CINEMA STUDIO28

2016-11-13

右脳左脳




クリスマスカードや年賀状を書く時期が近づくと発売される海外グリーティング用差額切手をチェックするのが毎年の恒例。だってとっても可愛いんだもの。左から寿司、天ぷら、ラーメン、すき焼き。一昨年と去年の。そして今年は蕎麦、親子丼。蕎麦!好物キタ!と、2シート買った。低額切手を豪勢に買うの、ちまちました楽しみ。



右脳を使うことと左脳を使うことが同時進行で立て込んでおり、時間も足りず、隙間時間をいかに切り替えてどちらかを選び少しでも前に進めること…に注力し…ヨレヨレしているところ…。



昨日行った杉本博司展についてメモしておくと、




3階と2階の2フロアをフルに使った渾身の展示で、特に3階、<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない>シリーズ、壁面までびっしり埋め尽くされた世界観には圧倒されつつも、情報量が多すぎて混乱。



文明が終わる33のシナリオ 「《理想主義者》《比較宗教学者》《宇宙物理学者》など33 のシナリオがあり、私が選んだ作品と様々な物で構成されます。」



地球上に存在する様々な職業に扮し、それぞれの職業に合わせた文体、筆跡で綴る「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」から始まる33の文章と、それぞれの職業に似合う骨董品の展示、一部、杉本博司の写真も。妄想力ここに極まれりという内容で、私は33の文章をすべて杉本博司が筆跡も文体も様々に全部書いていると勝手に思い込んでいたので、器用な人よ…と思っていたけれど勘違いで、豪華執筆陣が多数参加して書いたらしく、杉本博司は編集的な立場ということなのかな、と思うと同時に、京都で今年観た「趣味と芸術」の展示のほうが、すっきりと観やすかったのはあちらは何もかも杉本博司がひとりで手がけていたからかもしれない。今回の東京の展示、情報量が多すぎ散漫な印象があったのは、1つ1つが独立したディストピアSF映画を観ているようで、それを33も観ればさすがに疲れるでしょう?という私の集中力が散漫なだけだったのかもしれない。



フラフラしながら2階に降りると、そちらは静謐な空気が流れており、楽しみにしていた<廃虚劇場>はじっくりと落ち着いて観られた。キャプションが床面にある展示デザインも美しく、廃虚劇場で上映された映画のあらすじも、おそらく杉本博司によって説明されている。会場を出ると図録に並び、劇場シリーズを網羅したらしき洋書がありめくってみると、映画館のある場所についての説明はあったけど、写された光が何の映画かの説明がなかった(多分)ので、買わずに棚に戻した。コンセプトは素晴らしく、写された光は映画そのものではあるけれど、はたして杉本博司は映画を愛しているのだろうか。