ひんやりした風吹きすさぶ東京、昭和の日。借りたDVDを観て返さなきゃ、と言ったら、近所の友人も観たいと思っていたものらしく(「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」)うちのスクリーンで上映会しましょうか、と約束していたのが、友人の体調不良で流れた。ぽかっと時間が空いたので、午後から取り組んでいた部屋の片付けに勤しむ。紙モノ、徐々に整理しようね私、と本棚付近に積んだのは年末だっけ。一向に徐々る気配もなく4月も終わろうとしている事実に愕然…。
紙モノ、それは各種手続き書類、取扱説明書、手紙、そして映画のチラシや資料。映画関係が8割を占める。これを分厚い2穴ファイルにファイリングしていく。今のところファイルは3つ。「日本・アジア映画、国内の映画祭」「フランス映画」「アメリカ、その他地域の映画」で、現時点でぎっしりなので、そのうちファイルが増えて分類も細かくなるのだろう。観たものすべてを保管しているわけではなく、何かしらひっかかったものに絞っている。写真の「恐怖分子」のチラシは去年のリバイバルではなく90年代の公開当時のもので、長らく大切にしている。映画祭でかかるような珍しい地域の映画は配給されないことも多く、映画祭のブックレットが貴重な情報源だったりして、翌年の映画祭で観る映画を決める時の参考資料としても役立つ。ファイリング、面倒で後回しにしてしまうけど、今頑張っておくと後々の自分が助かる。
フランス映画のファイルを見ていてロメール「コレクションする女」のブックレット発見。何年か前にメゾンエルメスで上映された時のもの。最近LAで上映されたというpostを見たばかり。この映画のヒロインはロメール映画の中でもファッショナブルなほうだと思う。そしてラストシーンのあっけなさが最高で、クスクス笑いながらエルメスのエレベーターを降りた記憶がある。配布されるブックレットも現在のものとは違う蛇腹式で情報が多い。
『コレクションする女』は、見る者を夢中にさせ、挑発する映画であり、複雑な時代の複雑な証人である。突き詰めればそれはまた、ある闘いの肖像と言えるかもしれない。物事において、また人生において生じる、自然なものと人為のものとの容赦なき闘いの肖像なのだ、と。
そう、ロメールお得意の、奔放で自由な女と「愛の言葉にも出典を求めそう」な男の物語だったな、と思い出す。この時一度観たきりで、その後観る機会がなかったので、有楽町で再見するのが楽しみ。そしていちいちこうやって読んでいると、ファイリングなんて永遠に終わらない。