「陽炎座」、今回観て、理解度はようやく4割といったところか。死ぬまでにあと20回は観るだろうから、その間に8割ぐらい理解したいな…と長期的展望をもってじりじり自分と映画の距離を詰めている。今回は直前に、春画からの連想で深沢七郎「秘戯」を読んでいたので理解度は飛躍的に向上した。博多人形の裏返しの場面、原田芳雄と松田優作がメインだったのね。泉鏡花の原作を読んでいないのでなんとも言えないけど、読んだところで理解できる映画でもないと伝え聞いており、鈴木清順監督も、真実なのかトボけてるのか、原作?読んでないよ。脚本を受け取って撮っただけだよ。と言ってるらしいけど、深沢七郎のあの短篇のエッセンスは思いきり盛り込まれていたので、もはや泉鏡花の物語でもないのだろう。
「秘戯」から、博多人形の人形師の息子が亡くなっているこなどが、巧みに脚本に盛り込まれているのだけど、「秘戯」に忠実に盛り込まれているわけでもないので、そうやってエッセンスを取り込むのね…と、なにやら学んだ気分。秘密結社のようなメンバーのうち「恋ごころ」とあだ名がついた男がいて、その男が物語の鍵だったと後半知るのだけど、「陽炎座」では原田芳雄が「恋ごころ」と呼ばれていたので、ええええええ、原田芳雄の役!そうだったのか!と驚いた。
クライマックスの児童劇の場面が情報量が多く、VHSで観ていた頃は????の連続だったのが、初めてスクリーンで観た時、大画面ですみずみまで見渡せた時、理解度がぐっと上がって、映画は映画館で観るように作られているのね、と悟った場面なのだった。今回は、あの場面の大楠道代の人形めいた舞に見惚れた。真似したい。人形というキーワードで改めてじっと観てみると、人工物のような美しさの楠田絵里子のキャスティングも見事。大正生まれの江戸っ子、という監督自身の原風景が、画面に投影されている気がして、私の理解の及ばない大半はそこにあるのではないか、と思っている。次に観る機会があるまで、そのあたりについて自然に理解を深めた自分で映画と差し向かいになりたい。