フランス映画祭2本目。「Gemma Bobery」は「ボヴァリー夫人とパン屋」という、ちょっとゆるふわタイトルだったので、どうしようかな…と考えつつ、アンヌ・フォンテーヌ監督、ファブリス・ルキーニ主演に惹かれてチケットを買ってみて大正解。ファブリス・ルキーニの若い頃も遡って映画で観ているので(ロメール「聖杯伝説」など!)、フランス映画を観ることは、ファブリス・ルキーニがいかに老いていくかを見守ることでもあるよなぁ。
あらすじを引用すると「ノルマンディーの美しい村を舞台に、パン屋を営む文学好きのマルタンと、奔放でチャーミングな"ボヴァリー夫人"の姿をユーモラスかつ官能的に描き、フランスで4週連続興行成績1位を記録した話題作」とのこと。ファブリス・ルキーニ演じるパン屋は、編集者として働いていたパリを父の死をきっかけに引き払い、父の後を継いでノルマンディーに戻ったという背景。空き家だったお隣に、イギリス人夫婦が引っ越してきて、妻の名前はジェマ・ボヴァリー。フローベール「ボヴァリー夫人」の主人公はエマ・ボヴァリー。少し影があるジェマの言動のひとつひとつに、ボヴァリー夫人のあらすじを重ねてパン屋の妄想は膨らみ、隣家を観察し始める。
もうこれはしょうがない。あんな田舎町にあんな女性が引っ越してきたら、さざ波が立ってしょうがないに決まってる。妄想癖の強いパン屋を責めないであげて。と、頭が暇な時はだいたい何かを妄想してぼんやりする傾向にある私は同類憐れみ、仲間をかばう気持ちでそう思った。ジェマ・ボヴァリーのキャラクター造形も、若き日のドヌーヴのような誰もがひれ伏す絶世の美女、というほどの高みでもなく、美しくはあるけれど凡庸さもあって、英語訛りのフランス語といい、妄想のつけこむ隙間が山ほどある。近くに住むフランス人女性の、躍起になって食べ物を減らしたり過剰なほど運動して痩せぎすな美を保とうとしている姿と対比してみると、野性を感じさせるナチュラルなジェマ・ボヴァリーに村じゅうの男が群がるのもむべなるかな。
そしてルキーニ演じるパン屋の、父の死というきっかけはあったにせよ、文学青年として夢見た人生はうまく送れなかった挫折の背景が、文学から喚起される強い妄想として狭い村の狭い人間関係の均衡を揺るがせていく。
フローベールの「ボヴァリー夫人」は悲劇的結末が訪れるけど、この物語はどう閉じるのだろう…と見守っていると、まさかの!まさかのオチで終わった!アンヌ・フォンテーヌ監督直々に「これから観る人のために、結末の秘密は守ってね」とお達しがあったので書かないけど、パン屋の妄想・暴走傾向が他人事とは思えない私は、自分の妄想癖で他人に迷惑をかけないように気をつけよう…妄想は頭の内に留めておくに限るな、と心を引き締めた。
Q&Aに登壇されたアンヌ・フォンテーヌ監督。元バレリーナ・女優という経歴も納得の美しさ! そして当意即妙な受け答え、お話を聞いて一気にファンに。以下、メモとして記録。
・(監督が)女優をしていた頃、ファブリス・ルキーニに食事に誘われたから、これは…ナンパ?と思ったけど、そうではなく、ディナーの席でルキーニは滔々と「ボヴァリー夫人」について語った。ルキーニは自分の娘に「エマ」と名付けたぐらい、「ボヴァリー夫人」に執着している。そんな本人のユニークさ、セレブリティだけど知的でおかしみもあるところを考えると、文学好きの知的なパン屋、という役を演じられるのはルキーニ以外にいないと思った。
・(この映画をジャンルで括るのは難しいけど)敢えて言うなら、辛辣なキツいコメディー。
・(日本にはルキーニのファンが多いから、ルキーニにも是非来日してほしい。という会場からの呼びかけに)フランスに帰ったら必ず伝えるけど、難しいと思う。ルキーニは飛行機に乗らないから東京に来られないと思う。(船で来る、という方法もありますよ、と会場から言われて)船旅は長く時間がかかるから、船の上で私がルキーニで映画を撮るというのもいいですね。この会場には日本の映画プロデューサーもいるだろうから、是非お金を出してください。
・(会場から、自分は女優でこれからフランスで仕事をしたいと思っている。どうすればアンヌ監督の映画に出られるか、という質問に)フランス語を話す必要がある。この映画の主演(ジェマ・アータートン)はオーディションの時、ボンジュール、アンヌしか話せなかった。撮影開始前、3ヶ月フランスに滞在し言葉や文化を学んで、3ヶ月でルキーニを前に即興で演技ができるようになった。
・(主演のジェマ・アータートンは)彼女の魅力には男であれ女であれ犬であれ抵抗できない、そんな魅力のある人。
・「ボヴァリー夫人」は永遠のアイロニーだと思う。17歳の時に読み、時空を超えたヒロインだと思った。私が形容するなら「林檎の木の下に立って、梨を欲しがっている女性」。
・(「ボヴァリー夫人」はフランスでは一般教養なのか?の質問に)学校で課題として習う本。フローベールはフランス文学のひとつの文体として有名。男性だけど細やかに女性心理を描写するところが素晴らしい。誰もがボヴァリー的要素を持っていると思う。何か、刺激を待っているような。
アンヌ・フォンテーヌ監督は、女っぽさを前面に出さずとも女らしさが醸し出される人で、理知的でウィットに富んだ語り口も素敵で、監督の中の女性性・男性性のバランスがちょうど良く、それが映画にも現れてる…という印象を持った。監督の撮った、エマニュエル・べアール主演の「恍惚」という映画が好きなのだけど、あの映画もこの新作も女性が綺麗に撮られていて、それは男の撮る女、ということではなく、女がこう撮られたいと願っているような撮られ方で、女が女を撮る時の理想形かもしれない。
私は「ボヴァリー夫人」をポルトガルに置き換えて撮られたオリヴェイラ「アブラハム渓谷」が大好きで、あの映画を通じた「ボヴァリー夫人」しか知らず、この「ボヴァリー夫人とパン屋」を通じて初めて、原作でボヴァリーが辿る結末を知った。原作を下敷きにした映画が今のところどれもこれも面白いので、きっと原作も楽しめるのでは…と調べてみたら翻訳が複数あって、これは読みづらい、あれは読みやすい、などいろいろレビューがあった。大きな書店に行って、冒頭1ページでも読み比べてみて一番自分の感覚に合うのを選ぼうかな。長い小説だから、合わないと苦戦しそうだものね…。
「ボヴァリー夫人とパン屋」は、間もなく、7月11日からシネスイッチ銀座などで公開とのこと。