シネマヴェーラ恒例の「映画史上の名作」特集の上映ラインナップが発表されると、まず探すのはエルンスト・ルビッチの名前。ここ数年、12月最終週にルビッチがかかることが多かったから、映画納めはルビッチで。というのが、決め事になっていた。他にどんな大作がかかっていようと関係ない。ルビッチで今年の映画生活を締めくくる以上の贅沢ってこの世にある?
去年は「牡蠣の女王」一昨年は「男になったら」。しかし困ったことに今回の特集では、ルビッチは1月にしか上映されず。何を観て納めればいいのか。まだ決めていない。
なるべく映画館で出会いたいから、その機会を逃さないように気をつけているつもりだけど、何年かけてもまだ観ぬルビッチ映画に出会う。汲めども汲めども尽きぬルビッチの泉…。どれだけ撮ってるの。フィルモグラフィーだけでも把握しておきたいな、とルビッチ文献をリサーチしてみたけど、ルビッチについてこれ1冊読んでおけば大丈夫!みたいな映画本ってなかなかないのね…(私の調べ方が良くないだけかも?ご存知の方いらしたら教えていただきたい…)。とりあえず92年、ルビッチ生誕100年祭というパルコスペースパート3で開催されたらしい特集(といっても「天使」「極楽特急」「生活の設計」の3本のみ)のパンフレットを手に入れてみた。
表紙を開けた瞬間から「ルビッチ狂宣言」の文章が。92年のこの上映は、
『「古き良き名画の鑑賞会」として展開しようという気持ちはみじんもない。今、最も刺激的で、最も芳醇な魅惑に満ちたルビッチの、それが創られた当時以上に輝いているだろう作品群。この「100年目の媚薬」の密かな楽しみを、同時代の観客たちと享受したい。それは、途方もなく遅れてきたルビッチの発見者としての自然な義務でもあり、権利でもあり、そしてまた、ひとつの賭でもあるのだ。』
…おお…鼻息荒い…!と驚きつつページをめくると、淀川長治、秦早穂子、蓮實重彦…のルビッチ愛に溢れた文章が続く…。寝転んで読んでてすみません!居住まいを正して読ませていただきます!正装!正座!そして知りたかったフィルモグラフィも載っていて嬉しい。ドイツ時代の本数の多さよ!年代的にほぼ短篇だと思うのだけど、どのぐらい現存していて、いつか観る機会があるのかな。youtubeで検索する。みたいな、便利で不粋なことはなるべく避けたいのだけれど。
年の終わりにルビッチを観られない今年を嘆き、やむを得ずDVDで1本観ることにし、「生活の設計」を選ぶ。長らく家で映画を観ることをしなかったのが、最近ちょくちょくするようになったのは、ひとえに飲酒習慣がほぼなくなり、集中力がぐっと増したから。そして秋、スクリーンでトリュフォー「思春期」を観た時、映画館でかかることを待ち続けてそれまで観る機会を持たなかったことを後悔したから。
このような経緯でようやく出会った「生活の設計」は33年、ルビッチがハリウッドに渡ってからの映画。列車の中で出会った女1人、男2人の恋の鞘当て。どちらにも友情以上の好意はあるけど、セックスはしないという紳士協定を結ぶのだが…という物語。
パンフレットでの蓮實重彦の文章のタイトルは『扉の戦慄、または「ルビッチ的」な遊戯の規則』というもので、戦慄とは大袈裟な!と思いはするものの、確かにルビッチといえば扉の演出。ルビッチのハリウッド第1作の主演女優メアリー・ピックフォードはルビッチ演出がお気に召さなかったようで「なにしろあのドイツ人は、女優のことより、扉にばかり気を遣っているのよ」「朝から晩まで扉、扉、扉なんですから」と、うんざり語ったというエピソード、このパンフレットで知った。
そして「生活の設計」も、物語が素早く展開する後半にさしかかってからの扉の開閉回数は日本野鳥の会スタイルでカウントしたくなるほどで、終盤にかけて畳み掛けられる物語の肝のほとんどは扉の向こうにあり、何が起きているのか見せてはくれない。扉を開けた登場人物たちの動かす眉ひとつ、仕草ひとつから想像するしかない。
2人の男に挟まれつつどちらも選ばず、愛はないけど権力はある男と結婚した女は、置いてきたはずの2人の男から送られた鉢植えを、新婚初夜の夜中、こっそり起き出し、ベッドルームの扉を開けて、リビングの床の正しい位置に飾る。翌朝起きた夫はベッドルームの扉を荒々しく開け、忌々しげに鉢を蹴飛ばし、扉のむこうのふたりの初夜がまるで甘いものではなかったことが台詞もなく映し出される。
なんて粋な映画なのだろう。
尋ねてもいないのに知り合いが3食何を食べたのか日々知ることになり、遠くに旅立ったはずの人が今何しているかも手に取るようにわかってしまって寂しがる暇もない。この頃は、うっかりしているとそんなことばかり。肝心なことは何も見せてくれないから好き。言葉で説明しようとしないから好き。わからないから知りたくなる。そんな自由を私にくれる。「途方もなく遅れてきたルビッチの発見者としての自然な義務でもあり、権利でもあり、そしてまた、ひとつの賭け」として私がルビッチ狂宣言するならば、だいたいこんな理由から。とりあえず、今のところは。