CINEMA STUDIO28

2015-04-09

Une chambre en ville



行き帰りのメトロで「やさしい女」原作を読み、ページをめくるごとにイライラが増す今週。千代田線で、映画の中のドミニク・サンダのような獰猛な小動物が獲物獲得に動き出す3秒前みたいな鋭利な眼差しで文庫本を睨んでる女がいたらかなりの確率で私。


ドミニク・サンダを最近、別の映画で観た気がして思い返していたら、去年、アンスティテュ・フランセのジャック・ドゥミ特集で観た「都会のひと部屋」もドミニク・サンダ主演だった。


ドゥミ映画はあらゆる境目のギリギリのところで成立してる危うさがあって、すべてのバランスがたまたま綺麗にとれました。という奇跡の産物がシェルブールの雨傘、ロシュフォールの恋人たち、ローラなど知名度の高い映画たちで、その他はギリギリのところでバランスを崩したような珍品揃い。「都会のひと部屋」はバランスを崩した系列にあると思う。


ドミニク・サンダは、ミシェル・ピコリ演じる偏執的な夫(ミシェル・ピコリってドゥミ映画でちょっと残念な男を演じることばかりだな。ダムなんて苗字は嫌じゃ!と恋人に去られるムッシュー・ダムとか…)から命からがら逃れてきました。という若妻役。と、ここまで書いて「やさしい女」との共通項あるではないか、と気がついた。どちらの映画も夫が変わり者でドミニク・サンダが苦労する物語…。


しかし「都会のひと部屋」のドミニクは、もう16歳かそこらの少女ではなく、自我に目覚めた女だから、夫から逃げ出すの。裸に毛皮を羽織って…。


え?まさかの裸毛皮!これなんて、何のシーンだったか忘れたけど、写真だけ観るとただの露出狂みたいではないか。



ドゥミの変態性が炸裂したようなこの衣装にずいぶん意味を持たせたいのか、ドミニク、なかなか洋服を着ない。映画の総時間のかなりの割合を、裸毛皮で通すのだ。


あの特集では確か、フランスから来日した映画関係者の講義を聴いたのだけど、「都会のひと部屋」については、毛皮は抑圧された若妻の獣性のメタファー、という解説があって、ふぁっ。そんなことなのか?と不思議に思ったのは何故だろう。裸毛皮を脱ぐと、処理されていない腋の毛が映されるシーンがあって、そこでもふぁっ。と思ったのだけど、それも獣性のメタファーだと言うのだろうか。


「やさしい女」では自我に目覚めつつありながらも残念な選択肢しか選べなかった女が、裸毛皮の女に生まれ変わり男に復讐する!「都会のひと部屋」は「やさしい女」の続編なのである!という妄想でも繰り広げないと読み進められないほど「やさしい女」の原作は心に辛い。好奇心から手にとったはずなのにもはや苦行に近いけど、終わりが見えてきたからラストスパート頑張ろう…。