昨夜、眠る前に借りておいた市川崑「ぼんち」を半分まで観て、そこで0時になったのでストップして眠った。市川崑映画祭で観たかったのだけど、時間が合わなくて。何度も観ているけど、ずいぶん久しぶりだから細部を忘れており、こまごま発見がたくさんある。
船場の足袋問屋の何代目か、それまで女ばかり生まれて番頭が婿に入る形で何代か続いたのが、久しぶりに生まれた男の後継ぎが市川雷蔵演じるきくぼん。女優陣はしっかり覚えていたけど、男優の印象がまるでなくて、雷蔵の父親役が船越英二だったとは。そして臨終の間際にきくぼんに言うのが「きこんじょうのあるぼんちになりや。ぼんぼんで終わったらあかんえ」という言葉なのだけど、この2つの言葉にそんな違いがあることを、生まれてこのかたずっと関西人だけども初めて知った…!おんなじやと思ってた…。なんでも、放蕩を重ねても帳尻の合った遊び方をするのが「ぼんち」らしい。ぼんぼんはそこには至らず帳尻の合わない遊び方をする男、ということでしょうな。「あほぼん」のぼんは、ぼんちのぼんやなくて、ぼんぼんのぼんやねんな(話が「ちゃうちゃうちゃうんちゃう」みたいになってきた)。
朝の連ドラ「あさが来た」を毎朝楽しみにしており、あの「〜だす」という語尾、使ったこともないし、使ってるのも聞いたことないなぁ。と思いながら観ているのだけど、「ぼんち」で中村玉緒が〜だす〜だす、言っており、船場では今でも使われているのか、「ぼんち」の時代ぐらいまでの話なのか、言葉ちゅうもんはほんま、馴染みのある言葉でも知らんことばっかりやな!びっくりぽんや!と、これから残り半分を観るところ。