遠くにいる人と、あるイメージ共有のためにこれを見てもらうのはどうだろう…と、久しぶりに日仏の映画監督の往復書簡を読む(こちら)。しばらく読まないうちに幾つか更新されている。映画をつくるためのやりとり。
その中にトリュフォーの言葉があった。
“ときどき幾つかの映画で子供たちはシナリオによって裏切られる。それは子供たちに詩的なもの、オブジェ、ときには動物を付け加えるからです。私は詩的なものは子供の映画に必要ないと思います。子供たちは自動的に詩を連れてくる。詩は子供自身から自然に生まれます。だから他のエレメントは必要ないと思います。例えば子供が皿を洗っているシーンがあるとして、それはその子がドレスを着て、モーツァルトを聴いて、庭で花を摘んでいることよりも詩的だと思います。” — フランソワ・トリュフォー
“Il arrive que dans certains films l’enfant soit trahi par un vice de forme du scénario, c’est à dire qu’on l’escamote au profit d’un élément jugé poétique d’emblée, un objet, parfois un animal. Les enfants amenant avec eux automatiquement la poésie, je crois qu’il faut éviter d’introduire des éléments poétiques dans un film d’enfants, en sorte que la poésie naisse d’elle-même, comme de surcroît… Pour être plus concret, je trouve davantage de poésie dans une séquence qui montrera un enfant en train d’essuyer la vaisselle que dans tel autre où le même enfant en costume cueillera des fleurs dans un jardin sur une musique de Mozart.” François Truffaut
見知らぬ方に送ったシネマレターで、「トリュフォーの思春期」を、子供が登場する映画の中で、最も自分の子供時代を思い出させる1本としてオススメした。「この映画は、物語はあってないようなもので、子供たちの時間をスケッチしたものです」と説明したように思うけど、物語ではなくスケッチ、というトリュフォーの描き方、視点の置き方こそ好きな理由だと思う、と続けて書こうとして省略した。引用されたこのトリュフォーの言葉、実際そんな映画を撮っているところも素晴らしい。当たり前ながら、考えがそっくり作品に表れている、というか。
映画は「トリュフォーの思春期」という邦題がつき、原題は「l’argent de poche」(ポケットマネー=「おこづかい」)、そしてトリュフォーによる小説とシナリオの中間のような本を山田宏一さんが翻訳し、和田誠さんがイラストを添えた本(豪華!)は「子供たちの時間」というタイトルで、どのタイトルも見事で、優しいなぁ。私の本棚にあるささやかな宝物。