京都・映画館巡り。最終日に行ったのは、京都文化博物館の中にあるフィルムシアター。
私の京都3大懐かし映画館は、みなみ会館、朝日シネマと、このフィルムシアター。映画をたくさん観たい学生にとって時間はたっぷりあるけどお金がね…問題、このフィルムシアターは一番の救世主だった。博物館の年間会員制度があって、入会するとフィルムシアターの年間パスにもなる。学生は年3000円か、5000円だったかな。いつも素晴らしい特集が組まれて、番組はほとんど日替わり。現在でもフィルム上映にこだわっているらしい。
かつては大学の視聴覚室のような雰囲気で、スクリーンにパイプ椅子のような硬い椅子が並んでいるだけだったのだけど、数年前に改装され、場内に段差もでき椅子もふかふかになった。改装していた頃、Twitterでフィルムシアターの学芸員で、熱心にフィルム保存の活動もされている方を発見して、学生の頃、たくさん映画を観させていただいたことの感謝と、改装後に是非伺いたいです。とコメントを送ったら丁寧な返事をいただき、休日出勤の合間の息抜き時間のやりとりだったけど、家とオフィスを往復するだけの地味な休日が、そのやりとりのおかげで過去と現在の自分が手を繋いだような、言い忘れたお礼をようやく言えたような気分になった。
市川崑特集の初日!生誕100周年とのこと。初日は「炎上」!やったー!ちょうど再見したいと思ってた。三島由紀夫「金閣寺」を市川雷蔵主演で映画化したこの映画を、物語の舞台になった京都で、フィルムで観られるなんて夢みたい。いただいたプログラムは丁寧な解説、撮影時のエピソードがびっしり書かれていて読み応えがあった。スタッフの名前が詳細に載っているのは古くから撮影所のある京都ならでは、なのかな。
段差がついて観やすくなった場内。学生の頃、あちこちの映画館で明らかに最年少観客だったのだけど、このフィルムシアターは特に、古い日本映画メインのラインナップが渋すぎるのかずっと最年少のままで、「炎上」を観たこの日も、周りを見渡してみるとまだ最年少のようだった…。こういう場所が観客層を若返らせるのは難しいことなんだろうな…。
「炎上」を初めて観たのは、みなみ会館の市川雷蔵特集。あの特集で一気に、眠狂四郎など時代劇の雷蔵にも、現代劇の雷蔵にも出会って、毎日スクリーンに向かいながら、演技の確かさもあるにせよ、メイクひとつで印象がガラリと変わる、なんて俳優向きの顔立ちなのだろう、と思ったものだ。1人の男性の肉体の中に、妖しさや実直さや、快活さや気怠さなど、人間を構成する、排反するあらゆる要素が詰まったこんな人が早く亡くなったのは残念なことなのだな、と10代の自分は思った。市川崑監督とのタッグでは「ぼんち」が一番好きだけど、「炎上」を時々無性に観たくなるのは、文字通り、炎上の場面が目に焼きついて離れないから。
崇拝していた寺に火をつけて、明け方の空に火の粉が舞う。モノクロの濃淡で描かれたその場面、火の粉がキラキラ煌いていたことを、あれからずっと忘れていない。撮影は宮川一夫。原作にある「空は一面金砂子を撒いたよう」という文章を映し出すために、実際に金砂子(金箔を粉にしたようなもの)を扇風機で舞い上がらせて撮影された、と、プログラムに書いてあった。そんな仕掛けがあるとは知らないまま、あの場面…また観たいな…と、思っていた。裏側の工夫を匂わせずに、観るものに強く印象を残す、これぞ素晴らしい職人仕事、ではないだろうか。
「あなたのことは知っています」と、すがる雷蔵に中村鴈治郎が言い放つ「知ってても、わかってなかったら知らんのと同じことや」って台詞は、この映画で一番好きな台詞。舞い上がる金砂子とあわせて、ああ…炎上観たいな…って思う時に、また思い出すのだろう。