2015映画ベスト、前田敦子さんについて熱くなりすぎ長くなって分断した映画本について、続き。
POPEYE 2015年6月号「僕の好きな映画」 マガジンハウス
楽しみにしていたので、発売日の朝、開店したての渋谷ブックファーストで買ったと記憶。朝早くに渋谷にいたのは、盛況のルビッチ特集で席を確保すべく、シネマヴェーラの開館前に並ぶため。映画のためとはいえ、我ながらよく頑張るね!階段で待ちながらPOPEYEを読み始めた。
雑誌の映画特集って、面白いと思えたことがないのは、執筆陣に目新しさもなく、だいたい公開される新作に絡めた宣伝(持ち上げることはしても冷静な感想でも批評でもない)が多いからかな。そのあたりから自由だからか、この号は面白かった。「僕の好きな映画」というシンプルな切り口で、いろんな人が好きな1本を好きなように語る。簡単なお題のようで、考え始めるとなかなか難しいのでは。何を選んだかがその人の印象を決めてしまいそうだし、たくさん観てる人は1本に絞るのも難しいし。自分だったら何を選ぶかな、と考えながら読んでいて、マルセル・カルネ「天井桟敷の人々」かルビッチ「極楽特急」かな、と思う。
ファッションページも素敵で、撮影して編集して1本の映画をつくる流れがファッションとあわせて紹介されており、日大芸術学部の撮影スタジオやフィルム編集室が登場して、おおっ!と隅々まで見てしまう。編集室の椅子に座るモデル男子がTシャツ、デニム、サンダルのラクそうで同時にPOPEYEっぽいスタイリングなのだけど、写真の向こうにちゃんと物語が見える。この青年は、朝起きてさっと着替えて携帯と煙草と財布だけ持ってここに来て、夜中まで作業して帰って…の繰り返しの途中を撮られたって感じがするな。写真の向こうに映画青年の生活が見えるところが良かった。それから最初のほうの「映画監督ファッションがあるとしたら」というページ。ちょっと小津っぽい形の帽子に、コンバースは新品ではなくカメラマンの私物らしく履きこまれてよれよれしており、ポケットの大きいカーゴパンツに「台本が余裕で入る」って説明がついてて、その細かい想像力と機能性…いい!なんでそんなにポケット大きいの?って聞いて、台本入るんだ。って言われたら…ぐっとくるわ。隅々までしっかり読み、掲載されていたPORTER CLASSICのスカーフを購入した。雑誌を見て何かを買いに行くって、ずいぶん久しぶりのような気がする。
「もぎりよ今夜も有難う」 片桐はいり 幻冬社文庫
2015年は図らずも私にとっての小津イヤーになった。乗りかかった船だわ。と、秋には長野県茅野市で開催される小津安二郎記念蓼科高原映画祭に遠征したりして。片桐はいりさん、映画館界隈でしょっちゅう耳にするお名前だけど、今でも時々もぎりに立つというキネカ大森でもぎってもらったことは未だになく、接点がなかったところ、蓼科高原映画祭での上映後のトークで登壇されて、その映画・映画館愛にほとんど初めて触れた。
初めて行く街では映画館があるか尋ね、あれば挨拶のように行ってみること。小津監督の追っかけのように、ゆかりの地を旅していること。他人事とは思えず、東京に戻ってこの本をすぐに買って読んでみた。現在のシネスイッチ銀座の場所にかつてあった銀座文化でもぎりのバイトをしていたはいりさん、今よりずっとアナログだった時代のもぎりバイト中のエピソード、旅先で出会った映画館たち。本のタイトルも、ひとつひとつのエッセイのタイトルも、すべて映画のタイトルのもじりになっているという凝りよう。その中に「人生は長く静かな岡」という一篇がある。
2015年、memorandomというウェブマガジンで、東京の閉館した映画館について書いた。計6回を書くために、まず映画館をリストアップ。改めて調べてみると閉館した映画館は私の体感以上に多く、ノートのページがあっという間に埋まって唖然とした。自分の記憶も濃く、何か書けそうな予感がする映画館を絞りこみ、最終的に6館を選んだ。なんとか5回を書き進み、最後にとっておいた新橋文化劇場について改めて調べたこと、思い出したことをノートに書き出している段階から涙が止まらなくなった。いざ書き始めると数行書いては泣き、泣いて書くのを何度も中断した。なんとか最後まで書き終え、支離滅裂なことを書いていないか確認しながらまた泣き、どうしても泣いてしまうので何日か寝かせて送り、校正のために入った名曲喫茶ライオンでまた泣いた。大音量でクラシックがかかっており、座席がスピーカーに向かって配置されている店だから画面を見ながら泣いてる女がいても誰も気にしていないようで助かった。そして無事に掲載されたのを見届けてまた泣いた。けれど何故そんなに泣くのか、自分でさっぱりわからない。ふだん感情的なほうではないから、知らず知らず抑圧された涙が体内にたっぷり貯蔵されていて、これを機会に外に出ようとちゃっかり便乗しているのではないか、と疑ったりしてみた。
片桐はいりさんの「人生は長く静かな岡」は、渋谷にあったという東急文化会館の閉館についてのエッセイ。東急文化会館が閉館し、解体も始まって1年も経った頃、先輩女優から「無い!無いのよお!」「今渋谷なんだけど、無いの。なくなってるの!東急文化会館!」と悲鳴のような電話がかかってきたそうだ。とりあえずそこにいてください。と、はいりさんは渋谷に駆けつけ、泣きじゃくる先輩女優と喫茶店に入り、なだめているうちに、むしろはいりさんがうぉんうぉん泣いていた、と。
「ずいぶんたくさんの映画館を見送ってきた。銀座文化で働いていたころは、もぎり仲間たちと誘い合って、いちいち劇場にお別れを言いに行ったものだ。(中略)ひとりになったら、そんな勇気もなくなった。なくなっていくものがあまりに多すぎて、そのたびに立ち止まってはいられなくなった。」
「入れかわり立ちかわり水をつぎ足しに来るウェイトレスたちが、何?なんなの?とささやきあっている。昼日中から、混み合う店内で、どこかで見たことがある女二人、むせび泣く。どうぞ見のがして、と祈りながら、わたしは鼻水をすすっていた。」
これを読んでようやく私は、映画館がなくなったことで、あれだけ泣いたのだと思い当たった。うぉんうぉん泣くはいりさんと先輩女優さんの姿を想像しながら、映画館がなくなって号泣する人々がいるのだなぁ。あ、私もか。と、涙の理由をようやく知った。過ぎたこと、なくしたものにとれる態度は限られている。忘れてしまうか、思い出として大切にしまっておくか。センチメンタル嫌いな私は迷いなくさっさと忘れてしまうことを選択してきた。それは潔い態度かもしれないけど、ずいぶん気持ちには蓋をしてきたのだな。と、エッセイを読みながら思った。大切な場所を失うのは哀しい。それが続くと気分が滅入る。映画館がなくなることは、号泣に値する。書いて、泣いて、読んで、ずいぶん遠回りしてそんなシンプルなことに気がついたのだった。