CINEMA STUDIO28

2015-01-20

サッドティー


 
アップリンクで。「FORMA」で女性監督嫌いを克服したので、次は「最近の日本映画嫌い」も克服したいな。と、今泉力哉監督「サッドティー」を観る。20代~30代の男女12人、誰からもいくつも矢印が出るくらい相関図は入り乱れ、狭い世界でみんな、恋って何かしら。という話ばかりしている。
 
 
 
 
12のチャプターから成る軽い日常が描かれ、愛だの恋だのの物語にとっくに飽きた私が観ても退屈しない。あからさまなコメディでもないの大笑いしたのは、当事者は大真面目でも、傍観者である限りは、ただの滑稽なお話。というあたり、まったく恋そのものであることよ。
 
 
ロメールの教訓話のエッセンスも、ホン・サンスの情けなくも可愛らしい男たちのエッセンスも入っているものの、サッドティーがそれらと違うのは身体の接触がひとつもないこと。あ、頭ポンポンはあったかな。でも、その程度。物語が切り取らないところではあるのだろうけど、物語には身体が入ってこない。触らない位置で、思考と会話があるだけ。
 
 
相関図の中心にいる柏木というメガネの男は、公然と二股をし、一緒に暮らす女の隣で「あーあ、俺も真剣に誰かを好きになりたいよ・・」などとのたまういけすかない男だけど、彼がモテるのはよくわかる。夏にフィルムセンターで「「妻二人」を観た時、昔の女・岡田茉莉子、現在の妻・若尾文子の間にいる高橋幸治も、こういう男を演じていた。
 
 
 
 
こう、棒を転がして「無題」というキャプションを横に置き、現代美術館に並べておけば観る者がそこに意味を見出そうと躍起になるような、そういう男。私が面白く思う恋愛映画は、そういう男が中心にいるもので、だからサッドティーは面白かった。恋の力学においては、サッドティーのコピーのように「ちゃんと好きってどういうこと?」とか「あなたのこと考えて眠れなかった」など、関係に名前をつけたがったり、気持ちに定義を見出そうと詰める人間は永遠に振り回される側なのだな。
 
 
こちらの監督のトーク、面白い!
 
 
 
「片思いや一目惚れといった、誰かを追っている状態までは好きだと思う人が多いのですが、つき合ってしまうときちんと好きでいられなくなるんです。基本的に自分がモテる人ではないので、彼女がいるという状況が気持ち悪いというか。 」
 
 
気持ち悪いというか。って・・。この世には本当にいろんな人がいるのだな・・。