ルビッチのサイレント「結婚哲学」(1924年)を、ルビッチがセルフリメイクしたトーキー版が「君とひととき」(1932年)、小津が「結婚哲学」に影響を受けてつくった東京版トーキーが「淑女は何を忘れたか」(1937年)、豪華な親戚関係、どれもそれぞれ見どころがあるのがさすが。
ルビッチの衣装はいつも見事だけど、小津もひけをとらず、東京に置き換えたらずいぶん所帯じみちゃって。ということもない。「衣装調達:三越」のクレジット。桑原通子が斜めにかぶるハットの影が美しい。そのあたりについて、何か書いてあるかな…と、古い本(小津安二郎映画読本「東京」そして家族/1993年/フィルムアート社)を斜め読んでいると、川端康成評を含んだ一文を見つけたのでメモ。
「アメリカ映画のソティスフィケーションの影響とか模倣とかを語るのは、今更野暮というものである。(中略)敢えて言うならば、彼はここで『ルビッチごっこ』を遊んでみせたのである。<小津氏は自分を隠したかと見せて、自分を自由にしてみたのだろう>という川端康成の指摘は、さすがに鋭い。」
最後の数分の含みどころたっぷりな展開のエロティックさに驚いたのだけど(ルビッチ映画なら驚かない)、自分を自由にしてみた、ということなのかな。