CINEMA STUDIO28

2013-11-28

Un monde sans femmes


ユーロスペースで。ギョーム・ブラック監督の短篇「遭難者」、中篇「女っ気なし」を観る。2本あわせて1時間少し、フランス北部のオルトという海辺の街で撮影され、シルヴァンという男が登場するシリーズのような構成。6月のフランス映画祭のチケットとる時、あらすじ読んで博打気分で観てみたら大当たり。6月の段階で今年のベスト1を予感した。


「遭難者」はロードバイクに乗った本気の自転車乗り男がパリから峠を越えてオルトにたどり着き、とんぼ帰りでその日のうちにパリに帰るつもりがタイヤがその日何度もパンクしたり、シルヴァンという男に話しかけられ時間を過ごすうちにパリに戻れなくなってしまう予期せぬオルト1泊2日の物語に、自転車乗りとその恋人の倦怠した関係が絡んでいく。短い物語ながら、自転車乗りの袋小路に迷い込んだような逃げられなさ・・・頭を空っぽにしたくてわざわざパリから遠くまで無心に自転車漕いできたのに、見知らぬ街で見知らぬ人々とふれあってる間に、逃げたはずの問題の中心に突入してしまった感って実際あるあるだし、続く「女っ気なし」の伏線としてオルトという街と、そこに住む普通の人々を紹介する予告編にもなっている。


映画祭のティーチインでの質疑応答は思わぬ方向から質問が飛ぶことあるあるだけど、「遭難者」では、パンクに苛立った男が自転車を放り投げる場面について「一般的に自転車は、軽ければ軽いほど高級と言われており、あれだけ軽々と放り投げられるということは撮影には高級な自転車が使われてると思うのだが、自転車乗りとしては心が痛むが、監督はどう考えるか?」と質問が飛び、ギョーム・ブラック監督がニヤリとしながら「実は僕も自転車乗りなんだ。あの放り投げた自転車は、僕自身のものなんだよ」と答えていたのが面白かった。


「遭難者」で好きなシーンは、シルヴァンが缶に入ったお菓子か何かを自分でまず1つとり、自転車乗りに薦めてふたりで無言でお菓子を食べるシーン。気まずさと突然芽生えた親密さと手持ちぶさたさと。それから、パン屋でパンを買いまくる自転車乗りに、パン屋にいる太ったおばさんが「そんなに食べちゃ私みたいになるわよ」と真顔で言うシーン。このおばさんは「女っ気なし」にも出てくるマリーさん。マリーさんがどうかは知らないけど、映画にはオルトで現実に生活している素人がたくさん登場しているらしい。


続く「女っ気なし」は、しょっぱなから「遭難者」のシルヴァンが「遭難者」の時と同じ服装で登場する。この物語では彼が主役で、「遭難者」で自転車乗りを受け入れたように、パリからヴァカンスにやってくる母娘を受け入れる。あからさまにセクシャルで開放的な若い母。そんな母にややうんざりしつつ、淡々と物静かな娘。オルトという街はパリからの距離の近さもあり20世紀前半には夏の保養地として非常に栄えたけれど、その後、天候の良い南仏に人気が移り、すっかり寂れてしまったとのこと。ずいぶん前、熱海に行ったとき壮大なゴーストタウン感に打ちのめされた気分になったけど、あれのもっと規模が小さく切ないバージョンか。


仏語タイトルのUN MONDE SANS FEMMES は「女のいない世界」という意味で、「女っ気なし」というのは素っ気なさも言い切り感も抜群の邦題。夜にはほとんどの店が閉まってしまい、若者は土曜の夜には死にたくなるオルトという街そのものだし、そんな街で独り暮らす冴えないシルヴァンそのものでもある。


シルヴァンが美しい母娘と短い時間を過ごし、ヴァカンスが終わって2人が帰っていくまでの物語。部屋に映画やミュージシャンのポスターを貼り、冷蔵庫にムーミンの何かを貼り、常に甘いものを口にし、夜はひとりでwiiで遊ぶ彼の女っ気なしの世界が久々に女で彩られたとき、髪をとかし、洋服を買い、車に溢れるキャラクターグッズを軽く決意に満ちた表情でダッシュボードに隠す細かい行動を注意深く追ううちに、酒に酔った調子の良い母親がリップサービスか本心か曖昧な口調で「目が綺麗ね」と誉めたとおり、よくわからない髪型と小太りの頬肉につい愛着が湧いてしまった頃、確かにシルヴァンの目がとても綺麗に思えてくるのだ。


映画祭のティーチインで、男性が「最後にシルヴァンに訪れるご褒美は、自分のようなモテない男に夢を与えてくれるようだった。ありがとうございます」と感想を言って会場を湧かせていた最後の10分間は、最初観たときより2度目のほうが見えなかったものがよく見えた。目が醒めたシルヴァンが朝の光の中、最初に見た景色など。ヴァカンスは永遠には続かないけど、ヴァカンスで会った人は自分を確かに変えていくのだ。


「女っ気なし」は1時間ほどの時間すべてが好きな場面と断言できる。とりわけ好きなのは「遭難者」のパン屋のシーンに登場した太ったおばさんマリーさんとシルヴァンが庭でお茶する場面。シルヴァンに尋ねられ、マリーさんは夫とのなれそめを話す。セリフは確かこんなだったっけ。「お互い家族で出かけたキャンプで会ったの。その頃、私はもうこんな(太った)姿だった。お互い、最初、言葉はなかったわ。ふたりで海岸を歩いて・・ある時、自然に手を繋いだのよ」


ティーチインで冷蔵庫に貼られたムーミンの切り抜きについて質問があった時、監督は、よくそんな細かいところに気づいたね、という前置きで「あの物語が日本でどれぐらい知られているかわからないけど、自分にはロメールやロジエよりもムーミンからの影響が強い。いっけん優しい物語の中に、男女が一緒にいることの難しさを語っている」と答えていたのが印象的だった。ムーミンの物語をそんなふうに読んだことはなかったから、改めて読んでみたい。確かにシルヴァンも、太ったマリーさんもムーミン谷に存在しそうなキャラクター。


映画を作ったとき、監督自身は孤独を感じていたという。オルトという寂れた土地に惹かれ、シルヴァンを演じる俳優と出会い、これらの物語が生まれた。遠い場所で生まれた物語が海を渡って東京にいる私の胸をこれほど打つなんて、純度の高い孤独とはまったく素晴らしいものである。




おそらく明日まで、渋谷で。終わってしまうのが寂しい。また、年に1度はシルヴァンに会いたいなあ。日本バージョンのチラシもサイトも素晴らしくて、思わずポスター買ってしまった。