CINEMA STUDIO28

2013-12-10

The place beyond the pines




ギンレイホールで。怖いもの見たさで「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」を観た。

http://www.finefilms.co.jp/pines/

「ブルー・バレンタイン」の監督&主演ライアン・ゴスリングが再タッグを組む触れ込みで、私は「ブルー・バレンタイン」が21世紀に入ってから観た映画でワースト5に入るってぐらい苦手だった。途中退席しようとしたらびっしり埋まった客席の殆どが倒れそうなほど号泣してて出るに出られず、拷問みたいに画面を凝視するはめに。何がそんなに苦手だったのか説明できないけど、それを言っちゃあおしめえよの一言を言わせていただくと「なんか生理的に無理」としか言いようがなく・・。時間を割いて鑑賞したのだから何か教訓を持ち帰ろうと真面目に気分を切り替え、最後の花火シーン観ながらの結論は「どれだけ心が弱っていたとしても、え?その髪型なに?その服装は?と直感で引いてしまう男には隙を見せてはならぬ」ということ。

その後、ライアン・ゴスリングについては「ラブ・アゲイン」で、とってもキュートだったので私的信頼回復。

舞台はNY州スケネクタディ。親同士の因縁が、子供にまで続く血の巡りの物語。バイク曲芸で身を立てる流れ者の男にライアン・ゴスリング、彼を追い詰める警官にブラッドリー・クーパー、バイク乗りの子供として後半登場するデイン・デハーン。3人の俳優が物語を繋いでいく流れを見ているだけでも豪華。監督はきっとライアン・ゴスリングに男のセンチメンタルを詰め込みたい欲望が抑え切れないと見えて、「ブルー・バレンタイン」同様、前半はかなりセンチメンタルながら、その後を引き受けるブラッドリー・クーパーの存在により私にとって観るべき映画になった。オープニングでブラッドリー・クーパーが出ていることを初めて知ったので、想定外で嬉しかった。

ブラッドリー・クーパー、顔立ちや表情、身体つきがとても健やかで、彼の登場以降、淀んだ画面が浄化されるような感覚があった。「世界でひとつのプレイブック」も、なかなかどうしようもない話だったけど、ブラッドリー・クーパーの健やかさが物語を助けていた。今はどん底にいるとしても、このような身体の男であればおかしな方向には行くまい。と、画面に映ってるだけでこちらに思わせる不思議な説得力。見た目は大事。立っているだけで何かを語れる俳優は強い。あの映画はジェニファー・ローレンスの身体もそうで、途中から物語はどうでもよくなり、2人の身体の動きばかり見ていた。「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」でも、これがブラッドリー・クーパーではなく、例えばホアキン・フェニックス(極端な例え・・!)のような身体の俳優が演じていればずいぶん違った物語になっただろう。野心の陰に秘密を隠してのし上がっていく警官役にブラッドリー・クーパーはナイスキャスティング。

最後のパートを引き受けるデイン・デハーンは、今年話題になった超能力ハイスクールもの「クロニクル」主演の若手俳優。レオナルド・ディカプリオの若い頃を彷彿とさせる華奢さと、ベネチオ・デル・トロを彷彿とさせる目の下のクマが印象的で、20代半ばなのに暗い高校生役が板につきすぎている。これから有名になっていくんだろうなぁ・・。最後を引き受けて因縁の物語に落とし前をつける役割は、若くて屈折してそうな見た目なら誰にでもできるものではない。デイン・デハーンは今の見た目を保っていられる間はあらゆるバリエーションの高校生を演じておいてほしい。





物語の舞台はNY州スケネクタディ。この変わった地名は、原住民の言葉で「松の木々の向こう側」という意味らしく、そのまま原題になっている。さらにpineには後悔といった意味もあるらしく、後悔を超えたところにある場所という、映画を観終わった後なら腑に落ちるトリプルミーニングのタイトル。日本語題はあまりに雑だけど、かといって代案もうまく思いつかない。名前をつけるって難しいことだけど、日本語題のせいで日本ではあまり話題にならずにいるのではないか。この映画はきっと、何年か後、俳優陣がさらにメジャーになった頃、やたらキャストが豪華かつ物語も良い。と、世の中に認知されそう。





↑この絵(ポスター?)はとても良いけど、映画の印象はあまり伝えてないな・・・
いろんな国のポスター検索してみたけど、3人の俳優をきちんととらえたものがないのが意外。