CINEMA STUDIO28

2016-08-17

FIFTH AVENUE, 5 A.M.



映画関連本でとりわけ好きなのはメイキング本。京都でお友達から、お薦めは?と質問されたので、詳細をここに書いておきます。


「オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を」(サム・ワッソン著、清水晶子訳、中央公論新社 / 原題 FIFTH AVENUE , 5.A.M. Sam Wasson)。とても読みやすい訳で訳者のことを知りたくなったけど、訳者あとがきがなくて。そういう人に限って。サイトがあって、この本についても。


http://akikoshimizumusic.blog.fc2.com/blog-entry-33.html


若い男女の登場する50〜60年代の映画をいくつも観るうちに、私の興味はその点に向かった。女性が結婚前に、男性と関係を持つことはいつから不良娘の振る舞いではなく、なんとなくそうだよね。ということになったのだろうか。市川崑「女性に関する十二章」(1954年)で永い春、倦怠期の婚約者たちは彷徨い、しかし最後に和解に至り…ついに…接吻をする。接吻か!しかし「婚期」(1961年)の演劇活動に熱を入れる野添ひとみは奔放でドライな末っ子キャラゆえか外泊することもありそうな気配を漂わせていたし、60年代前半あたりに転換点があったのだろうか。何か調べればわかるのかもしれないけど、敢えてそれはせず、映画館の暗闇で淡々と朝顔観察日記のごとく自由研究は進む。


そう考えると、ルビッチ「生活の設計」のジルダよ!精神は別として特に不良娘らしき描写はなかったし、1933年の女なのに!ルビッチのああいった先進的な女性描写はヨーロッパ出身ということもあるのかしら。ハリウッドはもっと後々まで貞操を守っていたように思う。


この「ティファニーで朝食を」(1961年)のメイキング本は、そのあたり、ニッチにもほどがある、極私的興味に焦点をあてた本。書き出しからこんな感じで。



偶然なんかじゃないのに偶然のように見える成り行きというのがあるが、そんな成り行きで「清純派」オードリー・ヘプバーンが「さして清純でない」コールガールのホリー・ゴライトリーを演じて以来、映画の中の女性像がすっかり変わってしまった。そして、50年代にはまだ表面化していなかった男女のあり方の変化が、ここで明確になった。ハリウッド映画にセックスはつきものだったが、「ティファニーで朝食を」以前は、そんなことをするのは悪い娘たちと決まっていた。ほとんど例外なく、映画の中のいい娘たちは身が穢れる前に結婚しなければいけなかったし、身持ちの悪い女は、いつだって、あらゆる社会的地位のあらゆる種類の男たちと共に、抹殺されなければいけなかった。楽しみのツケを最後に払ったのだ。悪い娘たちは「傷つき、後悔する」「愛し、結婚する」「傷つき、後悔し、結婚して、死ぬ」とパターンはいろいろだったが、一般的に行く末はいつも大体同じ。お嬢さん方、こうなってはいけませんよ、という悪い手本になった。ところが、「ティファニーで朝食を」で…これもオードリーが演じたからこそなのだが…女のひとり暮らしも、恋愛も、お洒落するのも、ちょっと酔っ払ったりするのだってそんなに悪くないじゃない、と本当に唐突にこうなったのだ。実際、シングルでいるのが恥ずかしいどころか、何だか楽しそう、というふうになってきたのだ。


...続きは手に取った人のお楽しみとして。





目次の後のこの見開きもお気に入り。右は「ティファニーで朝食を」ハリウッド・プレミア(チャイニーズ・シアターにて)への招待状。ホリー・ゴライトリーから友達宛に手書きの招待状が届いた、という趣向。そして左はロケ地や映画誕生ゆかりの地を紹介したホリーのニューヨーク案内。例えば「Commodore hotel」は、ホリーのネコ「キャット」役を募集していたパラマウントが、公開ネコ・オーディションを開催した場所とのこと!その現場に立ち会いたかったよ選手権・上位ランクイン!!!


そして「ティファニーで朝食を」なんて、誰もが知ってる映画のメイキング本でも映画本って儚くて、すぐ絶版になってしまう。手に入れておくなら今のうち。