この夏、茅ヶ崎館の1番の部屋でだらだらしながら、ああ、今、小津映画を観られたらいいのに、と誰かが言ったので、持っていたiPad miniでiTunesからダウンロード。ちょうど隣の2番の部屋で、何十年も前に生まれた物語はフィルムに焼き付けられ、デジタルに変換され、あっという間に小さな液晶に届いた。
映画を構成する要素すべての調和がとれていて、どれかひとつを取り出して眺めることはしない。「東京物語」とは永らくそんな付き合いだった。敢えて言うならば、香川京子の目線が近かったかもしれない。けれど茅ヶ崎館の夜、原節子にピントが合った。初めて出会った気がした。美しいけれど演技はそれほど、という世評に対して、小津監督は原節子は誰よりも巧い役者で、彼女が大根だとしたらそれは使いこなせない監督の責任である、と反論したと何かで読んだ、そんな言葉にもピントが合った。なんと巧い女優なのだろう。それは親元で暮らす末っ子の香川京子から、遠くに縁の土地や人を持ちながら、東京でひとり働く原節子の生活へと自分の人生が移行し、時間が経ったからかもしれない。
はじめまして、ようやく出会ったのだから、ゆっくり知っていくつもり。これまで見落としていた表情や仕草のひとつひとつも。肉体は消えたとしても、映画館の暗闇でまた会える。