CINEMA STUDIO28

2016-02-07

Cinema studio28 award 2015 / Best films 5+1

明日は旧正月。ということは今日は旧暦の大晦日で、いよいよ去年のことを振り返るのもこの日までよ?と若干、追い詰められた気分で観た映画からベストをピックアップして記録しておく。旧作・新作問わず。一応10本選んでみたのだけど、選んだ中でも自分にとっても強弱が生まれたので5本に減らしてみて、そうすると漏れてしまうには惜しい1本を最後に足した。順位はなく、つけられるはずもありません。
 

 
・「やさしい女」ロベール・ブレッソン / 新宿武蔵野館、早稲田松竹
 
ロードショーの初日に観て、その後ドストエフスキーの原作を読み、もう一度観に行って、名画座にまわった時に3度目を観た。2015年、映画館で唯一3回観た…のは、上映が貴重な機会で、今後ソフト化されることもないらしいから。ブレッソンは「白夜」といい権利が複雑なのか、映画館で観る機会を逃せば次いつ観られるかわからない映画が多い…ということも素敵なこと。
 
何故3度も観たのか自分でもわからず、特にこの映画を好きでもなく、物語自体も苦手な部類だと思うのだけど、映画を観て生まれる感情は極私的なもので、観る自分は現実の人生や生活を引き摺った存在として物語と対峙するものとすれば、何かしら看過できないものが多分に含まれていた、ということかしら。あの夫が根太く抱える劣等感や敗北感が、恋とか愛とかの場面で歪な支配欲としてあらわれ、若く・美しく・賢い女が貧しさゆえにその囮になる物語だと受け取ったのだけど、この映画のコピーが「人を愛するとはどういうことか」だということに嫌悪感も抱きながらも、案外そんな物語かもしれない、と思ってしまって、結果3度も観た。映画を観てわからなかった部分は原作に理解の欠片を見つけるなど、多弁なドストエフスキーの物語を、寡黙な映画に仕立てたブレッソンの手つきには「白夜」然り、うっとりする。
 
 
・「極楽特急」エルンスト・ルビッチ / シネマヴェーラ渋谷
 
ヴェーラの素晴らしいルビッチ特集は1本だけ見落としたもののほぼ制覇。劇場に満ちるうっとりした空気はすでに懐かしく、ルビッチ、2年に1度ぐらい、あれぐらいの本数でかからないかしら。「極楽特急」はスクリーンで観て、その後DVDで2度観た。ルビッチ映画のほとんどは三角関係の物語で、バリエーションは男→女←男、女→男←女の二択。矢印の中心にいる人物の登場時間が当然ながら最も長く、「天使」ではディートリッヒを囲んで矢印の片側にいたハーバート・マーシャルという俳優が、「極楽特急」では女2人に囲まれて中心にいる、というのが、この映画を好きな理由。ハーバート・マーシャル!
 
「やさしい女」とは対極に、ルビッチ映画の多くは私にとっての恋とか愛とかの理想郷で、本当にこの世界がルビッチ映画のようであったなら、と願わずにはいられない。三角関係の物語だから恋の力学が描かれるのだけど、男も女も、恋に溺れ相手にもたれてずぶずぶ自分を差し出す、ということもなく、しっかり自分の場所に立ったまま、恋しさはスクリューボールに乗せて相手に投げる、その粋なこと。誰か1人が関係から退場することになっても、退場する背中すら見事であった。
 
オープニングで主題歌(!)が流れるのだけど、その歌も素敵で。恋をすればこの世は極楽、しかし時にトラブルもあるよ…という歌詞(意訳)だったと思うのだけど、この映画、「Trouble in paradise」という原題がすでに見事なルビッチ・タッチ。そして「極楽」はわかるけど「特急」って何ぞ。しかし「極楽特急」っていう響きはいいね!
 
 
・「ヴィクトリア」セバティアン・ジッパー / 東京国際映画祭 新宿WALD9
 
ここからは現代の映画。「ヴィクトリア」についてはこの日記でも長く書いたので割愛。ワンシーンワンカットという手法に、深夜から明け方にかけて1人の女性がどんどん変化していく物語がピタリとはまって、こんな映画を見せてくれてありがとう!と、映画に携わった人全員に最敬礼した映画。イメージフォーラムのサイトをチェックしていると今後のラインナップにあるのはこの映画だと思うので、公開されたらまた必ず観に行く。
 
 
 
