CINEMA STUDIO28

2013-12-11

Dystopia stories


 
 
 
 
映画館を出た後、外の世界が少し違って見えるのは私にとって良い映画。夏に観た「コズモポリス」、数ヶ月か経った今も、少し世界が違って見える。カイエ・デュ・シネマ2012年ベストは1位がカラックス「ホーリー・モータース」、2位がクローネンバーグ「コズモポリス」で、奇しくもどちらもリムジンに乗った男が街を移動する映画。2012年はリムジン映画豊作の年だったのね。他は知らないけど。外から入ってくる刺激の吸収率は、自分の渇望度合やタイミングにおおいに左右されるのだから、今話題の!や、全米大ヒット!など謳われても、ね。資本主義はどうやって終わるんだろうな・・・とぼんやり考えていたタイミングで「コズモポリス」を観たので、がつんと吸収してしまった。
 
 
 
 
「コズモポリス」は、資本主義が緩やかに自殺する1日を描いている。「トワイライト」シリーズでアイドル人気を獲得したロバート・パティンソンが資本主義そのものである男を演じていた。リムジンの後部座席に端正な男が座るチラシを見たときから気になっていた。スーツはグッチが提供したらしい。エンドロールによると時計はシャネル。話の中身を知らないうちは、男がとっかえひっかえ瀟洒な衣裳をお着替えする映画かと思っていたら、或る1日のほんの数時間の物語で、途中セックスの度に脱いだりするものの男は着替えない。ただ、きっちり着たスーツは、よれていき、シャツは汚れ、男は徐々に肌を露わにしていく。高級スーツがずたずたになっていく過程がそのまま時系列に資本主義の崩壊を象徴していた。
 
 
男は一日の殆どの時間をリムジンで過ごし、リムジンの中から世界の通貨をコントロールする。期待をかけていた通貨(ドン・デリーロの原作では日本円だが、映画では中国元に置き換えられていた。なんと・・・!)が男のコントロールを外れ急降下していく。男は世界を緻密に操る如く、自分自身の身体の内側すらも正確に把握すべく毎日医師をリムジンに招いて健康診断を受ける。その日はいつもの医師が現れず、やってきた代理の医師により彼の前立腺の非対称性を指摘される。彼を知らない代理医師がたまたま見つけてしまったのか、いつもの医師も見つけていたけど指摘できなかっただけなのか。己の前立腺すら完全な対称を信じて疑わなかった彼の歯車が狂っていく。
 
 
男は富によって、もしくは富に支えられた美貌によって、美しい富豪の妻と知り合い政略めいた結婚をするが、リムジンで移動する時間の中で、時々会う妻にはセックスを拒否され続ける。日に何度も食事を摂り、日に何度も妻の替わりに適当な女たちと交わるさまは全てを手に入れているはずの彼の欲望不満を炙りだしていた。
 
 
格差の違う者同士は決して混じり合うことはない暗黙のルールの元に運営される資本主義世界で、歯車が狂い始めた男は、下位階層の男に自ら近付いていく禁忌を犯し、映画は終わる。ブラッドリー・クーパー同様、この映画ではロバート・パティンソンも身体が多くを語っていた。ロバート・パティンソンの身体はトレーニングの形跡がなく隙がある。フォトショップしたような筋肉が目立つ身体を持つ男であれば、崩壊が忍び寄る隙間すら与えなかっただろう。ロバート・パティンソン、端正な顔と緩い身体、その不均衡さがこの映画にとても似合っていた。
 
 
2003年、リーマンショック前に書かれた原作、ドン・デリーロ「コズモポリス」は予言的小説と呼ばれているらしい。2010年に書かれた「スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー」もきっと予言的内容なのだろうと分厚い本を読み始めている。
 
 
 
 
 
 
 
こんな物語・・・読むしかない。「コズモポリス」で崩壊した世界の続きの物語にも思える。まだ30ページしか読んでないのに、完全に力を無くしたアメリカの描かれ方は既に非常に切ない。
 
 
 
 
 
自分を取り巻く環境要因がこんな気分にさせるのかもしれないけど、今とても、世界の終わりに興味がある。ディストピアってどういう意味だったっけって調べてみたら、ユートピアの反意語だけど、ディストピアとして描かれる世界は、実はユートピアとして描かれる世界との共通部分が多い。と読んで、墨を飲んだような気分に陥っている。
 
 
素朴な疑問・・・世の中の人はどうやって読書時間を捻出しているの・・・?テレビからもインターネットからもじゅうぶんな距離を置いているのに、なかなか読書時間の捻出は難しい・・・。