東京国際映画祭の記録。5本目、ワールド・フォーカス部門からアメリカのインディーズ「タンジェリン」。作品解説はこちら。
舞台はLA、ノースリーブで過ごせるクリスマスイヴ。ドーナツショップでドーナツを分け合うトランスジェンダーの2人。出所したばかりのシン・ディは不在の間、恋人が女と浮気したとの噂に大騒ぎ、アレクサンドラはその夜に小さなライブで歌う予定で気が気でない。彼女たちがたむろする界隈を行き来するタクシードリライバーを巻き込み、物語はけたたましくクリスマスイヴの夜に雪崩れ込む。
数行の作品紹介だけ読んで、迷わず前売りを買ったのは、撮影に興味があったから。全編iPhone5S…おそらく撮影当時の最新機種がそれだったのだと思うのだけど…で撮られている。実際には、iPhoneにアナモレンズを装着し、ピントを固定するためのアプリも使って撮ったらしいのだけど、素人にも簡単に揃えられる道具で作られている。ヒルズのどのスクリーンだったか、巨大ではないけどそれなりの大きさのあるスクリーンで観ても、さすがにフィルムほどの深みはないものの、見劣りする画像で物語に集中できないということはなく、iPhoneと知らなければ気づかなかっただろう。
など、手法ばかりで気にしてしまいがちなのだけど、「タンジェリン」は、映画の骨格をきちんと作ることができる人が、その映画にふさわしい道具を選んで撮った映画なのだと思った。誰でも手に入れられる道具だけど、誰もがこの映画を撮ることができるわけではない。当たり前なのだけど、その壁の厚さよ。
主役2人はストリートで監督が見つけてきた人たちだから本職の俳優ではない。巨大なカメラを構えられるより、動画を撮ってSNSに投稿、とばかりに身軽なiPhoneは彼女たちの緊張もほぐし、ナチュラルな表情を引き出す最適の道具。Fワード連発の威勢の良さをキープしたまま時間は流れるけど、途中、彼女たちがその生き方を選択し体現したことで日々遭遇する受難についてもきっちり描いている。クリスマスイヴなのにドーナツを半分こするしかないぐらいお金はないし、安定した愛情を注がれることも難しいけど、アレクサンドラのささやかなライブに遅れそうになって獰猛に引き返したり、長い一日の最後に辿り着くのがコインランドリーであっても、広い街で無二の親友と出会えた2人だから、クリスマスイヴの夜更けもまた幸福感で包まれるのだ。そして一番の受難はドーナツ・ショップの店員とも言えるね!
iPhoneを構える監督、ショーン・ベイカー。 去年、東京国際映画祭のグランプリ上映でも思ったけど、アメリカのインディーズ、観る機会がありそうでなかなかない。この監督の次の映画も観てみたい。古い、傷ばちばちのモノクロクラシック映画などうっとり観ていると、もう映画はこの深みを失ってしまったのだわ…と思いもするけれど、昔の人はきっと想像もしなかった道具が生まれて、こんな新しい映画にも出会えるのだから、進化は手を広げて受け入れるべきなのだ。