本日、仕事帰りにそそくさとこちらへ。永青文庫で開催中の春画展、開催のニュースを知った時はいち早く色めき立ったのに(Blogもいくつか書いた)、いつものごとく会期ギリギリに駆け込む悪癖。12/23まで。混んでるという声がちらほら聞こえてきたけど、この機会を逃すと次に観られるのがいつかわからないものね。
江戸川橋駅から歩いていく。徐々に道幅が狭くなり、人通りが少なくなり、永青文庫に向かう小径は薄暗い。今晩は半月が冬空に輝いていて、椿山荘の紅葉やイルミネーションの情緒もあり、春画を観るのに最適なアプローチだったのではなかろうか。到着してみると、初めて入った永青文庫も春画を観るのに完璧な環境。建物の趣、階段に敷かれた緋色の絨毯、本棚に並ぶ古書、作品保護のため薄暗く落とした照明。場内は混んでいたけど、何も見えないというほどではないし、全部を完璧に観るには時間が足りなかったけど、そのせいか観終わった今も、春画に対して抱いていた幻想のようなものが、説明され過ぎることもなくふんわりと残っている。
展示の構成も巧みで、最初からどーんと男女交合の図を見せるのではなく、そっと着物をたくし上げていく手のようにそろりそろりと始まり、肉筆画、版画、豆判と続き、最後に実は私どものところにも…と打明け話のように細川家に残る春画が展示されていた。版画の展示室が一番混んでいたかな。会期中に何度か展示替えがあったようで、あれは観たい!と意気込んでいたものがいくつか観られなかったけど、いつかまた観られる時までの楽しみに。
海外でも見かけたことがなかったので、現物を観るのは初めてで、最初に目にする作品群が肉筆画だったせいでさらに強度があった。最初は「おお!春画!」と総体的に捉えて高揚していたのが、徐々に目が慣れてくるにつれ、あちらよりこちらのほうが好きだからじっくり観よう、という気持ちが芽生えてくるのが面白く、混んでて画家の名前をじっくり覚えるほどの余裕もないのでそのあたりも徐々に気にならず、そうなってくると、単に視覚が好むか好まざるか、という判断になり、その結果、猛々しい線、絢爛豪華な刷り、珍奇な登場人物…より、線がさらりと細く、肉感もさほど感じさせず、季節の花や襖の柄など情緒を感じさせる背景も描かれている、そんな春画を好ましいな、と思って観ていたのだけど、それってそのまま私の異性の好みが反映されているだけなのでは…という単純な事実。この時代に生きていて、たくさんある春画から自分で選ぶとしたら、きっとそのように選ぶんじゃないかしら。絵師や画風がどうこう、というより、単に、あら好みの男だわって。好きだったのは、鳥居清長「袖の巻」や、鈴木春信の絵。
会場をちらりと横目で観察するのも楽しくて、平日夜ということもあって背広姿の男性が多かったかな。そして展示目録に熱心に書き込んでる男性が、ぐりぐりと鉛筆で絵の名前の余白部分に三重丸をつけているのが目に飛び込んできたのだけど、それって何がどう三重丸だったのですか!何が!
「愛のコリーダ」や、鈴木清順の大正浪漫三部作など、春画の世界だわ…と思う場面が多いのだけど、ロマンポルノやAVへの直接的な影響だけでなく、日本家屋に男女を配置する時の構図など、映画への影響も多大なのだろう。そして活動写真だと動きを時間で表現できるけど、交合する身体が現実以上にアクロバティックな姿勢をとるのは、静止画、平面だけで物語を感じさせつつも、観る人の欲望にも応える(観たい部分をきちんと見せる、なんなら拡大して見せる)ためなのかな…と考えたり。あんな体勢、次の日絶対に筋肉痛だわ…。
観る前から買うことに決めていた図録はぱたんと開く綴りで分厚く、日本で初めての春画展の記録に相応しく、そもそも春画とは、を細かく解説してくれる内容で大満足。ひとつわたくしから進言させていただくとすれば、図録を入れる袋は、透明ビニールではなく、中身が透けない色でお願いします…ということである。以上。