・「ハッピーアワー」濱口竜介 / イメージフォーラム
 
東京での公開初日に観たけど、何も書いてなかった…。神戸を舞台にした、30代半ばを過ぎた女性4人の物語。プロの俳優が登場しない、演技経験のない、監督主催の演技ワークショップに集まった人々が演じていること、上映時間の長さ(3部制で半日かけて観る)、そんな映画が海外の映画祭で多数受賞していることで話題を呼んでいる。ということしか知らず観に行って、物語の意外なほどのドラマティックさに驚いた。もっと演じている女優たちの実人生を役柄に反映させたようなハートウォーミングな物語かと勝手に思ってた。最初は素人くささが多分に香る演技に、何時間もこれに耐えられるかな…と思っていたのだけど、時間の経過と共に女優たちはどんどん役柄になり、その過程と役の向こうの彼女たちが重なって、観終わる頃にはどんな巧い女優でも代替できない、唯一無二のキャスティングだったのだな、とすっかり納得している不思議。
 
伊丹十三の文章に「夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。」(ヨーロッパ退屈日記)という一節があることを折にふれて思い出すのだけど、この映画の女性はそんな時間を生きている。想像してみれば「ふつうの人々」が演技ワークショップに参加せんとする動機にも似たようなものがあるのかもね。ここまでの人生を受け止めながら、違う人になる欲望も止められない。生まれも育ちも関西ながら神戸という街に縁が薄い私は、神戸ってこんなに綺麗な街なのか、と知らない異国の景色を観るような気分だったけど、私が暮らしている街だって劣らず、薄氷の上を綱渡りの歩調で歩かされ、足元ばかり注意して見ているけど、ふと目を上げて見渡してみると、ずいぶん綺麗な場所にいたんだな、と気づかされるような、絶妙なタイトルを持つ映画。上映時間の長さは気にならず、2倍、3倍あってもずっと観ていられる。4人の人間の来し方、行く末、身の上話に耳を傾けるには、317分ではまったく足りません。
 
 
 
・「息を殺して」五十嵐耕平 / アップリンク
 
少し先の未来、オリンピックを真近に控えた東京。今から数年後の年末、ゴミ処理工場の二晩、夜から朝。しっかり語られないものの戦争は始まっているようで、生きている者と死んだらしい者が同時に映し出される。登場人物たちは仕事が終わってもだらだらと帰らず、オリンピックを観に行くお金もなく、小さな声で会話する。この映画の魅力を書くのは難しいけど、映画って過去・現在・未来どの時勢のことも描くことができて、でも映画館でありえない設定のアクション映画などわーわー楽しく観て帰宅した後、ふとニュースでシリアスな現実を目にすると、あれ、今日観るべき映画、あれで良かったのかな…と、ちょっと考えたりするような、ささやかに生じる違和感に応えてくれる映画だった。何年も後から振り返って、2015年は「息を殺して」を観た年だった、ああいう映画が作られる空気だった。と思い出すような映画かもしれない。ブレッソンでもルビッチでもなく。
 
唯一登場する女性が、世界にとってはささやかだけど、彼女にとっては大きな、関係をひとつ整理した後、踊る場面が素晴らしい。そっと差し出される手の温もり。白く明けていく夜。
 
 
・「あの日の午後」蔡明亮 / 東京フィルメックス 有楽町朝日ホール
 
上の5本をまず選んで、残り5本を省こうとして、省けなかった1本。蔡明亮の新作は、監督についてまとめた書籍…だったかな…に載せるために、監督の映画にずっと主演しているリー・カンションとの対談が欲しい、と編集者が考え、それなら映像にしたらどうだ、と監督が提案し、そういった経緯でできた1本…と上映後に登壇した監督自身が説明していたように思う。本当に2人が喋ってるだけのシンプルな映画なので、朝イチだし絶対に眠るだろうな…と思っていたけど、もう眠るどころではなかった。蔡明亮の、リー・カンションへの激しいラブレター。とにかく2時間ずっと愛を語り続ける。「俺より先に死ぬな」と懇願し(これ以上の愛の言葉ってある?)、健康を気にかけ、他の監督の映画に出る時は嫉妬まじりの心配をする。今は一緒に暮らしているらしく、途中まで2人はどんな関係なんだろう…と思っていたけど、セクシャリティに言及する場面もあり、徐々に観客は理解していく…と同時に、彼らの関係を端的に表すような言葉がこの世にはない、ということにも徐々に驚いていく。
 
こんなに激しい愛の告白映画が上映された後、どんな表情で2人は観客の前に立つのだろう…ちょっと照れてるのかな、と思ったのはまったくもって凡人の発想、まるっきり照れることもなく、もう映画そのまんまだったので、映画の続きを観ているようだった。蔡明亮の映画は蔡明亮そのもので、リー・カンションなくしてそれは成立しない。分身というより、もっと距離が近い。自分自身を表現する時に、ここは隠して、ここは見せてなど、ちょこまか考えることなど小賢しいことで、表現とはもっとその人丸ごとなのである。と、テカテカと健康そうな様子で喋りまくる蔡明亮を目の当たりにして思い知らされた。それだけで2015年の他の映画体験とは違ったものになったので、選ばずにはいられない。