CINEMA STUDIO28

2013-12-12

Happy 110th anniversary Mr.Ozu!

 

Googleのトップが東京物語。12月12日は小津安二郎監督の誕生日かつ命日。110年前に生まれ、50年前に亡くなった。こういう日は・・何と言えばいいのかな。おめでとうございます、じゃ不謹慎な気もするし・・。

 

この本は「小津安二郎生誕90年フェア公式プログラム」で、20年前の本。私の本棚でも最古の本だと思う。買ったとき高校生だった。そして100年フェアの10年前、まったく同じ内容の本が発売されたことも知っている。ずっと映画を観ていて、好きな監督は入れ替わりもするけれど、小津監督はほとんど唯一ずっと憧れの人で、自分が年を重ねるごとに美意識の高さに平伏す度合いは増すばかり。

 
 
 
 
 
 

現在、小津監督についての企画が多いのでメモ。


・神保町シアター
観ようと思っていた「宗方姉妹」を逃してしまった。観られる映画はほぼ観ていると思うのだけど、今回の特集では年明けのサイレントのを楽しみにしている。
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/ozu2.html


・フィルムセンター展示
ものすごく楽しみ。
http://www.momat.go.jp/FC/ozu2013/index.html


・GyaO
なんと日替わりで無料配信!
http://special.streaming.yahoo.co.jp/movie_ozu/


・BRUTUS
本屋で小津監督特集を見かけると必ず手には取るけど、必ず買うわけではない。これは、冒頭に小津監督生前最後の写真(なんと中井貴一と一緒に写ってる)が載ってるのを確認して購入。小津作品の衣裳について栗野宏文さんの文章あり。まだちゃんと読めていない・・。「小津の入り口」という切り口ながら、ファン歴20年の私にも新鮮な内容ばかりで嬉しい。
http://magazineworld.jp/brutus/767/


たくさんあるけど、何を観ればいいの?という方には私の特に好きな2本をおすすめすることにしている。


■浮草(1959年)


かつて日本の映画製作において「五社協定」という、松竹、東宝、大映、新東宝、東映の大手5社の間で、各社専属の監督、俳優を引き抜かない、貸し出さないという内容の協定が存在する時期があり、小津監督の映画が松竹ばかりなのは松竹専属だったから。協定が終了する間際には俳優や監督の貸し借りも行われる程度に緩くなり、「浮草」は小津監督が唯一、大映で撮った映画。大映は美しい映画を作ることに執着するあまり制作費がかさみ倒産したという説もあるほど、今観ても本当に綺麗な映画ばかり。松竹での映画ももちろん素晴らしいけど、「浮草」は小津監督の世界観を大映のクオリティで観ることができるお得な一本。撮影は「羅生門」で有名な宮川一夫さん!


大映で撮るということはスタッフも、そして俳優陣も大映の専属を使うという意味で「浮草」に笠智衆や原節子は登場せず、代わりに若尾文子、京マチ子、川口浩、中村雁次郎という大映のスター俳優がキャスティングされている。旅回りの一座の数日間の物語。若い女がその土地の男を誘惑したり、その土地にかつて女がいたらしい男を、今の女が責めたり・・と、小津監督の映画にしてはやや派手な物語でもある。


最初から最後まで画面がしっとり濡れているような、艶っぽい映画。色恋沙汰が絡む物語のせいだけでも、大映クオリティの美しさのせいだけでもなく、おそらく小津監督がいつもの松竹を離れ、初めての大映でスタッフや俳優陣をうまく制御しきれていないからかもしれない。私の好きな小説で、セクシーの意味について問われた子供が「よく知らない人を好きになること」と答える場面があるのだけど、この映画はだからとても艶っぽいのだと思う。旅芸人が楽屋で着る浴衣の裾が、階段を上がるたびに捲れて見える素肌にハッとするように、自分のコントロールを外れて予測不能な動きをする男や女を、よく知らないけど、とても美しいし興味深いと思いながら撮られた映画のように、私には見える。


■麦秋(1951年)


初めて観た小津映画で、それからずっと好きな1本。北鎌倉に住む笠智衆とその娘・原節子。原節子の結婚を近所に住む杉村春子が心配するという物語。「東京物語」に比べ、誰も死なないし、大団円で終わるのが良いのかもしれない。しかし最後のほうでおじいちゃんが言う「生きていれば、いつかまたみんなで会えるさ」という一言は、昔はさらっと流して「家族なんだからいつでも会えるんでしょう?」と不思議に思いつつ聞いていたのが、この頃は重い言葉に聞こえてくる。これは家族が当たり前に寄り添って共に暮らす、当たり前に思えて実は短い時期の、最後の瞬間を描いた物語だったのかもしれない。


高校生時分の私は小津作品をいくつか観て、東京では役員室みたいな部屋に佐分利信みたいな叔父さんが働いてて、仕事の時間に「ちょっと近くに用があったから、叔父さまどうされてるかと思って」ってお邪魔すると「やぁ、よく来たね。どうだい、鰻。いいだろ、鰻」って一緒に鰻食べに行くような労働生活が営まれてると妄想してたけど、大いなる錯覚だったな・・。