CINEMA STUDIO28

2013-12-18

THE BLING RING

 
10月、東京国際映画祭で。ソフィア・コッポラ「ブリングリング」を観た。
 
 
ずいぶん前バラエティ番組で女優の紺野美沙子とフレンチの坂井シェフが料理対決していた。いくら紺野美沙子が自称・料理好きだからと言っても坂井シェフは本職のシェフだから、最初の設定でハンディキャップを設けており、食材に使える予算が4人前ほどで紺野美沙子は10万円、坂井シェフは1000円だっけな。紀伊國屋だか、高級スーパーでフォアグラ、カラスミ、高級食材をぽいぽいカートに入れていく紺野美沙子。対して坂井シェフは商店街の八百屋で野菜を1つだけ売ってもらったり、魚のアラをもらったりして格安で食材を調達。出来上がりは、紺野美沙子の料理は盛りつけもいかにも素人のそれで、坂井シェフのは材料費の安さが信じられないほど美しく、食べた人たちの判定も満場一致で坂井シェフ。紺野美沙子の顔に泥を塗るような展開だったのだけど・・プロとアマチュアの差ってわかりやすいなぁ・・と思った。
 
 
ソフィア・コッポラのこれまでの映画を思い出すとき、あのバラエティ番組の紺野美沙子が同時に思い出される。デビューする前から既に名前が売れているお膳立て、キャスティングもきっと希望が叶いそうだし、音楽やファッションのセンスも良い。これだけの高級食材を揃えて、どうして出来上がる映画がつまらないんだろ・・?新作かかるたびに観に行っては悪態をつく自分もどうかと思うけども、今回の新作もあまり期待はしていなかった。
 
 
しかし「ブリングリング」はソフィア・コッポラの新境地。自分だけの庭で遊んでた女の子が、世界と交わり始めたような映画。前作「SOMEWHERE」は驚くほど空虚な映画だな、と思っていたら、最後の最後に主役の男に同じところをぐるぐる車で走らせた最後に、俺には・・・何もない・・。と呟かせて終わったけど、あのセリフでソフィア・コッポラは自分の何かを殺したのかしらね。と「ブリングリング」を観て思った。
 
 
ハリウッドセレブの家を次々に襲い、ブランドものの洋服、靴、バッグ、ジュエリー、現金を狙った窃盗団は近くに住む高校生だった・・という実際の事件をとりあげたこの映画、パリス・ヒルトンが撮影協力し、ありえないほどゴージャスな(そしてかなり趣味の悪い)クローゼットを披露している。
 
 
高校生が住む一帯というのが、ハリウッドセレブが住む一帯と絶妙に近い。という設定がいい。設定というより実際の事件だから事実なのだけど、Googleでセレブの住所を調べ、その夜すぐに気軽に狙いに行けるほどの近さは、物理的な近さ以上に本来は一方的に知ってるだけのはずの有名人との距離も消し去ってしまう。セレブのTwitterやパパラッチが即時更新する動向もチェックできてしまうと、顔も知らない隣人以上にセレブが近く見えてしまう。
 
 
窃盗団を構成する男女も絶妙におバカで病んでおり、実物は映画以上におバカだな、と、原作をちらちら読みながら思ってるところ。主犯級のふたり、転校生の男子(彼はゲイなのか・・?本をもっと読めばわかるのかしら。映画ではそういう描写もあったけど、主犯の女の子に惚れてるようにしか見えなかったのだけど)、もう1人のアジア系の女子、この2人がとても良い。アジア系女子の肝の据わり方・無駄なほどの行動力・思考の浅さはこの犯罪の主犯にぴったり。最後まで観てもまったく反省してなさそうで、日本でリメイクするなら覚醒剤でしれっと逃亡したあの女優さんの若い頃でベストキャスティングだと思う。窃盗団で唯一、有名女優がキャスティングされていたエマ・ワトソンは、さすがの演技慣れで要所要所で映画を引き締め、最後においしいところを持って行ってさすが。まあ、エマ・ワトソンじゃなきゃダメ!って役でもない気もするけど…。裁判シーンの短さがいい。エマ・ワトソンのおバカな母親(朝食に抗うつ剤を娘たちに飲ませたりするし、引き寄せの法則にカブれている)の女優はジャド・アパトーの奥さんらしい!
 
 
ソフィア・コッポラは子供の教育のために久しぶりにアメリカに戻ったら、思った以上にアメリカがSNSとセレブリティのゴシップにまみれていることに驚き、この実話の映画化を企画し始めたとのこと。ソフィア本人はインターネットから日々離れた生活をしており、娘たちが成長する頃には今とまったく違う(昔のような)世界になっていてほしいと願っているらしい。
 
 
世界と交わり始めたとたんジャーナリストみたいなスタンスが垣間見えるのが興味深いけど、淡々とセンセーショナルな実話を映画に仕立てつつも、強いメッセージを込めるのは暑苦しいし粋じゃないわ。というトーンで終わっているのは、ソフィア・コッポラが「どうして自分がファッションアイコンなんて言われるのかわからない」ってしゃあしゃあと言えるセレブリティで、どうしてそんなにルブタンが欲しいのかしら?本当にわからないわ。って本物は買えなくてファストファッションで格安のルブタンふうを買うしかできない下々の者どもに自分の名前のついたルイヴィトンのバッグ持ちながら真顔で問いかけてるみたいでもある。人はその人が育った目でしか世界を見られないのだなぁ・・。自分の内面ばかり描いてたこれまでの映画より、この映画のほうがずっとソフィア・コッポラという人が見えてきた気がしている。
 
 
映画は楽しめたけど、この物語はきっと事実が一番興味深いのだと思う(映画を誉めてるんだか貶してるんだか・・)原作本を早く読もう。
 
 
 
 
東京国際映画祭での上映は、上映前にソフィア・コッポラ本人の舞台挨拶があった。前から2列目、1列目が報道席だったのでそのすぐ後ろに座ったら、ソフィア・コッポラが2メートル以内に。
 
 
ティム・ガン先生が「確かに彼女はいっそ無視してやりたいほど恵まれた人間ですが'(親族は有名人ばかりで、マーク・ジェイコブスは親友です)、ここは公平になりましょう。彼女の落ち着いたファッションはぜひ見習うべきです」と、おっしゃるとおり、ソフィア・コッポラのファッションは彼女の映画以上に好きなので、至近距離からじろじろ観察。スーパーナチュラルかつミニマムに整えるために、最大限の努力のもと、最良の選択をした、というファッション。VALENTINOのラインストーンがついた白いシャツ、光沢あるウール?シルク?の黒いパンツ、素足にオープントゥのウェッジサンダル。ペディキュアはなし。マニキュアは透明のをうっすら。両手にビジューのついた太いバングル、左手薬指に指輪、首もとに細いネックレス。それぞれ質の良さがひとめでわかり、イブニングドレスのようなわかりやすいドレスアップではないけど、同じぐらい手がかかった(そしてお金も)シンプルで豪華なファッション。とても落ち着いた声で言葉を選んでしっかり喋り、会場にいる誰よりも賢く見えた。舞台挨拶の後、カメラマンに囲まれ「ブリングリングの世界にいるみたいね」とつぶやいた後、「こんなフォトセッションなんて外でやればいいじゃない。お客様に早く映画を観てもらいたいわ」とスパッと言った言葉が、とても見た目の印象に近かった。