CINEMA STUDIO28

2015-10-14

Ozu trip / 秋日和

 
 
書くことがいろいろ積もってる気がするのだけど、映画祭が始まるまでに書き終わるかしら。中断してる小津安二郎記念・蓼科高原映画祭の続きから。
 
 
初日の2本目は茅野市民館で「秋日和」。1960年松竹のカラー映画。デジタルリマスターされたバージョンでたいへん鮮やか。小津映画といえば「娘の嫁入りを気にかける父」だけど、この映画は「気にかける母」の物語で、これまで「気にかけられる娘」サイドにいた原節子が母親役にまわり、娘は司葉子。原節子は未亡人で、亡くなった夫の七回忌法要から物語はスタート。集まった夫の同級生たちが、まず娘の結婚を気にかける。しかし娘は母を一人にすることを気にかけており、それなら母親の再婚も同時にと、おじさま方が悪だくみ…という展開。
 
 
原節子は本郷の薬局の評判の看板娘という出自で、色めきたった学生たちが代わる代わる用もないのに薬屋に行き、射止めたのが亡くなってしまった夫。集う同級生たちも用もないのに行った組で、今でも原節子のことは綺麗だねぇと讃える仲間。本郷の学生、ということでおじさま方、さりげなく東大卒という設定。
 
 
この映画は特に赤も鮮やかで、美術や小道具に目を奪われるのだけど、今回は司葉子の同僚役の岡田茉莉子に釘付けに(しつこく書く)。場末(ってどこ?)の寿司屋の娘・百合ちゃん。さっぱりした江戸っ子らしい快活さで、母との関係に悩む司葉子の背中をぐいぐい押す。しかし百合ちゃんは母親を亡くし、今の母親は再婚相手で、司葉子へのアドバイスのキレのいい台詞まわしの端々に、百合ちゃんなりに自分の境遇を受け止め、前を向いてきた芯の強さを匂わせる。
 
 
七回忌法要で始まった物語は、小津映画らしく結婚式で閉じ、このような展開では最後の場面は、「残された家族」が映されることが多いけど、この映画では1人になった原節子の部屋に、結婚式帰りの百合ちゃんが訪ねてくる場面で終わるのは、彼女も「残された」からか。不在の人物が画面に映る人物と同じように濃く語られ、大団円のように見えて家族がゆっくりと散っていく小津の物語で、最後にやってくる百合ちゃんを観て、ああ、これは百合ちゃんと、亡くなったお母さんの物語でもあったのだな。「麦秋」の淡島千景しかり、主人公の親友ポジションは、こういった活きのいい女性が描かれるけど、記憶の中の印象以上に奥行きがあった百合ちゃん、小津映画の中でもとりわけ好きな登場人物になった。おじさま方との掛け合いが可笑しいことは言うまでもなく、百合ちゃん家に遊びに行って、2階でだらだら喋ってたら下から寿司桶が運ばれてくるような夜、過ごしてみたい。