CINEMA STUDIO28

2015-01-03

L'odeur de la papaye verte



12月30日、新宿ミラノ座閉館まであと1日。大晦日は別の用事があるので、私はこの日で最後にした。都合がつくなら入り浸って、全プログラム制覇したいぐらい、素晴らしい閉館プログラムだった。




選んだのは「青いパパイヤの香り」、閉館プログラムを観た時、この映画や「仕立て屋の恋」のような、いかにもミニシアターでかかっただろう映画が入っていることが意外だったので。「アラビアのロレンス」のような大画面ならではの映画と、ミニシアターでかかりそうな映画を大画面で、という意図で1本ずつ選んで観ることにした。




iPhoneで撮ったので亡霊のような写りになっていて申し訳ない…。1本ずつ、上映の前に支配人が登場して、作品紹介をするのが素敵だった。何故、最後にこの映画をかけるのか、という理由がきちんと話されていた。「青いパパイヤの香り」は、カンヌ映画祭でカメラドールを撮った作品で、ミラノ座ではなく同じ建物内にあるミニシアター、シネマスクエアとうきゅうで上映された。シネマスクエアとうきゅうは、まだ評価の定まっていない、初めて日本で紹介するような作品をかけることに意欲的な映画館だったので、「青いパパイヤの香り」も、そういった意味で、シネマスクエアとうきゅうらしい作品だったと言える、という紹介だった。


「青いパパイヤの香り」の日本公開は94年。その頃は、京都の街中をうろうろしながら映画館から映画館へ渡り歩く学生だったので、三条河原町上がったところ、朝日会館にあった朝日シネマで観た記憶がある。スクリーンは2つあって、どちらも100席に満たない、まさにミニシアターだった。あんな小さな場所で観た映画と、20年経って、ミラノ座の、あんな大きなスクリーンで再会するということも、あるのだなぁ。と思いながら上映が始まった。


35㎜フィルムの傷みが最初は気になったものの、すぐに気にならなくなった。全てセットで作られたベトナムの裕福な家庭。奉公人として暮らし始め、家事を覚えてこなしていく少女。家庭に出入りする、長男の友人に淡い恋心を抱き、最後にそれが成就するという筋書きは覚えていたし、次男と三男が小津映画へのわかりやすいオマージュのような存在として描かれることも記憶どおりだった。そして、こんなに解りやすい話だったのか、と意外に思った。パパイヤの葉から滴り落ちる樹液、皮を剥き、身を割るとびっしり詰まった種。欠けた壺で表現される夫婦関係の破綻。20年前に観た時は、画面が放つ雰囲気にただ酔っていただけで、ディティールに隠されたものはたいして受け取っていなかったように思う。


奉仕する悦び。や、男が女に世界を教える悦び。の描かれ方は、ベトナムからフランスに渡った監督の、双方のスタンスを踏まえた上で、敢えて描く、いかにも西洋人が好みそうなわかりやすいオリエンタリズムとして鼻につく部分は多々あるものの、ほとんど台詞もなく描かれる男女の気持ちのやりとりは、ただ寡黙であるだけで色気は2割増し、特にアジアの男は。と思ってる私の好みには合うものだった。まったく同じ理由で、ブレッソン「白夜」で、女が何故あの男を選び、あの男を選ばなかったか。ということに私が共感したことも、同時に思い出された。


共感はしても、少女が女にあっという間に変化していく様子は、観ていて恐ろしいものがある。意中の男が来た時の「今日は私に野菜を炒めさせて」というだけの台詞。最後の場面で、漱石の「草枕」をベトナム語で朗読し、膨れたお腹を撫でて微笑む女は、確かにあの少女の進化系だった。


ミニシアターでかかるのが似合う映画と頭で理解していようと、画面の小ささを素直に受け入れているわけではない。いつも前列で観る私は、視界をベトナムの風景でいっぱいにしながら、物語を真近で目撃する悦びに浸っていた。ありがとう、ミラノ座の大画面。長い間、お疲れ様でした。