西川美和監督の小説「永い言い訳」についてメモ。幼馴染のような女性2人が旅行に行き、交通事故で命を落とす。遺された夫2人の物語。主役はそのうちの1人で、本名を嫌いペンネームで活動する人気作家。冷えた夫婦関係が不慮の事故により唐突に終わりを迎える。夫たちの、タイトルどおり永い言い訳の物語だった。
2組の夫婦と関係する他者たちが一人称で語る部分と、そうではない部分が半々あって、後者のほうは複数の視点が脈絡なくスイッチしていくので慣れるまで混乱した。読んだことのない種類の文章だな、と不思議に思いながら読んでいたけど、映画のひとつの場面で同時に複数の人が映っていて、誰もが同時に何らかの言葉を発しているのを録音して言葉にしたような、と思い当たると腑に落ちた。映画監督の書いた小説を映画になる前に読むのは、おそらく初めての経験。最初に小説を読み、その後、その映画版を観るというパターンは何度もあるけど、小説・映画、どちらも同じ人物によるもの、というのも初めてかもしれない。
作家は我々(と括っていいものか)のいけすかなさを凝縮した人物で、呆れながらも身につまされる。そして亡くなった彼の妻。こんな鋭い女と一緒に暮らすのは「書く者」にとっては針の筵では、と思う箇所があって、読みながら軽く震え上がった。
自分の身に起きたことを削り取り、外に向かって書く、売る、というその蛮行を、ただ黙って理解し、赦し続けることだけが唯一「書く者」の家族の務めであるはずなのに、それが出来なくなる。どこからが「創作」で、どこからが現実からの謄写か、という境界線探しにのめり込んでゆく。暴かれることを恐れているのではない。むしろ暴き切れずに、すんでのところで本人の臆病な保身や、甘い自己肯定が顔を出す箇所を、見過ごせなくなるのだ。世間の読者が「うまい」と思ってくれるところを、「あ、逃げた」と、感じてしまう。主人公が、物語の締めくくりとともに人間的成長や新たな出発の糸口を見出したりしていると、救われるどころか、むしょうに鼻白む。人間に、そんな安直があるものか。お前は成長したか。新しい突破口など、見つけているのか。嘘嘘嘘。どうせどれもこれも、嘘つきが書いた、嘘ばっかりじゃんか。私はいつの間にか、彼の作品の、最大の敵になっていた。
配役は作家役に本木雅弘、妻役は深津絵里。子役の演出が肝のように思うけど、是枝門下生の西川監督なら子役の演出もきっと見事なのだろうな。
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