァリなんかも好きなんじゃないかしら。大きめのトレンチコート着て男を無視するのが似合う女、アリダ・ヴァリ。
スクリーンで観られただけでも感謝すべき1本だけど、いつかもっと大画面で再会できる日を楽しみにしたい。
発見した「ストロンボリ」撮影中の風景。なんと!イングリッド・バーグマン本人による映像らしい。映画の険しさとはうってかわって笑顔溢れる撮影現場。ロッセリーニとバーグマンは出会ってしまってお互いの家庭を捨て、このスキャンダルによりハリウッドとは長らく距離を置くことなった。という前提で観てしまうからかとても生々しい映像。しかし、バーグマンの、良き家庭人であることよりも、女として女優として欲望に正直に生きる意志を知ってしまっていることも含めて観る「ストロンボリ」は、バーグマンの私生活が、ふらふらになりながらも逞しく火山を登っていくヒロインの姿から透けて見えて、ただ映画を観る以上に味わいある映画体験になった。