昨夜観たロメール「友だちの恋人」のパンフレットを本棚から手にとってめくると、レア役を演じたソフィー・ルノワールと林真理子の対談が掲載されていた。ささめき、という言葉、このところ目にしない。以前に観た時にも調べたように思うけど、ソフィー・ルノワール、画家オーギュスト・ルノワールは曽祖父、映画監督ジャン・ルノワールは祖父の弟という家系。ちなみにソフィー曰く「俳優としての才能は遺伝的なものじゃないし、ルノワール家に生まれたのも偶然よ」、とのこと。
映画で2人女性、ブランシュとレアは対照的なキャラクターとして描かれ、レアは情熱的で欲望に忠実な女性だけど、素顔のソフィーは恋愛については古風なフランス女の伝統を引き継いでいる、と自己分析しているのが面白く、フランス女としてのプライドが端々に垣間見えて興味深い。
例えば、林真理子が「アメリカ女は自分が食べたいものを主張して、割り勘で食べたいものを食べる」と言えば、ソフィーは「アメリカ女というのは、がまんできない」と笑い、「歴史の浅い国だから価値観が非常に違う」と説明する。男性が女性を手厚くする、ギャラン、騎士道のようなそれはフランス女にとっては普通で、「私を追いかけている男と一緒に出かけて、私が自分の食事代を払ったとしたら、うちの母は、驚いて目を丸くして、もう立ち上がれないでしょう」「男性が女性のためにドアをあけてくれなかったならば、その男は非常にしつけが悪く育った男」「男性が車のドアをあけにこないと、車の中に座り続けます。車のから出ません」女性が解放され仕事においては対等になりつつあっても、それとこれとは話が別。矛盾しているとはわかっているけれども。とのこと。この芯の強さよ…。
「友だちの恋人」の脚本は時間をかけて書かれており、女優たちも議論に参加したのだとか。2人の対比については「レアの場合には、自分で選んで、その後選ばせる。しかし、ブランシュの場合には逆で、選ばせておいて、後で自分で選ぶという。2人は逆ですね。」
以上メモ。どちらかというと自分はレアに近いと思って観ていたのだけど、ブランシュが木漏れ日を浴びながら涙する場面は何度観ても美しく、それはレアにはないかもしれない美しさだと思う。