用があって、クリスマスイヴの六本木へ。ハロウィンといい、街が浮かれている日に限って六本木に用があるのは何故かしら。
ついでに鈴木理策さんのMirror portrait展へ。作品背景にあるコンセプトなど、詳細はこちらを。
いただいた資料にアヴェドンの言葉、
「肖像写真とは撮られることを知っている人物の写真だ」
が引用されていたせいか、展示を眺めながら、アヴェドンの有名なモンローのポートレートを思い出していた。
連写の一コマなのか、オフショットを撮ったのか、モンローはどこまで「撮られている」ことに自覚的だったのだろう、と想像力を掻き立てられる一枚。陽のモンローではなく、陰のモンローが写された象徴的なショットだけれども、映画でもモンローは、明るい役も不安定な役も演じていて、映画も写真も、本人は果たしてどんな女性だったのだろう、という役柄と実存の境界が眺めれば眺めるほど曖昧に滲んでくる。
鈴木理策さんのポートレートは、コンセプチュアルな写真だな、と思いつつも、最近、遠くの人とSkypeなどを通じての打ち合わせが多く、必要があれば私もPCのカメラの前にいるのだけど、それは鏡を見続けているのに似た行為で、画面に映った自分を見てまず何をするかというと、髪の乱れを整えること。展示されたポートレート群も、髪に手をやっている人が多く、化粧直しの道具を携えているわけでもなく、洋服を着替えられるわけでもない、身づくろいの選択肢が少ない状態でいると、人は髪を整えるという動作をまずとりがちなのだな、ということを興味深く観た。