CINEMA STUDIO28

2015-11-19

TIFF2015 / さようなら

 
 
東京国際映画祭の記録、3本目、コンペの日本映画「さようなら」。アンドロイド女優が出演することで話題の1本。作品解説はこちら。
 
 
 
原発事故のあった日本の自然豊かな場所で、アンドロイドと暮らす外国人女性は幼い頃から病を患っている。日本人は難民として認定された者から外国に移住していくが、順番があり、何らかの理由がある者…たとえば前科のある人間などは順番が遅く、移住できるかどうかもわからない。周りから人が徐々に減っていき、やがて女性はアンドロイドと2人、家に取り残されて…。
 
 
平田オリザのアンドロイド演劇は15分と短時間らしく、それを映画に引き延ばしたもの。想田和弘監督が平田オリザを撮った観察映画「演劇1」「演劇2」を何年か前に映画館で観て、その中にアンドロイド演劇の稽古風景が映っていた。小津演出のように細かく、セリフの速さや遅さ、何秒、間をあけるかなど精緻に作りこんでいく。アンドロイドに対してそのよう演出をしているのが興味深かった。
 
 
「さようなら」は、死が近づきつつある人間と、死の概念のないアンドロイドの共生の物語で、詩の引用が長すぎる印象があったり、間延びしているように思える場面が続いたり、もう少しタイトな編集ならもっと面白かったかも…と思ったけど、描かれている世界は面白く、このような日本映画が存在すること自体がとても嬉しく思えた。アンドロイドはソーラー発電式なのか、電池が切れそうになったら自主的に外に出て充電している場面があったので、何かが致命的に壊れない限り永遠に生き続けるのだろう。人間に死が訪れた後、死体が白骨化するほどの長い時間が経過してもアンドロイドは老けることもないけど、衣服や髪は人間の手で整えられていたから、その部分が次第に劣化していった。アンドロイドは人間によって生み出され、手入れされる存在なのだな。
 
 
景色を見ながら2人が話す場面は、アンドロイドが理解する「美しい」という概念は、そもそも人間が教えたものだから、概念は理解していても「美しい」という感情はわからない、という場面や、見たことや覚えたこと、一度インプットしたことをアンドロイドはデータベース化し、それは永遠に記憶し、必要に応じて取り出したりするもので、忘れるという概念がないということに、確かにそれは便利で、そして不便なことだなぁ、と思った。私は記憶力が良いほうで、時々そのことがとても辛い、ということを知っているので、自分なりにコツを見つけて忘却の努力をしている。自分の身に起こったことをすべて記憶しなければならないなんて、永遠の命が与えられたとしても、それだけでアンドロイドになりたくない。人間とアンドロイドをさりげなく対比しながら、アンドロイドは人間があって初めて成り立つ存在なのだな。と、この映画を観るまで考えもしなかったことを考えた。、
 
 
 
 
上映後のQ&Aは左から、アンドロイド研究者の石黒浩教授、アンドロイド女優・ジェミロイドF、人間の女優ブライアリー・ロング、深田晃司監督。石黒教授のお話が興味深くて、アンドロイドは人間の写し鏡で、人間に興味があるからアンドロイド研究をしている、というようなことをおっしゃっていたように思う。石黒教授のお話、Webで検索していくつか読み、どれもどれもとても面白かった。本を読んでみようかな…。そして女優賞を狙いたい、というなかなか野心的なジェミロイドFさんのインパクトと、石黒教授のインパクトが強烈でその他の話はたいして覚えていない。
 
 
「さようなら」、11/21から公開。