信じられないニュース。フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなってしまった。
彼の出演した有名な映画群については多くの人が書くだろうので、きっとあまり知られていない「ワンダーランド駅で」について書き残しておく。
「ワンダーランド駅で」は初秋のボストンを舞台にした、男女一組が出会いそうでなかなか出会わないニアミスを繰り返す物語。ワンダーランド、という名前の駅はボストンに実在するらしい。全編、ボサノヴァの有名な曲たちに彩られた耳心地の良い映画でもある。春夏用の麻のシーツでは肌寒くなり明け方、間に合わせに毛布を引っ張り出してきてくるまるような時期になると必ず観たくなる。
去年の秋、iTunesでこの映画がレンタルできたので、久しぶりに観てみた。冒頭、主人公の女性は一緒に暮らしていた男に理不尽な理由でフラれる。活動家の男は、女が、自分のように世間に興味がないのが耐えられない、と「俺が出ていく6つの理由」を語る自撮りのVHSを残して出て行く。この活動家を演じるのがフィリップ・シーモア・ホフマンとはじめて気づいたのは、何度目の鑑賞だったかわからない去年の秋だった。30歳前後、今のようにメジャーになる直前だったはず。
「ワンダーランド駅で」は、ごく小さな、静かな映画で、この映画を観たことがある、という人をほとんど周りに知らない。けれども何か心に残るものがあって長い間大切に観てきた理由が「知らなかったけど、フィリップ・シーモア・ホフマンが出ていた」ことにあるような気がしてならない。彼の出る映画をはじめて観た後、すぐに名前を覚えて、今度は彼の名前を検索して新たな面白い映画に出会う、そんな映画好きはきっと多かったに違いない。フィリップ・シーモア・ホフマンは、その名前だけで映画の質をぐっと押し上げる信頼の印だった。主演として堂々と画面を支配する映画であっても、数分しか登場しない「ワンダーランド駅で」であっても。
フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなり、これから生まれ、私が出会うはずだった何本もの傑作が未来から消えてしまった。腕に注射針が刺さったまま発見された遺体はさぞかし、いかにも彼が演じそうな、癖の強い男の最期のシーンみたいだったのだろう。皮肉すぎる。