東京国際映画祭の記録。10本目、140分ワンショット!の、ドイツ映画「ヴィクトリア」について、昨日の続き。昨日書いてから現在に至るまで、この冬いちばんの集中力を発揮し大きな仕事の山をひとつ片付けた。
作品解説はこちら。
「ヴィクトリア」はワンショット140分の手法の衝撃に包まれた、ヴィクトリアの内面が数ミリ移動する物語で、映画の最初と最後で彼女は違う顔を見せる。冒頭、クラブで踊りつかれたヴィクトリアは、ドイツ語を話せない。英語も流暢ではない。飲み物の名前を口にしてみても、発音のせいか通じず、飲むはずのなかったアルコール度数高めのリキュールのショットグラスを差し出され、そう、これが飲みたかったの、という表情で誤魔化すように一口で飲み干す。少しでも会話の糸口が掴めそうな相手には、あなたはドイツ人?など質問を投げかけるけれど、会話は続かない。ベルリンにやってきてから数か月、言葉も通じない街で、ヴィクトリアは一人ぼっちなのだ。言葉もろくに通じない、知り合いもたいしていない街に、荷物ひとつで辿り着いた経験があるなら、ヴィクトリアの表情や素振りは身に覚えがあるだろう。私はこれまで2度、その経験があって、もう映画の冒頭からもはや他人事ではなかった。4人組と出会って事件に巻き込まれていくまでの前半の、だらだらした中身の会話、お金は全然ないけど時間は潤沢にある間延びした若者らしい振る舞い、いささか冗長に思える前半は、ヴィクトリアがそれを渇望したぶんだけ長い。地元の若者の聞き取れないけどくだらないに決まってる会話や、ローカルな店や遊び場の、余所者には重い扉をすいすい開けて街の中に入っていく手練れた仕草を、その夜までのヴィクトリアは指をくわえて眺めていたのだ。
街と自分を結びつける誰かに出会って、急に街との距離が縮まる。ヴィクトリアがその後、せっかく手にした友情を手放したくなくて安請合いで犯罪に加担していく愚かさも、それに至る理由をそれまでの彼女が雄弁に発していたから愚かな女はとは唾棄できない。夜の途中に彼女が披露する思わぬピアノの腕の、しかし、だから彼女があの場所にいる理由までは語られないことが現実に似ていた。日常、身の上話を一から十まで語ることも、聞くこともそうそうないのだから。
そして徐々に、巻き込む側と巻き込まれる側の主従関係が逆転していき、その転換点が、ヴィクトリアが腹を括り始める、内面が数ミリ移動した瞬間にあるのがこの映画を特別なものにしている。数ヶ月の寂しさは隙を生んでいたけど、何があったにせよ、たったひとりで言葉の通じない街にやってきて生活を成り立たせる程度の胆力はある女。隠し持った武器をじわじわと眼前に置くように、ヴィクトリアは肝を据えるのだ。
辿り着いたホテルの部屋にヴィクトリアが入り、また出るまでの何分、何十分かの時間を、今年過ごした映画的時間の中でも珠玉の数十分として、 しばらく忘れることはないだろう。泣いていた彼女が立ち上がり歩き出すまでの。140分という時間は短いようで永遠をはらんでいる。女は二度生まれるために、140分もあればじゅうぶんなのだ。
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ここから先はネタバレします。
・ヴィクトリア、あの女優を探してきただけでこの映画はすでに成立している。少女と女の中間の表情を持つ、ピアノの上手い女優。あれから何人かから、この映画を観る。と聞くと何故か嫉妬してしまう。好きな人が別の誰かとデートするって話を不用意に聞かされたような気分。
・撮影!車のシーンもそうだけど、エレベーターのシーン、どうやって撮ってるの?あの狭いエレベーターにカメラも乗ってるのよね?
・ヴィクトリアが明け方のベルリンの街を歩いていく最後の場面、建物の前にあるゴミ箱に、札束の入った包みを捨てるのかな?と思って観ていたのだけど、二度生まれたヴィクトリアは、もはやそれを捨てるようなセンチメンタルな女はない。
・そして女がひとり歩くラストシーンを持つ映画は、すなわち傑作。「第三の男」など。
・撮影シーンがyoutubeに!コントみたい…
・赤ちゃんのいる若夫婦のアパートの部屋の場面を観ながら、この若夫婦は、ヴィクトリアたちが部屋に入ってくるまで何時間も待機してたのだよな…と、不意に思って笑ってしまった。メイキングを観たい!
・この映画は、3テイク目を採用したと聞いた。2テイク目までは「映画の体を成していなかった」とのこと。当たり前だけど、あれを3度も演じたのだな。映画の体を成していなかった2テイク目までも観てみたい。
・よくよく観てると、カフェに入って「いいホテルだね!」ってセリフとか、ヴィクトリアが道を間違うシーンとか、あれは本当に間違えたんだろうな、というポイントはいくつかある。
・これが配給される日本であってほしい、と思っていたのだけど、配給されるという噂を聞いた。公開されたらまたヴィクトリアに会いに行こうっと。