土曜、鈴木清順特集を観るのだから。と、本棚を探って取り出した小冊子。監督と長い間コンビを組んでいた美術監督、木村威夫さんの講演をまとめたもの。名古屋シネマテークでの講演を、名古屋シネマテークがまとめたもののようだから、そこでしか買えなかったものなのかな。
ふと、これを買った日のことを思い出して、裏表紙を開くと。ああ、やっぱりアスタルテ書房で買ったのだった。記憶は合っていた。
アスタルテ書房は今、どうなっているんだっけ。 店主の体調悪化で開いたり閉まったりしていると聞いていたけど、と調べてみると、発表されたばかりらしい訃報にぶつかった。
ここ数年は京都で近くを通りかかっても立ち寄ることはなかったから、この小冊子を買った日がアスタルテ書房に行った最後で、その日の食事のために私は着物を着ていた。白地に古い洋館の壁紙のような不思議な幾何学柄の描かれた洋風の古い着物に、黒い帯をしめて。考えてみればツィゴイネルワイゼンの大楠道代が着ていても馴染みそうな装いだった。
大楠道代
バタイユ、谷崎、幻想文学…そんなアスタルテ書房には映画本やパンフレットも少しあり、男と女の濃い物語の、そんな映画の資料が多く、いかにもあの場所に似合った。その中から木村威夫さんの小冊子を掘り出すと嬉しくて抱え、店内をぐるぐるした後、会計のため店主に差し出した。本屋というより書斎と呼ぶのが似合うあの室内で、金銭の授受という用途より静かに物を書くのが似合う机と椅子の間にいた店主は、長めの髪を後ろで束ね、黒い上下だったと記憶している。差し出した小冊子と私の装いを交互に見ながら、少し口角を上げてにこにこされたように思う。
大谷直子
考えてみれば 大楠道代のような装いの女が、そんな小冊子を差し出すのはあまりに素直で捻りがない。そしてツィゴイネルワイゼンを観直してみて思ったことには、これまで性質は違えど映画の中では等しく取り扱われているように見えた2人の女は決して等価ではなく、大楠道代は物語を掻き回す徒花で、重心はあくまで大谷直子にあったのだ。日本家屋の薄闇に溶けそうな、地味な着物を着た女。ひっそり存在しているように見えて、覗き込めばぞっとするほど美しい。あんなに解りやすい着物を着ていた自分の子供っぽさ。今、アスタルテ書房に行くなら、一番地味な着物をきっちり着て、化粧も薄くして。
店主は、誰もがアスタルテ書房の店主はこのような風貌であってほしい。と想像するような、壁を埋め尽くす書物も、身につける衣服や表情も、すべてこの人物の頭や心の同じ場所が選んだ、その選択に違和感はない。と、ひと目で信じられるような佇まいだった。美意識は一日にして成るものではない。
初めて訪れた日から最後まで、古いビルの細い階段を上がって扉を開け、あの空間にいる間、ずっと緊張していた。書物にも店主にも何か試されている気もした。そんな場所には滅多に出会えないと今は知っているから、大人になるまでの年月、あの緊張を味わえたこと、感謝している。