学生時代、京都から家に向かう電車は終電が早くて、レイトショーを観たらもうギリギリ、いつも駅まで走ってた。前の晩、みなみ会館で遅くまで「恐怖分子」を観て宿に戻りながら、遅い時間まで京都にいるだけで冒険気分になるのは、あの頃の記憶のせいかしら・・と考えた。寝て起きてバスに乗り、フルーツパーラーで朝食を食べて、四条烏丸下がったところにある京都シネマへ。早めにチケット確保し、祇園までぶらぶら歩き珈琲を飲みにいく。上映間際に戻ってみると13時からの「マミー」は満席だった。チケット買っておいて良かった。
京都シネマの前身は三条河原町上がったところにある朝日シネマで、私は熱心な会員として通いつめていた。古いビルの中の映画館、小さな上映室が2つ。友達と王家衛の封切りを観たり、ジャック・タチを出会ったのも朝日シネマで、制覇したくなってレイトショーに通い、エンドロールの途中でそっと退室して猛ダッシュで三条大橋を渡り終電に滑り込んだ。
朝日シネマ閉館は風の噂で聞いたけど、開館した京都シネマとの繋がりは知らず、何かで調べてようやく知った。支配人が同じ人。「映画館ほど素敵な商売はない」という本に、閉館・開館の経緯が書かれており、朝日シネマ時代の良質な映画選定や完全入替制導入の工夫、会員制度、フリーペーパーなど、映画館の裏側にいる人々の熱意が伝わる本で、私はこの方々の情熱の恩恵にずいぶん預かったんだなぁ。と感謝しながら読み終え、京都シネマに是非行ってみたくなった。
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/a/0134.html
京都シネマは小さな上映室が3つ。東京だとヒューマントラストシネマや、角川シネマ、テアトル新宿あたりにかかりそうなプログラム。まだ新しい映画館でカメラなど構えてるのは私ぐらいなものだったけど、撮らせておくれよ、感無量なんだよ…と思いながら。ゴールデンウィークといえども平日だったせいか、満席の客席はマダム多し。後ろの席のマダムが見逃した「6才のボクが、大人になるまで」をこの間観に来たら満席で…。でももうすぐまた上映するのよね。などと映画情報を交換されていたのが素敵だった。
グザヴィエ・ドラン「マミー」は去年のカンヌで、ゴダールと同時に審査員特別賞を獲った映画。パルムドールの呼び声も高かったので、審査員特別賞はむしろ意外、という評判を聞いていたのでとても楽しみにしていた。発達障害の青年と、シングルマザー、隣人の女性の束の間の物語。
Instagramのような正方形の画面がメインで、シーソーのように揺れる繊細な関係が一瞬、夢のような安定を見せるときは、開かれる心そのもののように画面も広くなる。グザヴィエ・ドランの劇場公開作は今のところ全部観ており、私の中ではこれはベストではないな、と思った。映像や音楽、衣装のセンスが必ず話題になる監督だけど、「物語る」ことの上手さのほうが私には魅力で、「マミー」は「わたしはロランス」しかりデリケートな主題ゆえか、物語る上手さは存分に発揮されていないように思った。けれども、「わたしはロランス」においてはラスト近くのバーの場面、「マミー」においてはラスト近くの女2人の場面と、最後に物語にきっちり落とし前つけるあたりはとても好き。綺麗なだけの雰囲気映画との決定的な違いはそこにある。あの物語り能力の高さは案外、設定の小さな物語でこそ活きるのではないか、今のところ三角関係の小さな物語「胸騒ぎの恋人」がマイベストなのは、そんな理由かもしれない。
昔観た映画を懐かしい場所で懐かしむだけではなく、京都シネマで、封切られたばかりの新しい映画を観られたこと、とても幸せだった。