東京国際映画祭の記録、14本目。ワールドフォーカス部門からホン・サンス新作「今は正しくあの時は間違い」‼︎ 金曜昼間の上映だったのだけど、この1本のために仕事をぐぐっと押し寄せて有給を取った。上映は何度かあるけど、ヒルズのスクリーン7でかかるのが金曜昼間だけだったのだもの。スクリーン7!あの大きな、大好きなスクリーンでホン・サンスを観られる日が来るとは… 角川シネマ新宿の極小スクリーン(布団部屋と呼んでる)でしか会えない人だと思ってた。そして金曜昼間なのに同じ想いの人々が集ったのか、ほとんど席は埋まっており、かなり前列で観ていたので、大人数のクスクス笑いが時折、漣のように起こっては消えていくのを波打際で心地よく感じながらの鑑賞。最高。ミニシアター系という言葉は興行側の勝手な都合で、すべての映画は大きなスクリーンで上映されるために作られてると信じて疑わない。
ホン・サンスといえば、韓国の地方都市、映画監督、偶然出会う美女、酒… 新作ももちろん全部盛りであった。何かひとつ欠けてもホン・サンスの映画にならないのであるよ。作品解説はこちら。
反復しつつズレを生むいつもの作風ながら、今回は前半・後半のパートに分かれていることでその手法が特にわかりやすかった。まるで2つの中篇から成る1本の映画のように、ハングルで書かれたタイトルが2度登場するのだけど、前半は「あの時は正しく今は間違い」、後半は「今は正しくあの時は間違い」と書かれているらしい。監督と美女が出会い、カフェに行き、食事し、別の人々と合流し、夜の街を歩き、次の日大学での講義と上映、という時間の流れが2度描かれ、それぞれの場面での微妙な差異によりまったく別のエンディングを迎える。誰もが一回性の時間を生きるしかないけど、もしも、あの時はああしていたら、ああ言っていたら、違う結末になっただろう、ということは山ほどあって、誰の人生でもこんな物語は作れるのだろうな。テレビでよくある真ん中で分割されたスクリーンで並べてわいわい観てみたい。そしてどちらの結末も切なくて、それが2人の避けられない成り行きのようだった。キム・ミニという女優さんは、ホン・サンス映画で初めて観たと思う。韓国芸能界において、次々と浮名を流す恋多き私生活の女性とのことで、あぁ、なんだかそれは想像できる!ホン・サンス映画のヒロインで最も色っぽい人ではなかろうか。公開されたら、また彼女に会いに映画館に行きたいわ。
ホン・サンスはいつも、彼がこだわって説明せんとする感覚を(講義の言葉を借りると「ラインを引くことからこぼれ落ちるものの中に面白いものがあるかもしれない」だろうか)、独自のロジックで映画にする印象があるのだけど、感覚は過去の映画からブレがなくて、ロジックは毎回更新しているように思う。熱心なファンの中にも、いつも同じという人もいれば、同じようで全部違うという人もいて、私は後者。「自由が丘で」の来日の際に聴講した講義で、最後に登壇された加瀬亮さんが、脚本は毎朝書いて渡されるのだけど、そのように書かれたとは思えないくらい、これまで触れたどの脚本より美しい、と言っていたのが、もっとラフな作り方なのかな、と思っていたので意外だったのだけど、台詞に至るまで、どうやって頭の中で映画を組み立てているのか興味ある。講義の時も、紙にペンで図をいろいろ書いて説明していたけど、ああいうものの積み上げで映画ができていくのかな。
去年の冬に聴いた講義は、これまで映画について聴いた講義の中で一番面白かった…
↑これとは別にフルバージョンの書き起こしたがあったはずなのだけど、探せず…と思っていたら、過去の自分の日記にあった。