週末から始まる市川崑特集、スケジュールをチェック。若尾文子映画祭と違う点は、私がすでにほとんどの映画を観ていること。ユーロスペースのオリヴェイラ特集も同時にあるのでそちらにも行かねば、と思っておるし、市川崑監督ならもうちょっとレアなのを観たかったようにも思う。一度だけ神保町シアターでかかったのを気まぐれに観に行って、もう一度観たいな、と思ってるけどなかなかかからない「女性に関する十二章」など。
津島恵子や有馬稲子が出演するラブコメで、伊藤整が「婦人公論」に連載していたエッセイがベースになっている。書籍化され当時ベストセラーになったらしく、私は2005年限定復刻版を、恵文社で偶然、古本で手に入れた。1950年代の女性への生き方指南書。映画は永すぎた春ゆえ結婚前に倦怠期を迎えてしまった男女の顛末をオリジナルストーリーに仕立て、ところどころ伊藤整自身のナレーションが挿まれ、出演シーンもあった記憶。有馬稲子がカメラ(=伊藤整目線)に「先生?」と話しかける凝った演出もあって、古いフィルムでバチバチ音の鳴るコンディションながら、最後まで見飽きなかった。
電話の普及が珍しかった当時、恋人からの電話が喫茶店にかかるのを待ってたり、50年代のデート風景も楽しく、そして何よりラストシーン…!2人で死のう、と海に入るのだけど、水面に月が煌めいて、死ぬにはこの世は美しすぎる…って引き返す場面がとっても素敵で。そしてそして2人はついに…結ばれるのかと思えば結婚前にそれはまだ御法度なのか、ついに…接吻…!なのが、結婚前にどこまで進むのがいつまででいつからなのか問題を私に植え付けるきっかけになった。
本のほうは映画とはまた違う趣があり、さっきちょっと読んでみると、結びの言葉に痺れた。
「理性的に生きることと、本能的に生きたりすることの、両方ともをやれるように自分を作ることです。その時によって、この二つのうちのどちらかを生かして使える人もまた、生活の練達者であり、人間らしさを保って行ける人のように思われます。」
「私たちの足もとにいは常に深淵が口をあいているようなもので、女性は常に、この旦那さま、この愛人と別れる日がいつ来るかも知れない、と考えるべきです。愛が人間の全部ではなく、男女の愛や肉体は永続するものではありません。そしてそれを一度よく考えてからそれを忘れて、その日、その時の生活の楽しさを十分味わって生きることがよい、と思われます。食うこと着ることについては明日を思いわずらったほうが利口ですが、愛については明日を思いわずらうことは有害です。明日には明日の愛があります。今日は今日の愛で満ち足りているべきです。いま、この人を私は愛し、私はできるだけのことをしている、と思うことのできる人にとっては、毎日がまた一刻一刻生命に満ちたものとなるでしょう。」
一度よく考えてからそれを忘れて…って、とっても難しいように思うのですが…先生?