ヒューマントラスト有楽町で。リチャード・リンクレイター「ビフォア・ミッドナイト」初日の初回に観た。満席ではなかった。
ウィーンでの出会いから18年、パリでの再会から9年、舞台は2人とその家族が高名な作家に招かれヴァカンスに訪れたギリシャ。これ以降は内容に触れまくるので、まっさらな気持ちで観たい人はここでさようなら。
前2作を直前に復習し、余韻を引きずったまま観たので意表を突かれた。これまでこのシリーズに漂っていた甘さはすっかり消え失せている。現実的な、長らく連れ添った2人の真剣で長い痴話喧嘩が延々続く。犬も喰わない・・と言いたいところだけど、相変わらず会話が面白いので集中力は途切れなかった。
しばらく前、京都、堺町のイノダコーヒ本店で母と珈琲を飲んでいたとき、近くに60過ぎと思われる男女が座っていた。母はその風景を眺めながら「あの2人、絶対に夫婦やと思うわ。だって何も喋ってへんやろ。私もお父さんと2人きりの時なんて、ほとんど何も喋らへんのよ」と言ったので、ふーん、そういうものか。と思ったものだけど、セリーヌとジェシーは違う。この2人には沈黙という概念はないらしく、ギリシャの風景を見ては喋り、誰かの言動を思い出しては喋り。言葉が泉のように湧き出てくるのだ。ずっと話していられるから相性がいいとは言い切れないと思うけど、この2人にとっては会話が関係のかなり重要な要素なのだろう。
招かれた作家の家でのディナータイムの会話も良かった。2人がちょうど中間世代で、年老いた男性、女性、そして出会った頃の2人のような若いカップルが同席する。かつての彼らそのもののような20代の2人は、彼らのように出会ってすぐに離れ離れになるものの、文明の利器をうまく活用し、今は好きだけど、どんな関係もいつか終わるものでしょ、とクールな態度でいる。年老いた人々は、夫を亡くした女性が、何が寂しいかをしんみり語り、テーブル上に2人の過去、現在、未来が並んでるような場面だった。
仲間たちが2人にプレゼントしてくれた子供を抜きにした、ホテルでの2人きりの夜の場面は、ホテルの部屋での長い長い喧嘩の場面で、セリーヌがはだけた胸を隠しもしないで、電話に出たり、喧嘩し続けたりするあられもない姿にハラハラした。スリップドレスはストラップを肩でリボン結びするようになっており、ジェシーがリボンを解いたくだりまではロマンティックだったけど、その後訪れたロマンティックな気分の崩壊、現実味溢れる痴話喧嘩の最中も、セリーヌはストラップを結ぼうとはしない。腰でとまったままのスリップドレス姿で、胸を晒しながら部屋中を歩く姿は、ずいぶんふくよかになったセリーヌの二の腕や垂れた胸、腰周りを無残に強調し・・思わず力士の化粧まわし姿を想像してしまった。強烈すぎる。彼女自身の監督作で、デルピーについて詳しくなったつもりでいるからか、セリーヌはデルピー要素に満ちており、対抗するジェシーとのパワーバランスが崩れているようにも見えた。終幕のやりとりは、ロマンティックでない物事が、一周まわってむしろロマンティック、みたいな着地に思えた。そのあたりを確かめに、公開中、もう一度観に行くかもしれない。
直前に前2作を復習してしまったからか、一昨日観た18年前の2人の姿が目の記憶に残っており、2人の現在の姿に時の流れを感じずにはいられない。冒頭、空港の前に停めた車にセリーヌが乗り込む、デニムを履いた後ろ姿にぎょっとした。昨夜観たパリでのセリーヌもデニムを履いていたけど、明らかに数インチ、サイズアップしたデニムにみっしり肉が詰まっている。2人ともスターのはずなのに、美を保つことにたいしてご執心ではない様子。でも、こういう写真 ↓ 観ると、やっぱりオーラあるのよね。スクリーンの中の2人の姿が役作りだとしたら素晴らしい成果・・。