昨夜、7時間半喋って眠って起きて習慣として体重計に乗ったら、一気に1kg減ってたので、会話は運動、カロリー消費って案外そうなのかも。
引き続き「晩春」について、人の気配は残るけど、人は居ない日本の家の内部のショットは、黒沢清の映画みたい。
「晩春」はオリジナルではなく原作があるというのを知って、映画は原作に忠実なのか気になっていた。原作は広津和郎「父と娘」。
「野田(高悟)と小津はこの小説から、父親離れしようとしない娘の結婚問題を心配した父が、再婚すると偽って娘を無事に結婚させるというストーリー展開を借用して、脚色を進めた。しかし広津の小説では、嘘も方便が嘘から出た真となって、父親の再婚が現実になるという、ドンデン返し的結末に至るのだが、野田と小津はそのような機知的な運びを避け、あくまでも父と娘の関係に絞り込んで、ラストも父が孤独のままに取り残されることになる。従って人物の性格も環境の設定も、広津の小説とは全く異なったものになっているのは、当然であろう。」
手元にある「小津安二郎映画読本」(フィルムアート社)より。ほほう!脚色したことによって、嫁ぐ娘と残される父という、その後反復されるテーマが生まれたのが面白いな。「晩春」で笠智衆が元気良く再婚する流れは想像できないし、そんな結末ならこんなに長らく世界中で観られ続ける映画になっていなかったのかも。
私の記憶の中では、「晩春」は紀子が嫁いで音楽が流れて終わりだと思っていたのが、再見してみると嫁いだ後の残された笠智衆パートが案外長く続き、紀子の親友である月丘夢路が連れ添って飲む場面があったのが意外だったけど、ようやく嫁いだ紀子に比べ、月丘夢路は結婚して離婚したというスピーディーな展開を経験しており、その経験値を表現するためか、月丘夢路の衣装やメイクが紀子よりぐっと艶っぽく、同級生設定とは思えないほど、女と娘の境界線が二人の間にくっきり存在するように描かれていた。