CINEMA STUDIO28

2015-10-20

Ozu trip / 無藝荘

 
 
小津安二郎記念・蓼科高原映画祭、2日目の日曜日。茅野駅近くに宿泊。起きたら窓の外、雲と山と街の割合はこんな感じで。
 
 
チェックアウトしてバス乗り場へ。このような場所はバスの本数もきっと少なかろう…と執念の事前検索で時間も調べておいた。ぐんぐん標高の高い方面へ登ってる感触のある走行で、30分ほどで「プール平」というバス停に着いた。地名の由来は、別荘地でプールが多かったから…という説を何かで読んだ。バスを降りたはいいものの、右も左もわからん…と思っていたところ、目の前に観光案内所のような建物があったので、つかつかと入り、中にいらした女性に道を尋ねると、質問したのが申し訳ないぐらいすぐそこだった…。
 
 
 
バスで通り過ぎたようなのだけど、本当にすぐそこだった…
 
 
 
 
さて近づいてみましょう…
 
 
 
 
小津安二郎 野田高梧(脚本家)縁の地であることを示す石碑
 
 
いただいた無藝荘の資料から。「昭和29年夏、前年に『東京物語』を撮り終えた小津は、脚本家であり盟友の野田高梧に伴われ、初めて蓼科高原の野田の山荘「雲呼荘」を訪れました。(中略)蓼科の自然、人情、旨い酒がすっかり気に入り、それまでの「茅ヶ崎館」から蓼科に仕事場を移し『東京暮色』以降、没するまでの七作品全てのシナリオがここ蓼科で書かれることになります。」
 
 
 
「(中略)「雲呼荘」はすでに取り壊されて現存しませんが、小津が仕事場として、また東京から訪れる映画関係者などの接待の場所として使用した『無藝荘』が残っています。昭和初期に製糸業で名高い諏訪の片倉家が、地元の旧家を移築し別荘とした『片倉山荘』(木造平屋建て約126平方メートル)を、昭和31年に蓼科に腰を据えシナリオを書き始めた小津が借り『無藝荘』と命名しました。」
 
 
引用終わり。それではいざ、中へ。つづく。