あれから気がつけば「FAKE」のことを考えてる。映画の終わりを知った自分で最初から観たい。当分は混みそうだから無理だろうけど。友達、早く観てくれないかなぁ。
いろいろ読んでるとタイトルがタイトルだけに、オーソン・ウェルズのフェイクと紐付ける人がいるみたいだけど、森達也監督は観たことないらしい。「プティ・カンカン」上映後、ブリュノ・デュモンがQ&Aで「ツインピークスを思い出したのですが」と質問されて「観たことない」と厳しい顔でぴしゃっと答え、ちょっと空気が凍ったのを思い出した。いないところで何を言おうが自由だけど、本人を前にして他の作家の作品名を出すのは、なかなか危険度が高いことではなかろうか。ジョニー・トーの黒澤明オマージュのような例は別として、他人の名前を出されて嬉しい作家なんて、あまりいないんじゃないかな。
私はと言えば、観終わった直後とその翌日ではもう感想が変化してきていて、人間の思考って刻々と変わるな…と思う。佐村河内氏と同じくらい奥さんが重要人物なのだけど、夫婦愛、ラブストーリー、奥さんの献身が素晴らしい…などの感想を読むと、その感想は自分には1ミクロンもないので不思議、他人って本当に自分とは違う人間だな、と思う。私は少し、ポール・トーマス・アンダーソン「ザ・マスター」を思い出しながら、佐村河内夫妻は教祖と信者のようだったな、と考えたりしている。
「FAKE」のパンフレット、真っ赤な嘘ってことかしら。嘘ってこんな色かしら。まとまったら、また続きを。